記事一覧

地球ができた「冥王代」の自然原子炉 原初的な生命育んだ「ゆりかご」

 地球化学者、黒田和夫が地球に自然原子炉が存在する可能性があると予言したのは1956年のことだった。それから16年たった72年に中央アフリカのガボン共和国オクロで、約20億年前に活動していた自然原子炉の化石が発見された。高品位のウラン鉱床の一部に、核分裂するウラン235の濃度が特異的に少なく、核分裂生成物が存在する場所が発見されたのである。

 その解析から、連鎖反応が30分維持され、2時間半ほど休止することを繰り返す活動を15万年ほど続けたらしい。同様の自然原子炉跡がその近くに16カ所見つかっている。現在、地球上に自然原子炉はない。それは、核分裂炉の燃料となるウラン235の濃度がウラン全体の約0.7%しかないからである。

 核分裂の連鎖反応には、少なくともウラン235の濃度が1%以上ある必要があり、その人工的な実現には、それを濃縮する「マンハッタン計画」を必要とした。しかしウラン235の半減期は、核分裂しにくいウラン238より短いので、過去に遡(さかのぼ)るほどウラン235の濃度が高かったはずである。

 オクロの自然原子炉跡が活動していた20億年前は、ウラン235の濃度が3.5%もあり、人工濃縮なしでも、高品位のウラン鉱床と減速材である水さえあれば、核分裂連鎖反応が可能だった。さらに遡って地球ができたばかりの「冥王代(40億~46億年前)」では、ウラン235の割合が20%を超えていた。自然原子炉によって駆動される間欠泉が現在の温泉並みに普通に存在していたと思われる。

 われわれは、このような自然原子炉が原初的な生命を育んだ「ゆりかご」だったと考えている。生命構成分子であるアミノ酸や核酸塩基を無機物である水や二酸化炭素(CO2)、リン酸などから「非生物的に」作るためには、非熱的なエネルギー源が必要である。

 自然原子炉が放射する電離放射線は、強い化学作用を持っている。つまり、CO2や水を、反応性の高い物質に変える。それらの反応によりシアン化水素やホルムアルデヒドが作られ、さらにグリセルアルデヒドなどを経由して、アミノ酸や核酸塩基などが非生物的に作られることが実験的に示されている。誕生直後の原初生命は、原子炉間欠泉から供給されるこれらの化学物質に依存していたと考えられる。

 今思い返せば、世界で初めてアミノ酸を非生物的に合成した「ユーリー・ミラーの実験」は、高圧放電による大量の非熱的電子を用いた点で、原子炉からの電離放射線の効果を模したものだったと理解できる。原始大気における落雷や原始太陽からの紫外線のエネルギー密度は、ユリー・ミラーが用いた放電のエネルギー密度に遠く及ばない。それが実現できる環境は、地球冥王代の表層には普遍的に存在したはずの自然原子炉周辺のみである。

 冥王代の原初地殻は、マグマ海から直接析出した。そこには地下深くにあるマントル物質に取り込まれにくいウラン、トリウム、カリウム、リンなどの元素が数千倍濃縮されていた。原初生命を生み出したスープは、ウランやトリウムの他にカリウムやリンを多く含んでいたはずである。現生生物の細胞質に、カリウムやリンが高濃度に含まれている事実は、この点を反映したものかもしれない。

 自然原子炉が豊富に供給するグリセルアルデヒドにリン酸が結合したグリセルアルデヒドリン酸は、嫌気的解糖系の報酬期回路の出発物質である。この反応回路は、最終的にはアセチルCoAを経由してクエン酸回路や脂質合成回路につながっており、全ての生化学反応の要となっている。また、植物では、グリセルアルデヒドリン酸が葉緑体における光合成でも生成され、糖などの代謝産物やエネルギーの合成に使われる。これらは、生命が自然原子炉に依存していた時代の名残なのかもしれない。

