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卓越した戦略眼でレーザー技術発展 敬服するノーベル賞受賞者のバイタリティー

今秋、ジェラルド・ムルー氏がノーベル物理学賞を受賞された。受賞理由は、レーザーのチャープパルス増幅法の発明である。この手法を使うことにより、レーザーパルスの継続時間を圧縮し、高強度(ペタワット=10の15乗ワット)を作ることが可能になった。

 ペタワットの強度の実現は、レーザー航跡場加速に道を開いた。ペタワットレーザーパルスの中の電子は、レーザーの横向き電場による運動が相対論的に、つまり速度がほぼ光速になる。このことによる非線形効果のために、高強度パルスがプラズマ中を伝搬すると、強い航跡場がその周りに作られて荷電粒子が効率的に加速される。

 この機構は田島俊樹氏とドーソン氏が1979年に提案したものだったが、それが必要とする高強度パルスを作るすべがなかった。85年のチャープパルス増幅法の開発によりそれが可能になったのだ。

 従来の粒子加速器はマイクロ波と電磁石で作られているために、非常にかさばるもの(数キロメートルサイズ)になっている。レーザー航跡場が作る加速電場は、従来のものに比べて桁違いに大きくできるので、従来の限界を超える粒子加速器を作れる可能性がある。素粒子物理学や相対論などの基礎物理に留まらず、コンパクトな中性子発生源による無侵襲計測や、イメージング、新規な医療用放射性同位元素の製造手法の開発にいたる広範な技術革新の可能性が議論されている。

 ムルー氏は、2012年に米カリフォルニア大アーバイン校の田島氏と協力して、仏パリ工科大学内にIZEST(国際ゼタ・エクサ科学技術センター)を設立し、世界中に存在する高出力レーザー装置に高度な圧縮技術を適用し10の18乗(エクサ)、10の21乗(ゼタ)ワットの超高強度を実現する運動を進めている。また、ヨーロッパにおいては、欧州委員会がチェコ、ルーマニア、ハンガリーの3カ所にExtreme Light Infrastructure(ELI)と称する巨大な高強度レーザー施設を建設中である。この計画の主導者もムルー氏だ。

 東欧に西欧の資金を投入して最先端科学技術の拠点を作り、それをイノベーションの核にして東欧の経済発展を支える。欧州の政治的・経済的要請に自分の夢を重ね合わせるムルー氏の戦略眼とそれを実現するバイタリティーに、敬服するばかりである。

 私がムルー氏にお会いしたのはIZESTの会合でだった。その時、宇宙線観測用に長年開発してきた広角望遠鏡技術の宇宙デブリ問題への適用について悩んでいた。広角望遠鏡でセンチサイズのデブリを発見できるが、十分強いレーザーがなければ、手も足もでない。この悩みをムルー氏にお話ししたところ、「そのレーザーは私が開発する」と即答なさった。一方、ムルー氏の方は、強いレーザーは作れるが宇宙デブリの位置が分からないという悩みを持っておられた。「両者が組めばうまくいく。宇宙デブリ除去ができる」と勇んで共著論文を書いたというわけだ。それ以来とても親しくお付き合いさせていただいている。今回の受賞は本当にうれしい。ムルー氏はノーベル賞にふさわしい真の科学者である。