2017.12.25 フジサンケイビジネスアイ 許可を得て転載

ノーベル物理学賞、湯川秀樹の実父 海底地滑り、津波の原因解明へ道

 地質学者の小川琢治は、ノーベル賞物理学者、湯川秀樹の実父である。彼は1870年、紀伊国田辺藩の儒学者、浅井篤の次男として生まれた。16歳で上京し、第一高等学校に入学。20歳のときに濃尾地震に遭遇した後、熊野旅行に行き、湯ノ峰温泉、瀞(どろ)八丁、潮岬を旅行する。この地震と旅行がきっかけで地質学に興味を持ったといわれている。
 2年後には帝国大学理科大学地質学科に入学している。97年に東京帝国大学を卒業して地質調査所に入所したが、1908年には退官して京都帝国大学文科大学教授地理学講座担当となり、21年には同大学理学部地質鉱物学科の初代主任教授となった。
 そして23年に大正関東地震が起こった。地震の直後から水路部が相模湾の水深の調査を行い、場所により100メートルを超える大規模な水深変化が起こったことが報告された。陸上の地形変化は1、2メートルにとどまっているのに対し、海底ではその100倍近い変化がなぜ起こったのかが議論の的になった。
 小川は24年に雑誌「地球」に「相模湾のいわゆる隆起と陥没の意義如何(いかん)」と題した論文を発表した。その中でこの大きな水深変化を「地震に伴って海底崩落および洗浄の作用が海底地盤の直後の振動と海水の津波を起こす震盪(しんとう)とで大規模に起こったものとすべきだと思ふ」と述べている。また、「数百平方粁(キロメートル)の海底地盤が平均半米(メートル)だけ高まったとしてもすこぶる大きな体積の変化で、同じく海水の動揺を起こす原因として起こってくる」と、相模湾内の津波の原因として海底地滑りを示唆している。
 さらに、地層の中に過去の海底地滑りの跡が残っていることを指摘。小川のこの議論は、海底地滑りを津波の真の原因と指摘した点で、世界的にみても嚆矢(こうし)となるものである。独創的かつ正鵠(せいこく)を射た鋭い議論だ。
 一方、東京帝国大学の物理学者、寺田寅彦も同年に「大正12年9月1日の地震に就いて」という論文を雑誌「地学」に発表した。この中で寺田は、相模湾の水深変化の原因を議論している。気象学者、ウェゲナーの大陸移動説などの諸説を取り上げて議論しているが、結局はこれほど大きな水深変化が海底でのみなぜ発生したかについては要領を得ない議論となっている。
 論文の付記において、小川の説も紹介している。「種々有益な啓示を受けた」としながらも、「浅い処が深くなり、深い処が埋もれたといふ明白な結果になって居ないのである」などと歯切れの悪い論評に終わっている。この後、海底地滑りの発生と津波の原因に関する議論は途絶えてしまい今日に至っている。
 一方、小川が先駆的に唱えた地滑りの跡の地層は「ブーマ・シーケンス」という特徴的な層理構造を持つ砂岩泥岩互層の成因論として定着している。海底地滑りでできたはずの砂岩泥岩互層は、日本の太平洋側海岸に普遍的にみられるが、それを現代日本で起こる津波と関連付けて考える研究者が小川の後、最近になるまで現れなかったのは大変残念なことだ。
  小川の三男、秀樹は物理学を志した。湯川家に養子に行き、湯川姓を使うようになる。彼は、当時の素粒子論の流行を追わずに中間子論を独創し、日本で初のノーベル賞を受賞した。湯川の独創に実父の小川の背中を見る思いがする。