2018年10月24日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て掲載

伊能忠敬:50歳代からの挑戦 前半生の経験と新技術との結合

伊能忠敬は1795年に佐原から江戸に出て幕府天文方の高橋至時に入門し、天文学を本格的に始めた。当時彼は50歳だった。測量においては天測が重要である。例えば、現在のカーナビはGPS衛星を「天測」して自分の位置を割り出す。天文学と測量学、そして暦学は本来一体のものである。
至時らは、最新の天体力学理論を考慮した「寛政暦」を1797年に完成させるが、さらに精度の高い暦を作るためには、地球の半径を知る必要があることに気づいた。例えば、地球の半径は子午線1度の弧長から計算できるが、当時日本で知られていた値には1割以上の差があって信用できなかった。
そこで、至時と忠敬は子午線1度の弧長を自ら実測することを計画する。できるだけ長い子午線弧長と対応する場所の北極星の高度差を測る必要がある。幸いなことに東北日本はほぼ南北に伸びていて、東京と札幌で約8度の緯度差がある。東京から測量と天測をしつつ北海道まで行けばよい。二人は幕府への働きかけを開始する。折から、帝政ロシアの北海道へ訪問が頻繁になり緊張が高まっていた。北海道の正確な測量と地図作成は、幕府の意図と一致していた。困難な交渉の末、1800年4月に北海道への第一次測量隊が出発した。その後の15年間、忠敬は日本全国にわたる9回の測量遠征を行い、日本の科学史に大きな足跡を残した。
至時と忠敬の目論見どおり、地図作成の副産物として、子午線1度の弧長も約110.7kmと決められた。現在、緯度35-41度の子午線1度の弧長は110.9 kmとされている(地球の形が真球ではないので、場所によって違う)。一方、至時と忠敬が幕府と交渉を始めたころ、フランスでは1mの定義のための子午線長測定が進行中だった(1798年完遂)。もともとのメートルの定義にしたがい、地球が完全な球であれば、この値は10000/90≅111.1 kmとなる。これと現在の値との差(0.2 km)を1800年ごろの世界最先端の測量精度と考えてもいいだろう。忠敬の測定精度が当時の世界標準から見て遜色のないものだったことが分かる。
忠敬は17歳で利発さを見込まれて伊能家に婿入りし、佐原村の世話役として村内や幕府との困難な交渉にあたった苦労人だった。また、天明の大飢饉(1782-1788)を乗り越えて、家業を大きくした有能な実業家だった。
彼の偉業は、その前半生で培った経済力、交渉力、統率力と、高橋至時門下で培った測量と天測の最新技術が結合し始めて実行できたものだった。まず、経済力だ。忠敬は第一次測量遠征の費用の約三分の2を個人で支弁している。これを現在の貨幣価値に換算すると二千万円を超えるという。9次にわたる測量遠征は、「隠居の趣味」というには膨大すぎる資金を要したはずだ。次に、交渉能力である。彼の測量日記を読むと、幕府役人との交渉に始まって、旅先での現地役人との馬や人足、隊員のわらじの手配についての交渉経緯が細々と記載されている。苦労が偲ばれる。最後に統率力である。測量は1日40kmも移動しつつ、夜はデータ整理、晴れれば天測を行うという強行日程で行われた。その中で隊員の士気と健康を保つのは容易ではなかったろう。逆に、忠敬が若年時に測量隊長に抜擢されても史実のように測量遠征を実行できたとは思えない。プロジェクト遂行には老獪さも必要なのだ。
今や、50代は思い切った攻めの人生を始めるよい機会である。30、40代は家族に対する責任が重いので、なかなか思い切った決断ができない。ところが今や寿命が延びて、病気にさえならなければ80歳に近くまで元気で仕事ができそうだ。60歳から数えても20年もある。それならもう一仕事できる。一方、IT技術の発達で、新分野の勉強も以前に比べて遥かに容易になった。逆に、世の中の進歩が加速して、たとえ同じ仕事を続けてもかなりの量の勉強を続けなければ、自分の専門知識が陳腐化してしまう。どうせやるなら、世の中で本当に重要だと自分が思うことを正面から攻めてみたいものだ。

2018年8月24日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説用の原稿

「人工小脳」の衝撃 高制御機能が生産現場を革新

 人間の小脳には、約690億個の神経細胞が存在している。これは、大脳を含めた脳全体の神経細胞数の約80%である。小脳は超並列型万能予測器として機能しているとされている。大脳皮質が出力する大まかな運動指令を過去の経験に基づいて適切に調節し、身体の各パーツが同調して滑らかに動くのを助けている。

 練習すると次第に動きが迅速にかつ滑らかになるのは、小脳が適切な運動の大きさとタイミングを記憶する過程である。視覚や聴覚からのフィードバックを基にする場合、時間遅れのために偏差や振動が発生してしまう。

 一方、小脳は過去に実現したベストパフォーマンスの動きを予測的に出力し、それを基準として「時間遅れなしのフィードバック制御」を疑似的に実現することにより、偏差や振動を補正する。ジャンプ、投球、打撃などの大きな迅速な動きを行う人間の体は、強い非線形を持っている。

 その制御を単純なフィードバックで行うと、多くの場合うまくいかない。非線形のために、一番よい方向にフィードバックが働くとは限らないのだ。小脳はその問題を克服するために生み出されたと思われる。

 人間の小脳は、チンパンジーの小脳に比べて2倍以上の神経細胞を持っている。その数の増加は、道具の使用や言語によるコミュニケーション、高度な認識機能の一部などの人間が人間になるために重要な機能を獲得するために必要だったと考えられる。

 小脳の神経細胞は、数だけは多いものの結合数は大脳のそれに比べてかなり少なく、その結合パターンは単純な繰り返しでできていることが、解剖学的に分かっている。したがって、神経ネットワークの働きを丸ごとそのまま数値シミュレーションすることができる。

 昨年、ネコ小脳に匹敵する小脳神経回路(10億ニューロン)の実時間シミュレーション(人工小脳)が実現され、さらに今年3月にはサル小脳(80億ニューロン)に匹敵する人工小脳が実現された。最近では、小脳と大脳が協力して並列強化学習を行うモデルが提案されている。迅速で滑らかな運動を、自律的に練習して獲得する人間などの高等哺乳類の能力を人工的に実現する技術的なベースが整いつつある。

 人工小脳システムは、これまで人間にしかできなかった作業を担い、人間を長時間の3K労働から解放するだろう。さらには、人間の反応速度をはるかに超えた速度でのきめ細かな制御を可能にして、生産現場の革新に道を開く可能性がある。これは、人口が減少しつつある日本にとって重要な技術である。

 また、人工小脳が実現する高度に自動化された社会において、ハードウエアの信頼性と長寿命化とに対する要求がこれまで以上に高くなると思われる。人工小脳システムは、ハードウエアの非線形性をその再現性の範囲で吸収してくれるが、予期できない動きや突然の故障には対応できないからだ。

 高信頼性のハードウエアを大量に安価に作る能力を次世代の日本人が持ち続けることができれば、日本の将来は明るいだろう。

2018年6月22日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て転載

発見のY学問と完成導くS学問 AIで進展、学術と芸術の融合

 学問の名前にはYで終わるものとSで終わるものがあることを私に教えたのは天文学者の小平圭一先生だった。前者はAstronomy(天文学)、Geology(地質学)、Biology(生物学)、Chemistry(化学)、Phylogeny(進化学)、Geography(地理学)など。後者はPhysics(物理学)、Mathematics(数学)、Genetics(遺伝学)、Statistics(統計学)などである。

 前者は、発見の学問であり、対象物を分類し記載する。新種を発見し記載することが最も称賛される。Y学問の研究者は、他との違いを強調する傾向があり、体系化を本能的に嫌う。物理学者のアーネスト・ラザフォード氏が「切手収集」と揶揄(やゆ)したように、趣味の世界との境界は曖昧である。

 一方、S学問は、体系化の学問であり、対象物の性質を少数の仮定と方程式により説明することを目標とし、数学との相性が良い。S学問の研究者は、対象物同士の小異を捨て大同を大事にする要素還元主義者である。Y学者からは、「無味乾燥」、「帝国主義」と批判される。確かに、S学問が確立してしまった分野の変化は簡単ではなく、しばらく進歩は止まってしまう。むしろ産業への応用が大事になってゆく。

 学問分野は、Y学問により探検、開拓され、S学問によって体系化されて完成を見るという発展形態をとることが多い。20世紀の前半は、19世紀後半に得られたY学問的知見を元に、天文学と化学の物理学による体系化が進行した。

 物理学を応用した観測・測定手段が天文学と化学のフロンティアを広げた。分光、電波や紫外線、エックス線などの新しい測定手段により、新種の天体、化合物、反応経路が発見され、Y学問としての側面も活発だったのが化学と天文学だった。一方で生物学と地球科学の体系化は20世紀の間はあまり進行しなかった。

 20世紀後半には、天文学、化学における変化は一段落した。代わって生物学が分子生物学を中心に華やかに進歩した。

 しかし、21世紀になって、状況が次第に変わりつつある。

 まず、生物や地球は諸量が非線形に強度に相関する系であり、そのようないわゆる複雑系を記述する手法が20世紀中はまだ未発達だった。ところが、20世紀の終わりに、それらを取り扱う手法が複雑系科学や非線形物理、素粒子物理学の分野で急速に発達し、コンピューターの発達で大規模なシミュレーションが可能になった。それらを適用することにより、非線形系のふるまいを理解し、記述することが可能になりつつある。