フジサンケイビジネスアイ 2017.10.27 許可を得て転載

オランダ水害根絶の教訓 科学への信頼、計画達成に導く

オランダは国土の4分の1が海面より低い干拓地である。常に水害に悩まされてきた。1916年には、北海の暴風雨に伴う高潮で、首都アムステルダムの北方の北ホラント州の大部分が浸水した。これに懲りたオランダ政府は、アムステルダムの北東に広がるゾイデル海の入り口を堤防で閉鎖して北海の高潮による水害を根絶する計画を立てた。
 一方、ゾイデル海の入り口を閉鎖した場合、北海との境界にあるワッデン諸島と堤防の間の海域での干満差の拡大に懸念があった。それを考慮して、この部分の防潮堤をかさ上げしなければならない。問題は、その高さが分からないことだった。
 そこで政府はこの問題を研究する特別な委員会を組織し、その委員長にH.A.ローレンツ氏(1902年ゼーマン効果の発見とその理論的解釈により第2回ノーベル賞受賞)を指名した。国運をかけた巨大プロジェクトの命運を、海洋学者でも土木工学者でもない理論物理学者に委ねた。
 8年にわたるローレンツ氏と委員会の苦闘が始まった。委員会はまず、検潮計をさまざまな場所に設置することから始めた。次の課題は、複雑に入り組んだ水路を流れる潮流と干満差を正確に評価することだった。委員会は、摩擦を考慮した「潮汐理論」を新規に構築し、スエズ運河やブリストル湾の潮位変化に適用して良好な結果を得た。
 このような周到な検証を経て、ゾイデル海沿岸の干満差評価に取り組んだ。その結果、ワッデン海沿岸の干満差は閉鎖前の約2倍になることがはっきりした。また、潮汐波の締め切り堤防における反射で定在波ができる。ワッデン諸島はその節(振幅がゼロになる)に近いので、干満差があまり大きくならないことも分かった。このおかげで、大幅な経費節減ができたという。最後に北海の暴風高潮の高さの評価を行った。過去に起こった高潮水害のデータを再現し、同等の高潮が発生しても浸水に至らないように防潮堤の高さが決められた。
 報告書は1926年11月にオランダ女王に提出された。それは345ページに及び、半分はローレンツ氏自身によるものだった。この報告書を基に締め切り堤防の工事が27年1月に始まった。当初計画から3年以上短縮し、32年5月に完成した。工期短縮には、ローレンツ氏の潮汐理論が役立った。建設中の堤防が耐えるべき潮流の強さが評価され、あらかじめ周到な準備がなされたからだという。また、ローレンツ委員会が行った暴風高潮の評価は、その後の観測データと比べても驚くほど正確だった。オランダは53年に再び大水害に見舞われ、ロッテルダムを中心とした南オランダが大被害を受けたが、ワッデン海沿岸は被害を免れた。
 さらに、封鎖されたゾイデル海は淡水化され、アイセル湖となり、夏の乾燥期の灌漑(かんがい)用水の供給が万全となった。一部は干拓されて農地となった。その総面積は1650平方キロに及ぶ。オランダ国土の3.9%に達する膨大なものである。
 ローレンツ氏のこの業績は、朝永振一郎氏によって科学雑誌「自然」(中央公論社)の60年1月号で紹介されている。朝永氏は「近道をとらず、精密科学のように順を追って問題と取り組んだ」と高く評価している。また、「この大事業を科学的なやり方で出発させたオランダの政治家の識見に敬意を表さざるを得ない。ローレンツ氏を起用したのは彼らの大きな手柄である。8年もの検討をローレンツ氏に許した度量と科学者に対する信頼は範とすべきだ」と結んでいる。
フジサンケイビジネスアイ 2017年8月22日 許可を得て転載