 また、地球に関しては、20世紀後半になって、人工衛星を用いた全球スケールの観測が行われ、数十年の蓄積を得た。さらに、生物に関しては、主なモデル生物の全ゲノム配列が解読されて、種同士の関係や、遺伝子(群)の進化が定量的に議論されるようになった。

 もちろん、これらの新データの蓄積は、物理学から派生した各種のセンサーの発達による。約50年の手法開発とデータ蓄積の準備期間を経て、21世紀前半は、物理学(Physics)と遺伝学(Genetics)をはじめとするS学問が、地球科学や生物学を体系化する過程にあるといえる。

 さらに現在、人間の脳の解剖学的データと結合情報のデータ蓄積が急速に進みつつある。これらを用いた人間全脳の実時間・超実時間シミュレーションが近い将来実現する。また、文学作品や音楽作品を作り出す人工知能(AI)が実現するだろう。これらを元に心理学(psychology)、哲学(philosophy)、音楽論(music theory)、文学論(literary theory)などのY学問のS学問的な体系化が始まろうとしている。

 学問と芸術が混ざり合った、かつてない時代にわれわれは突入しようとしている。

フジサンケイビジネスアイ
高論卓説2018年5月1日 許可を得て転載

太陽活動弱い時期は政変多く 大変な50年の始まり、戦乱に備えよ

 太陽の磁気活動は、約11年の周期で増減している。その振幅は常に変動している。例えば1645~1715年はほとんど黒点が観測されなかったので、マウンダー極小期と呼ばれている。そのほかにも1280~1340年のウォルフ極小期、1450~1570年のシュペーラー極小期、1790~1820年のダルトン極小期などが知られている。
 1870年ごろから1930年にかけては極小期ほどではないが、太陽活動があまり活発でなかった。しかし、1940年ごろから2000年にかけて非常に活発化した。その後急速に弱化して今に至っている。2013年ごろピークを迎えたサイクル24は、1906年以来の弱さだった。専門家はこのままダルトン極小期のような状態に入るのではないかと心配している。
 太陽活動の弱い時期は、地球の気候は平均気温が少し(1~2度)低い小氷期になることが経験的に知られている。また、小氷期においては気候変動の振れ幅が大きく、異常気象の連続が常態になる。「50年に1度」の記録的異常気象が頻発する現在の状況は、既に小氷期に入りかけていることを示唆している可能性がある。
 なぜ、太陽活動が地球の気候に影響を与えるのかはあまりよく分かっていない。太陽風が弱いと太陽から吹くプラズマの風(太陽風)が弱いため、太陽圏が収縮する。このため、太陽系外からの高エネルギー宇宙線が浸入しやすくなり、地球の雲に覆われる面積に影響を与えるためではないかと考えられている。
 雲は白いので、雲の被覆率が多いと地球が受け取る太陽熱が減る。ただし、雲の形成過程は複雑でまだ分からないことが多く、専門家の間でまだ議論が続いている。
  太陽活動極小期(小氷期)には、天候が不順で飢饉(ききん)が頻発し、戦乱も多い。例えば日本の戦国時代(1467~1587年)はほぼシュペーラー極小期に対応している。ウォルフ極小期に入る直前の1279年にモンゴルの南下と南宋の滅亡が、マウンダー極小期に入る直前の1644年には清の南下と明の滅亡が、ダルトン極小期開始直前の1789年にフランス革命が起こっている。
 特に、現在のように極小期に入る直前は、大規模な政変が起こることが多い。東アジアにおいては、朝鮮半島北部、中国東北部、モンゴル平原の民族が南下して大規模な戦乱が続く。この点でも現在の東アジアの政治的状況に符合する向きがないこともない。
 日本および世界の指導者は「衣食足りて礼節を知る」幸せな50年が終わり、「衣食が足りないので礼節は知らない」大変な50年が始まることを認識し、食糧の備蓄をしっかり行い、東アジアおよび世界規模の戦乱に備える必要がある。

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 2018年2月23日 許可を得て転載

地球ができた「冥王代」の自然原子炉 原初的な生命育んだ「ゆりかご」

 地球化学者、黒田和夫が地球に自然原子炉が存在する可能性があると予言したのは1956年のことだった。それから16年たった72年に中央アフリカのガボン共和国オクロで、約20億年前に活動していた自然原子炉の化石が発見された。高品位のウラン鉱床の一部に、核分裂するウラン235の濃度が特異的に少なく、核分裂生成物が存在する場所が発見されたのである。