かんきつ類とアゲハ類の盛衰 垣間見た生物の共進化が愉快

 私は、山口県下関市の彦島で生まれ、高校卒業までこの島で育った。本州と九州を分ける関門海峡に本州側から突き出た小さな島だ。この辺りは温暖でかんきつ類の生育に適しており、それを食草とするアゲハ類が昔も今もたくさん飛んでいる。昆虫少年だった小学校以来約50年間アゲハ類の盛衰を見てきた。
 小学校の頃、この辺のアゲハ類は、カラスアゲハ、アゲハ、モンキアゲハの3種がほとんどだった。図鑑によると、カラスアゲハは野生かんきつ種(カラスサンショウなど)を好むとある。一方、アゲハとモンキアゲハは栽培種(ミカンやハッサク、夏ミカンなど)と野生種(カラスサンショウなど)の両方を食べる。
 ところが、中学生になった頃、ナガサキアゲハやクロアゲハが次第に見られるようになった。ナガサキアゲハのような大型で派手なアゲハの出現に、昆虫少年として興奮しつつ、不思議に思っていた。大学生の頃は、むしろクロアゲハやナガサキアゲハが、モンキアゲハよりも多くなっていたと思う。
 それらは、栽培種のかんきつ類を好むと図鑑にはある。その頃彦島では、田畑が埋め立てられて宅地が急速に広がっていた。そして、どこの家もその庭にミカン、夏ミカン、ハッサクなどを植えた。これらを好むクロアゲハやナガサキアゲハが増えたのは当然のことかもしれない。
 さて、それから30年近くたって、帰省の折に見てみるとモンキアゲハとカラスアゲハが増え、ナガサキアゲハはかなり数が減少している。つまり、種分布が小学校の頃に戻っている。高齢化とともに人が林の中に入ることが減っているため、山道を歩くとかつてより木が茂っている。
 カラスサンショウなどの野生のかんきつ種が、人の入らない林の中で大きく繁茂していると思われる。モンキアゲハとカラスアゲハの増加はこれを反映しているのかもしれない。
 食草となる植物とチョウとの間に共進化が起こらないはずはなく、両者の間には持ちつ持たれつの関係が成立しているはずだ。
 かんきつ類の開花は4月の終わりから5月。ちょうどその頃、さなぎから羽化した春型のアゲハが飛び始め、出てきたかんきつ類の新芽に卵を産み付ける。そのついでに花の蜜を吸い、その受粉を助けているのではないかと想像する。もちろん、ミツバチ、ハナバチも活動しているが、かんきつ類にとって最も頼りになる花粉媒介者はアゲハ類だろう。
 かんきつ類の原種はアフリカ大陸の熱帯雨林に今も存在している。ゴンドワナ大陸が2億年前ごろに分裂をはじめ、アフリカからインド亜大陸が分かれて(約9000万年前、中生代白亜紀)、いったん孤立しつつインド洋を北上し、アジア大陸に衝突した(約5000万年前、新生代始新世)。これに乗ってやってきたかんきつ類が、東アジアで独自の進化を遂げ二次的な適応放散を遂げて現在のかんきつ類が生まれたと考えられる。
 さらに人類に栽培品品種とされて現在に至っただろう。それを食草とするアゲハ類の先祖も、共進化を遂げ、人類によるかんきつ類の分布の拡大を追うようにその分布域を広げてきた。私の短い人生の中でも、そのような生物の長い適応進化の1コマが見えて楽しくなってくる。

2017年6月26日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て転載

NASA「スーパープレッシャー気球」 放球成功、長期滞在で成層圏利用に道

 4月25日早朝(日本時間)にニュージーランドの南島、ワナカから米航空宇宙局(NASA)のチームがスーパープレッシャー気球の放球に成功した。通常の大気球は、気密性が低くてヘリウムガスの消散が速いため高度約40キロの成層圏滞在が数日に制限されるのに対し、スーパープレッシャー気球は、気密性が高く、1カ月を超える成層圏での滞在を可能にした。
 これまで、長期間の圧力に耐える丈夫さと軽さを兼ね備えた気球膜の製造が困難だった。NASAは何度も試行はするものの、なかなか望むような長期飛行ができなかったが、とうとう2015年3月の打ち上げで初めて30日を超える(実際は32日)飛行に成功した。
 16年3月の打ち上げでは46日の飛行を記録。観測機器の回収を優先して、気球が大陸上に来たときに早めに落下させる。ただ、その時点でヘリウムガスにはまだ余裕があり、100日以上の飛行も不可能ではないと専門家は指摘する。そうなると、従来の大気球に対して10倍以上の飛行時間をとることができ、それだけ感度の良い観測ができることになる。
 今回の気球飛行には、著者も含む理化学研究所のチームが参加した観測装置が搭載された。それは、宇宙からやってくる超高エネルギー宇宙線が作る空気シャワーという荷電粒子(主に電子と陽電子)のシャワーが大気の窒素分子を励起して発する紫外線を検出するための望遠鏡だ。この実験では、世界で初めて上空から空気シャワーを観測することを目指す。理化学研究所のチームは、超精密加工技術を生かして、この1メートル角の「プラスチック・フネレル・レンズ」を製造して提供した。目標とする空気シャワーは、おおむね数日に1個程度の頻度で検出される。
 この観測機器は、米国を中心に、日本、フランス、イタリア、ドイツ、アルジェリア、ポーランド、メキシコなどの多くの国の研究者が関わる。それぞれの国の置かれた制限の中で、お互いに補い合って望遠鏡を製作。スケジュールが極めてタイトな中、ほとんど不可能とさえ思われた望遠鏡製作が期日に間に合ったのは、「奇跡」が連続して起こったからである。自分のところで「奇跡」のバトンを途絶えさせてはならないと各段階の担当者が頑張ったからこそ、打ち上げまでたどり着けた。国際情勢が複雑になっている中、世界の仲間と協力してこそできるこのようなプロジェクトに参加できたのはとてもうれしく、科学者をやっていてよかったと思う。
 さて、成層圏は常に晴れており、太陽光発電には理想的な場所だ。また、定点上空に長く滞在できるよう推進力をもつか係留すれば、都市の重要な通信・発電インフラとして機能するかもしれない。成層圏に長期に滞在できるこのような成層圏気球技術について日本でも見直す時期に来ているといえるかもしれない。