 その解析から、連鎖反応が30分維持され、2時間半ほど休止することを繰り返す活動を15万年ほど続けたらしい。同様の自然原子炉跡がその近くに16カ所見つかっている。現在、地球上に自然原子炉はない。それは、核分裂炉の燃料となるウラン235の濃度がウラン全体の約0.7%しかないからである。

 核分裂の連鎖反応には、少なくともウラン235の濃度が1%以上ある必要があり、その人工的な実現には、それを濃縮する「マンハッタン計画」を必要とした。しかしウラン235の半減期は、核分裂しにくいウラン238より短いので、過去に遡(さかのぼ)るほどウラン235の濃度が高かったはずである。

 オクロの自然原子炉跡が活動していた20億年前は、ウラン235の濃度が3.5%もあり、人工濃縮なしでも、高品位のウラン鉱床と減速材である水さえあれば、核分裂連鎖反応が可能だった。さらに遡って地球ができたばかりの「冥王代(40億~46億年前)」では、ウラン235の割合が20%を超えていた。自然原子炉によって駆動される間欠泉が現在の温泉並みに普通に存在していたと思われる。

 われわれは、このような自然原子炉が原初的な生命を育んだ「ゆりかご」だったと考えている。生命構成分子であるアミノ酸や核酸塩基を無機物である水や二酸化炭素(CO2)、リン酸などから「非生物的に」作るためには、非熱的なエネルギー源が必要である。

 自然原子炉が放射する電離放射線は、強い化学作用を持っている。つまり、CO2や水を、反応性の高い物質に変える。それらの反応によりシアン化水素やホルムアルデヒドが作られ、さらにグリセルアルデヒドなどを経由して、アミノ酸や核酸塩基などが非生物的に作られることが実験的に示されている。誕生直後の原初生命は、原子炉間欠泉から供給されるこれらの化学物質に依存していたと考えられる。

 今思い返せば、世界で初めてアミノ酸を非生物的に合成した「ユーリー・ミラーの実験」は、高圧放電による大量の非熱的電子を用いた点で、原子炉からの電離放射線の効果を模したものだったと理解できる。原始大気における落雷や原始太陽からの紫外線のエネルギー密度は、ユリー・ミラーが用いた放電のエネルギー密度に遠く及ばない。それが実現できる環境は、地球冥王代の表層には普遍的に存在したはずの自然原子炉周辺のみである。

 冥王代の原初地殻は、マグマ海から直接析出した。そこには地下深くにあるマントル物質に取り込まれにくいウラン、トリウム、カリウム、リンなどの元素が数千倍濃縮されていた。原初生命を生み出したスープは、ウランやトリウムの他にカリウムやリンを多く含んでいたはずである。現生生物の細胞質に、カリウムやリンが高濃度に含まれている事実は、この点を反映したものかもしれない。

 自然原子炉が豊富に供給するグリセルアルデヒドにリン酸が結合したグリセルアルデヒドリン酸は、嫌気的解糖系の報酬期回路の出発物質である。この反応回路は、最終的にはアセチルCoAを経由してクエン酸回路や脂質合成回路につながっており、全ての生化学反応の要となっている。また、植物では、グリセルアルデヒドリン酸が葉緑体における光合成でも生成され、糖などの代謝産物やエネルギーの合成に使われる。これらは、生命が自然原子炉に依存していた時代の名残なのかもしれない。