2017年5月10日 フジサンケイビジネスアイ 許可を得て転載。

リボフラビン生合成経路:Biosynthesis pathway for riboflavin

ファイル 274-1.jpgファイル 274-2.jpg

リボフラビンの生合成経路は図1にまとめられているように、1分子のGTPと二分子のリボース5リン酸から始まる(Fischer and Bacher 2005)。GTPシクロヒドロラーゼIIが、アミダゾール環からギ酸、GTP(1)の側鎖から二リン酸を放出して、2,5-ジアミノ-6-リボシルアミノ-4(3H)-ピリミジノーネ5'-リン酸(2)を生成する。2位のアミノ基の水分解性放出とリボース側鎖の還元、そしてリン酸の脱離により5-アミノ-6-リビチルアミノ-2,4(1H,3H)-ピリミジンジオーネ(3)を作る。ピリミジン派生物(6)は、3,4-ジヒドロキシ-2-ブタノン-4-リン酸(8)と縮合して、6,7-ジメチル-8-リビチル-ルマジン(9)となり、最終的な産物のリボフラビン(10)となる。

GTPシクロヒドロラーゼIIはGTPを2,5-ジアミノ-6-リボシルアミノ-4(3H)-ピリミジノーネ5'-リン酸(2)とギ酸、無機ピロリン酸に変換する。その反応機構は、まず、ピロリン酸の放出に際して、二つの炭素‐窒素結合が切断されてギ酸が作られ、イミダゾール環が開いてピリミジンが作られる(2)。この酵素は、サブユニットごとに1個の亜鉛イオンを含んでいる。それに配位するシステイン残基(Cys54、Cys65、cys67)を置き換えると、触媒活性が消失し、亜鉛イオンが結合しなくなる。その三次元構造はまだ決まっていないが、亜鉛の関与が強く示唆
されている。

一方で、GTPシクロヒドロラーゼIは、テトラヒドロ葉酸とテトラヒドロプテリンの生合成経路の最初に現れる酵素である。それは、GTPシクロヒドロラーゼIIと同様に、亜鉛イオンが二つのチオール基(Cys110とCys181)および一つのヒスジチン(Hys113)にキレートされており、二つの炭素・窒素結合の加水開裂とその結果としてのギ酸の放出に必須である。もう一つのヒスチジン(His112)がさらに、水分子を介して接触している。このGTPシクロヒドロラーゼIIの三次元構造はまだわかっていないが、GTPシクロヒドロラーゼIの三次元構造はすでに決められており、ホモダイマーを形成していることが分かっている。

植物と多くの真正細菌は、GTPシクロヒドロラーゼII領域と3,4ジヒドロキシ-2-ブタノン4リン酸合成酵素が融合したタンパク質を持っている。この融合酵素がリボフラビン合成経路の最初の部分を担っている。

Fischer, M. and Bacher A. 2005, Biosynthesis of flavocoenzymes, Nat. Prod. Rep., 22, 324-350.