2017.12.25 フジサンケイビジネスアイ 許可を得て転載

ノーベル物理学賞、湯川秀樹の実父 海底地滑り、津波の原因解明へ道

 地質学者の小川琢治は、ノーベル賞物理学者、湯川秀樹の実父である。彼は1870年、紀伊国田辺藩の儒学者、浅井篤の次男として生まれた。16歳で上京し、第一高等学校に入学。20歳のときに濃尾地震に遭遇した後、熊野旅行に行き、湯ノ峰温泉、瀞(どろ)八丁、潮岬を旅行する。この地震と旅行がきっかけで地質学に興味を持ったといわれている。
 2年後には帝国大学理科大学地質学科に入学している。97年に東京帝国大学を卒業して地質調査所に入所したが、1908年には退官して京都帝国大学文科大学教授地理学講座担当となり、21年には同大学理学部地質鉱物学科の初代主任教授となった。
 そして23年に大正関東地震が起こった。地震の直後から水路部が相模湾の水深の調査を行い、場所により100メートルを超える大規模な水深変化が起こったことが報告された。陸上の地形変化は1、2メートルにとどまっているのに対し、海底ではその100倍近い変化がなぜ起こったのかが議論の的になった。
 小川は24年に雑誌「地球」に「相模湾のいわゆる隆起と陥没の意義如何(いかん)」と題した論文を発表した。その中でこの大きな水深変化を「地震に伴って海底崩落および洗浄の作用が海底地盤の直後の振動と海水の津波を起こす震盪(しんとう)とで大規模に起こったものとすべきだと思ふ」と述べている。また、「数百平方粁(キロメートル)の海底地盤が平均半米(メートル)だけ高まったとしてもすこぶる大きな体積の変化で、同じく海水の動揺を起こす原因として起こってくる」と、相模湾内の津波の原因として海底地滑りを示唆している。
 さらに、地層の中に過去の海底地滑りの跡が残っていることを指摘。小川のこの議論は、海底地滑りを津波の真の原因と指摘した点で、世界的にみても嚆矢(こうし)となるものである。独創的かつ正鵠(せいこく)を射た鋭い議論だ。
 一方、東京帝国大学の物理学者、寺田寅彦も同年に「大正12年9月1日の地震に就いて」という論文を雑誌「地学」に発表した。この中で寺田は、相模湾の水深変化の原因を議論している。気象学者、ウェゲナーの大陸移動説などの諸説を取り上げて議論しているが、結局はこれほど大きな水深変化が海底でのみなぜ発生したかについては要領を得ない議論となっている。
 論文の付記において、小川の説も紹介している。「種々有益な啓示を受けた」としながらも、「浅い処が深くなり、深い処が埋もれたといふ明白な結果になって居ないのである」などと歯切れの悪い論評に終わっている。この後、海底地滑りの発生と津波の原因に関する議論は途絶えてしまい今日に至っている。
 一方、小川が先駆的に唱えた地滑りの跡の地層は「ブーマ・シーケンス」という特徴的な層理構造を持つ砂岩泥岩互層の成因論として定着している。海底地滑りでできたはずの砂岩泥岩互層は、日本の太平洋側海岸に普遍的にみられるが、それを現代日本で起こる津波と関連付けて考える研究者が小川の後、最近になるまで現れなかったのは大変残念なことだ。
  小川の三男、秀樹は物理学を志した。湯川家に養子に行き、湯川姓を使うようになる。彼は、当時の素粒子論の流行を追わずに中間子論を独創し、日本で初のノーベル賞を受賞した。湯川の独創に実父の小川の背中を見る思いがする。

フジサンケイビジネスアイ 2017.10.27 許可を得て転載

オランダ水害根絶の教訓 科学への信頼、計画達成に導く

オランダは国土の4分の1が海面より低い干拓地である。常に水害に悩まされてきた。1916年には、北海の暴風雨に伴う高潮で、首都アムステルダムの北方の北ホラント州の大部分が浸水した。これに懲りたオランダ政府は、アムステルダムの北東に広がるゾイデル海の入り口を堤防で閉鎖して北海の高潮による水害を根絶する計画を立てた。
 一方、ゾイデル海の入り口を閉鎖した場合、北海との境界にあるワッデン諸島と堤防の間の海域での干満差の拡大に懸念があった。それを考慮して、この部分の防潮堤をかさ上げしなければならない。問題は、その高さが分からないことだった。
 そこで政府はこの問題を研究する特別な委員会を組織し、その委員長にH.A.ローレンツ氏(1902年ゼーマン効果の発見とその理論的解釈により第2回ノーベル賞受賞)を指名した。国運をかけた巨大プロジェクトの命運を、海洋学者でも土木工学者でもない理論物理学者に委ねた。
 8年にわたるローレンツ氏と委員会の苦闘が始まった。委員会はまず、検潮計をさまざまな場所に設置することから始めた。次の課題は、複雑に入り組んだ水路を流れる潮流と干満差を正確に評価することだった。委員会は、摩擦を考慮した「潮汐理論」を新規に構築し、スエズ運河やブリストル湾の潮位変化に適用して良好な結果を得た。
 このような周到な検証を経て、ゾイデル海沿岸の干満差評価に取り組んだ。その結果、ワッデン海沿岸の干満差は閉鎖前の約2倍になることがはっきりした。また、潮汐波の締め切り堤防における反射で定在波ができる。ワッデン諸島はその節(振幅がゼロになる)に近いので、干満差があまり大きくならないことも分かった。このおかげで、大幅な経費節減ができたという。最後に北海の暴風高潮の高さの評価を行った。過去に起こった高潮水害のデータを再現し、同等の高潮が発生しても浸水に至らないように防潮堤の高さが決められた。
 報告書は1926年11月にオランダ女王に提出された。それは345ページに及び、半分はローレンツ氏自身によるものだった。この報告書を基に締め切り堤防の工事が27年1月に始まった。当初計画から3年以上短縮し、32年5月に完成した。工期短縮には、ローレンツ氏の潮汐理論が役立った。建設中の堤防が耐えるべき潮流の強さが評価され、あらかじめ周到な準備がなされたからだという。また、ローレンツ委員会が行った暴風高潮の評価は、その後の観測データと比べても驚くほど正確だった。オランダは53年に再び大水害に見舞われ、ロッテルダムを中心とした南オランダが大被害を受けたが、ワッデン海沿岸は被害を免れた。
 さらに、封鎖されたゾイデル海は淡水化され、アイセル湖となり、夏の乾燥期の灌漑(かんがい)用水の供給が万全となった。一部は干拓されて農地となった。その総面積は1650平方キロに及ぶ。オランダ国土の3.9%に達する膨大なものである。
 ローレンツ氏のこの業績は、朝永振一郎氏によって科学雑誌「自然」(中央公論社)の60年1月号で紹介されている。朝永氏は「近道をとらず、精密科学のように順を追って問題と取り組んだ」と高く評価している。また、「この大事業を科学的なやり方で出発させたオランダの政治家の識見に敬意を表さざるを得ない。ローレンツ氏を起用したのは彼らの大きな手柄である。8年もの検討をローレンツ氏に許した度量と科学者に対する信頼は範とすべきだ」と結んでいる。
フジサンケイビジネスアイ 2017年8月22日 許可を得て転載

かんきつ類とアゲハ類の盛衰 垣間見た生物の共進化が愉快

 私は、山口県下関市の彦島で生まれ、高校卒業までこの島で育った。本州と九州を分ける関門海峡に本州側から突き出た小さな島だ。この辺りは温暖でかんきつ類の生育に適しており、それを食草とするアゲハ類が昔も今もたくさん飛んでいる。昆虫少年だった小学校以来約50年間アゲハ類の盛衰を見てきた。
 小学校の頃、この辺のアゲハ類は、カラスアゲハ、アゲハ、モンキアゲハの3種がほとんどだった。図鑑によると、カラスアゲハは野生かんきつ種(カラスサンショウなど)を好むとある。一方、アゲハとモンキアゲハは栽培種(ミカンやハッサク、夏ミカンなど)と野生種(カラスサンショウなど)の両方を食べる。
 ところが、中学生になった頃、ナガサキアゲハやクロアゲハが次第に見られるようになった。ナガサキアゲハのような大型で派手なアゲハの出現に、昆虫少年として興奮しつつ、不思議に思っていた。大学生の頃は、むしろクロアゲハやナガサキアゲハが、モンキアゲハよりも多くなっていたと思う。
 それらは、栽培種のかんきつ類を好むと図鑑にはある。その頃彦島では、田畑が埋め立てられて宅地が急速に広がっていた。そして、どこの家もその庭にミカン、夏ミカン、ハッサクなどを植えた。これらを好むクロアゲハやナガサキアゲハが増えたのは当然のことかもしれない。
 さて、それから30年近くたって、帰省の折に見てみるとモンキアゲハとカラスアゲハが増え、ナガサキアゲハはかなり数が減少している。つまり、種分布が小学校の頃に戻っている。高齢化とともに人が林の中に入ることが減っているため、山道を歩くとかつてより木が茂っている。
 カラスサンショウなどの野生のかんきつ種が、人の入らない林の中で大きく繁茂していると思われる。モンキアゲハとカラスアゲハの増加はこれを反映しているのかもしれない。
 食草となる植物とチョウとの間に共進化が起こらないはずはなく、両者の間には持ちつ持たれつの関係が成立しているはずだ。
 かんきつ類の開花は4月の終わりから5月。ちょうどその頃、さなぎから羽化した春型のアゲハが飛び始め、出てきたかんきつ類の新芽に卵を産み付ける。そのついでに花の蜜を吸い、その受粉を助けているのではないかと想像する。もちろん、ミツバチ、ハナバチも活動しているが、かんきつ類にとって最も頼りになる花粉媒介者はアゲハ類だろう。
 かんきつ類の原種はアフリカ大陸の熱帯雨林に今も存在している。ゴンドワナ大陸が2億年前ごろに分裂をはじめ、アフリカからインド亜大陸が分かれて(約9000万年前、中生代白亜紀)、いったん孤立しつつインド洋を北上し、アジア大陸に衝突した(約5000万年前、新生代始新世)。これに乗ってやってきたかんきつ類が、東アジアで独自の進化を遂げ二次的な適応放散を遂げて現在のかんきつ類が生まれたと考えられる。
 さらに人類に栽培品品種とされて現在に至っただろう。それを食草とするアゲハ類の先祖も、共進化を遂げ、人類によるかんきつ類の分布の拡大を追うようにその分布域を広げてきた。私の短い人生の中でも、そのような生物の長い適応進化の1コマが見えて楽しくなってくる。