初期進化における核酸様補酵素の役割: Role of Nucleotide-Like Coenzyme in Primitive Evolution

ファイル 273-1.jpgファイル 273-2.jpg

すべてのリボヌクレオチドもしくはヌクレオシド二/三リン酸は補酵素として、そしてアミノアシル基、リン酸基、グリコシル基、リン脂質前駆体のキャリアとして様々な代謝反応に関与している。Kritsky and Telegina 2004は、ヌクレオチドに似ているが少し違う化合物が補酵素として様々な代謝経路で働いていることを指摘している。それらは、ヌクレオチドと同様に、正に帯電した複素環を持つ「頭」、中性の首、さらに負に帯電した尾が結合した構造をしていることを指摘している(図1)。これらには、フラビンモノヌクレオチド(FMN)、モリブドプテリン、ピリドキサール燐酸、チアミン二燐酸(TDP)、6,7-ジヒドロネオプテリン三燐酸(ビオプテリンの前駆体)、そして、ニコチン酸アミド一燐酸などがある。

ニコチン酸アミドとピリドキサール補酵素では、正に帯電した「頭」はピリミジン環であり、チアミン二燐酸補酵素では「頭」はチアゾール環と共役したピリミジン環である。FMNと他のフラビン類は複素環を持っている。プテリン補酵素は、ビオプテリンとモリブドプテリンや葉酸と同様、複環式塩基としてプテリンを持っている。

「首」は、NMN+とFMNの場合はリボースもしくはリビトールであり、チアミン二燐酸とピリドキサール燐酸の場合は、短い脂肪族鎖である。ビオプテリンのようなプテリンでは、水酸化された脂肪鎖構造が「首」に当たっている。モリブドプテリンでは、チオール化、水酸化されたブタン鎖が「頭」と燐酸基の「尾」をつないでいる。もっとも複雑な補酵素である葉酸では、プテリジン基が負に帯電したグルタミルもしくはオリゴグルタミルの「尾」をp-アミノ安息香酸(PAB)がつないでいる。

ニコチン酸アミドアデニンジヌクレオチド(NAD+)、ニコチン酸アデニンジヌクレチド3'-燐酸、フラビンアデニンジヌクレオチド(FAD)、そしてモリブドプテリンを含むジヌクレオチドは、一つの補酵素が、普通のリボ核酸と結合したもので、ジヌクレオチドに準ずるものである。また、これらの補酵素は、RNA合成酵素などの働きで、RNAの端に共有結合されることがある。

ヌクレオチド様補酵素は、そのアポ酵素の中で、普通はあまり反応性が高くないが、光で励起されるとその反応性が高くなり、非常に多くの反応に参加するようになる。核酸塩基が吸収する250-280nmの紫外線の他に、フラビン、プテリンそして還元型ニコチン酸アミドは、300-400nmの紫外線を吸収する。フラビンはさらに、500nm付近の短波長可視光で励起される。励起された補酵素の一重項状態は、効率よく三重項状態に変換される。後者は、溶液中で他の分子と相互作用するので、前生物学的な化学の観点からより興味深い。フラビンとプテリンの三重項の寿命は0.1-1.0秒にまで達する。

フラビンの中間酸化還元電位E’0はー0.22Vでありかなり強い還元剤としてふるまう。しかし、三重項状態に遷移したフラビンは、対応する酸化還元電位が+1.85Vに移る。つまり非常に求電的な性質を持ち、様々なかなり高い酸化還元電位を持っている物質からも電子を引き抜ける。そのような反応は孤立ラジカル機構を含んでおり、反応性の高い代謝的生産物を形成する。それらは、ジヒドロフラビンやジヒドロプテリンもしくはテトラヒドロプテリンである。テトラヒドロプテリンは強い還元剤(E'0=-0.5V)で、光子によって励起された三重項状態では、さらに電子に2.50eVのエネルギーを獲得する。

Fe3+-チトクロームbのような電子受容体の存在下で、励起されたフラビンとプテリンは電子供与体から受容体への電子の受け渡しを触媒する。人工の脂質膜に埋め込まれた親油性リボフラビン派生物は、酸化還元透過物の膜を通した輸送を光を使って行う。