2017年6月26日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て転載

NASA「スーパープレッシャー気球」 放球成功、長期滞在で成層圏利用に道

 4月25日早朝(日本時間)にニュージーランドの南島、ワナカから米航空宇宙局(NASA)のチームがスーパープレッシャー気球の放球に成功した。通常の大気球は、気密性が低くてヘリウムガスの消散が速いため高度約40キロの成層圏滞在が数日に制限されるのに対し、スーパープレッシャー気球は、気密性が高く、1カ月を超える成層圏での滞在を可能にした。
 これまで、長期間の圧力に耐える丈夫さと軽さを兼ね備えた気球膜の製造が困難だった。NASAは何度も試行はするものの、なかなか望むような長期飛行ができなかったが、とうとう2015年3月の打ち上げで初めて30日を超える(実際は32日)飛行に成功した。
 16年3月の打ち上げでは46日の飛行を記録。観測機器の回収を優先して、気球が大陸上に来たときに早めに落下させる。ただ、その時点でヘリウムガスにはまだ余裕があり、100日以上の飛行も不可能ではないと専門家は指摘する。そうなると、従来の大気球に対して10倍以上の飛行時間をとることができ、それだけ感度の良い観測ができることになる。
 今回の気球飛行には、著者も含む理化学研究所のチームが参加した観測装置が搭載された。それは、宇宙からやってくる超高エネルギー宇宙線が作る空気シャワーという荷電粒子(主に電子と陽電子)のシャワーが大気の窒素分子を励起して発する紫外線を検出するための望遠鏡だ。この実験では、世界で初めて上空から空気シャワーを観測することを目指す。理化学研究所のチームは、超精密加工技術を生かして、この1メートル角の「プラスチック・フネレル・レンズ」を製造して提供した。目標とする空気シャワーは、おおむね数日に1個程度の頻度で検出される。
 この観測機器は、米国を中心に、日本、フランス、イタリア、ドイツ、アルジェリア、ポーランド、メキシコなどの多くの国の研究者が関わる。それぞれの国の置かれた制限の中で、お互いに補い合って望遠鏡を製作。スケジュールが極めてタイトな中、ほとんど不可能とさえ思われた望遠鏡製作が期日に間に合ったのは、「奇跡」が連続して起こったからである。自分のところで「奇跡」のバトンを途絶えさせてはならないと各段階の担当者が頑張ったからこそ、打ち上げまでたどり着けた。国際情勢が複雑になっている中、世界の仲間と協力してこそできるこのようなプロジェクトに参加できたのはとてもうれしく、科学者をやっていてよかったと思う。
 さて、成層圏は常に晴れており、太陽光発電には理想的な場所だ。また、定点上空に長く滞在できるよう推進力をもつか係留すれば、都市の重要な通信・発電インフラとして機能するかもしれない。成層圏に長期に滞在できるこのような成層圏気球技術について日本でも見直す時期に来ているといえるかもしれない。

2017年5月10日 フジサンケイビジネスアイ 許可を得て転載。

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