還元された分子の光化学は酸化型の補酵素と違う。励起されたジヒドロプテリンは、電子受容体として機能し、テトラヒドロ形に変わる。還元型のジヒドロフラビン分子の励起された一重項状態は、DNAフォトリアーゼの中で、電子の供与体として働く。励起されたNADHとNADPHは強い還元剤として働く。無酸素化で、それらはフェロドキシンとメチルビオロゲンを還元する。非励起ニコチン酸アミドの酸化還元電位は、-0.32Vでフェロドキシンのそれは-0.43Vであり、メチルビオロゲンの還元の結果できるジヒドロピリジルのそれは-0.79Vである。つまり、還元型ニコチンアミドは光を使って上向き電子移動を行っている。

フラビンとプテリン補酵素は、生物の紫外線(UV-AとUV-B)および短波長可視光に対する生理学的反応を仲介する広い範囲の光子受容体の発色団として働いている。還元型のニコチンアミド補酵素は、ヒドロゲナーゼのような酵素の活動度を制御している。補酵素が結合した光センサーは構造的に異なった、4つの遺伝子族を構成している。最初のグループは、DNA光修復酵素で、UVで損傷を受けた核酸分子の修復を行う。隣り合った(ほとんどはピリミジン)塩基のくっついて二量体となってしまったシクロブタンを光のエネルギーを使って引き離す。その遺伝的相同体であるクリプトクロムは、植物と動物の発達を媒介する色素である。これらのタンパク分子は二つの発色団を含んでいる。最初の発色団は、酵素の活性中心に位置している還元型FAD(FADH2)で、もう一つは光捕獲体である5,10-N-メチール-テトラヒドロ葉酸(MTHF)である。

第二のグループは、菌類の発生を支配するWhite Collar 1(WC-1)感光体や、植物の光制御体フォトトロピンのである。これらはFMNと結合するPASとLOV領域を持っている。フォトトロピンでは、イソアロキサジンの4位の炭素原子のLOV部のシステイン残基の一つへの付加反応への励起FMNの発色団としての関与が示されている。この付加反応が、タンパク質の構造変化を引き起こしている。これらのペプチド鎖は、励起フラビンが駆動する反応で制御されており酸化還元検出タンパクに起源していると考えられる。

第三のグループはLOV(PAS)部位を含むタンパクと同様に、真核生物の硝酸塩還元酵素は、FAD発色団の光化学励起によって制御されている。

最近になって発見された第4のグループは光によって活性化されるFMNを含んだアデニリルシクラーゼである。

これらの4つのグループには、基本構造に共通性がないので同一系統とは思えない。独立に多系統として成立したと考えられる。

プテリジン塩基はプリン塩基と構造が似ていて核酸の構造に取り込まれたときは、対合する塩基と水素結合を形成する。また、フラビンのケトン基とニコチン酸アミドのアミノ基も核酸塩基と対合して水素結合を形成することが報告されている(図2)。生物の誕生時に最初に成立したと考えられるRNAワールドでは、これらの補酵素もRNAの一部として取り込まれRNAの酵素活性の多様化に寄与していた可能性がある。

Kritsky, M.S. and Telegina, T.A., 2004, Role of Nucleotude-like
coenzimes in primitive Evolution, In Origions: genesis, evolution, and diversity of life, edited by Seckbach, J. Springer, 215-230.

カロテノイド合成経路におけるリコペンシクラーゼの進化: Evolution of Licopene cyclase in the carotenoid synthesis pathway

ファイル 272-1.jpgファイル 272-2.jpg

微生物のロドプシンは、膜貫通型のαヘリックスを7つもつオプシンと光感受性のある補因子レチナールの共有結合により作られている。古細菌において、ロドプシンは光で能動駆動されるイオン輸送機構および走行性のセンサーとして働いている。好塩古細菌の一種であるHalobacterium salinarumは、一連のイソプレノイド重合反応で作られるゲラニルゲラニル二リン酸(GGPP)を二つ結合してファイトエンとし、さらに不飽和化反応でリコペンを得る。リコペンの両端を環化してβ-カロテンとなり、それを二分してレチナールを得る(図1)。Peck et al 2002は、古細菌類Halobacterium salinarumでは、リコペンからβ-カロテンへの反応を進める触媒リコペンシクラーゼを、crtYと名付けられた遺伝子が司っていることを明らかにした。また、細菌および菌類の対応する遺伝子があることが分かった。

細菌は対応する遺伝子を二つ(crtYcとcrtYd)を持っている。それらはそれぞれ3つの膜貫通部位を持っている。一方、古細菌のリコペンシクラーゼ(crtY)は、細菌の二つのシクラーゼに対応する部位があり、それをつなぐもう一つの膜貫通部位を加え、7つの膜貫通部位を持つ(図2)。菌類のリコペンシクラーゼ(crtYb)はさらに、古細菌のリコペンシクラーゼにファイトエン合成酵素が結合している。

これらを総合すると、以下のような進化シナリオが考えられる。まず、細菌において、ホモ二量体リコペンシクラーゼの遺伝子重複で、二つの別のリコペンシクラーゼが作られた(crtYcとcrtYd)。次に、それらが一つに融合して、古細菌のリコペンシクラーゼ(crtY)が作られた。さらにこれにファイトエン合成酵素が融合して菌類のリコペンシクラーゼ(crtYb)が作られた。

Peck, R.F, et al. 2002, Identificqtion of a Lycopene β-Cyclase Requiered for Bacteriorhodopsin Biogenesis in the Archaeon Halobacterium salinarum, Journal of Bacteriology, 184, 2889-2897.

膜結合型[NiFe]ヒドロゲナーゼの起源と進化:Origin and Evolution of Membrane-bound [NiFe] hydrogenase (MBH)

ファイル 271-1.jpgファイル 271-2.jpg

電子伝達系の複合体I、もしくはNADHキノン酸化還元酵素(Nuo)は、現生生物の呼吸鎖の一部をなしており、嫌気性微生物のエネルギー保持[NiFe]ヒドロゲナーゼと密接な進化上の関係を持っている(fig 1)。すべての生物の中で、複合体Iのキノン結合サブユニットNuoDは、膜結合ヒドロゲナーゼ(MBH)の中のH2放出[NiFe]含有触媒サブユニットMbhLと最も近い関係にある。MBHは電子供与体としてフェロドキシン(Fd)を、NuoはFdもしくはNADHを用いる。

Schut et al. 2016によると、これらの酵素が共通祖先ARCから進化したと考えられる(fig 2)。MBHは、最も単純な呼吸複合体で、プロトンを還元して水素ガスにしつつFdを酸化し、さらに、放出された自由エネルギーを保持するために膜を通してプロトンを運ぶ。MBHは、5つのサブユニット(MbhJ-N)からなるヒドロゲナーゼモジュールと、9つのサブユニット(MbhA-I)からなるNa/proton対向輸送モジュールからなる。MBHは[NiFe]ヒドロゲナーゼの共通祖先ARCと膜貫通サブユニットが結合して生まれた。それが更に進化して最終的に呼吸鎖の複合体I、Nuoになったと考えられる。

Schut, G.J. et al. 2016, The role of geochemistry and energetics in the evolution of modern respiratory complex from a proton-reducing ancester, Biochemica et Biophysica Acta, 1857, 958-970.

単純なエネルギー生産反応:輸送と結合した陽子の還元:A simple energy conserving system: Proton reduction coupled to proton translocation

ファイル 270-1.jpg

生物は、酸化的リン酸化反応を使って、一連の膜結合電子伝達複合体で陽子駆動力を作り出し、ATPを合成する。そのとき最終的には外部の最終電子受容体を還元する必要がある。Sapra et al. 2003は、100℃の環境が最適に生育する古細菌Pyrococcus furiosusは、それとは少し違った呼吸系を持つことを発見した。それは、膜結合ヒドロゲナーゼ一つのみで構成されている。この酵素は、細胞質性の酸化還元タンパク質フェロドキシンから電子を陽子に渡し、水素ガスを作ると同時に陽子を細胞外に輸送する。このことで細胞内外に陽子駆動力を維持し、ATP生産を可能としている。

このような呼吸系を用いると、グリセルアルデヒド3リン酸の酸化の際に、NADの代わりにフェロドキシンに電子を渡すことで、水素の合成によりエネルギを得ることができる。

Sapra, R. 2003, A simple energy-conserving system: proton reduction
coupled to proton translocation, PNAS, 100, 7545-7550.

ページ移動