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映画評 少林寺

アクション映画列伝(1)
http://www.youtube.com/watch?v=YWFA0Q4ega4
1982年公開の「少林寺」は衝撃的だった。中国武術大会の優勝者が総出演。すべてが本物の体さばきと技と体力。主演のリー・リンチェイはこの映画がデビュー。この人の主演はほとんど見ている気がする。その後ジェット・リーが彼の芸名となった。ちなみに2011年公開の新少林寺は見る影もない駄作だった。

映画評 ボーン・アイデンティティ

アクション映画列伝(2)

「ボーン・アイデンティティ」は2002年公開、マット・デイモンの出世作だったと思う。かつての同僚の殺し屋が、ガラスを割って登場して始まる格闘シーンは、短いが動きが鋭く、目に見えないほど高速で見ごたえがある。米国大使館からの脱出のシーンでも、マット・デイモンの鍛え上げた肉体がアクション全体に真実味を与えている。カーチェースも鋭く激しい。ボーンシリーズは三部作あるが、どれもアクションシーンがすばらしく楽しめる。

映画評 ドラゴンキングダム

アクション映画列伝(3)
2008年公開の「ドラゴンキングダム」はジャッキー・チェンとジェット・リーの二大カンフースターが初共演のカンフー映画だ。とにかく二人のカンフーが素晴らしく、格闘シーンは最高クラスのものが連続。二人の体術とワイヤープレーが高いレベルで融合している。ジャッキー・チェンの酔拳も健在。クライマックスシーンは、ワイヤープレイと特撮に傾きすぎだが、それはそれで楽しめた。ロードオブザリングにオマージュした部分もある。最後の方に出てきた孫悟空が、香取信吾そっくりなのは笑えた。主人公のジェイソンが、次第に逞しくなってゆく。その意味で青年の成長ストーリとしても好感が持てた。

映画評 爆裂都市 BURST CITY

アクション映画列伝(5)
爆裂都市 BURST CITYは、1982年に公開された日本映画である。近未来を舞台としたSFアクション映画で、石井聰亙が監督をしている。暴力とパンク・ロックのパフォーマンスがないまぜになった独特の世界が描かれる。大学を卒業したばかりの監督も、出演したロックバンド(ロッカーズ、スターリン、泉谷しげるなど)も、若さ全開で最初から最後まで走りきったような映画だ。殺陣もシナリオも荒削り(実は詳細は覚えていない)だが、反骨のエネルギーがほとばしっていた。私は、この30年で日本で作られた最高のアクション映画と思っている。

陣内孝則はこの映画が初主演だった。えらくまた生きのいい新人が出てきたもんだと思ったが、そのまま私は忘れていた。今は都会派の個性派俳優としてトレンディードラマなどに出演している。私は反骨エネルギーほとばしる不倒不屈のコマンドー佐々木の演技の方が好きだ。

石井聰亙が久々に監督したSFX大作である「五条霊戦記」(2000年公開)は駄作だった。

映画評 眠れぬ夜のために

アクション映画列伝(6)
「眠れぬ夜のために」は1985年公開の作品である。映画は、不眠症で仕事もうまくいかず、妻の浮気も目撃した不幸な主人公が、どうしても眠れない苦しさに車で街に出るところから始まる。行きずりの美女(ミシェル・ファイファー扮するディアナ)を助けたばっかりに、国際的陰謀に巻き込まれ、飛び交う銃弾をかいくぐり、カーチェイスで逃走し、殺し屋との格闘するといった大騒ぎの一晩を過ごす。騒ぎもひと段落し、疲れてぐっすりと眠る主人公。はっと目覚めるともう陽光あふれる朝。あれ、昨日の騒ぎは夢だったかな、大変だったけどあの美人にはもう会えないのかと思い始めた矢先、通路の向こうからディアナがBBキングの主題歌とともに颯爽と登場。というこのエンディングの爽快感とカッコよさに一票。

お決まりのアクションはそつなくきちんと作られており、その点でも秀逸。たくさんの映画のパロディが隙間なく織り込まれている(らしい)。後から調べると有名監督がたくさんチョイ役で出ている知る人ぞ知る映画でもあったらしい。なぜか歌手のデイビット・ボーイが謎の殺し屋役で怪演。ハリウッドの内輪受け映画だったのかも。

映画評 七人の侍

「七人の侍」は、1954年に公開された黒沢映画の最高峰である。日本と世界の映画の金字塔であることは言うまでもない。野武士との最終決戦。豪雨の中、志村喬演じる勘兵衛が仁王立ちして13騎の野武士を迎え撃つ。近づく馬蹄のとどろき、勘兵衛が弓を構える・・・・。この後の雨の中泥まみれの死闘こそ、映画格闘シーンの白眉である。

同時代史 タキュトス著

西暦68年、暴君として有名なネロが自殺した。それは帝政ローマを全土を覆う泥沼の内戦の序曲でしかなかった。各地の総督がそれぞれの軍隊に担がれて、皇帝になったからである。それらは、ガルバ(ヒスパニア)、ウッテリウス(ゲルマニア)、ウェスパニアシウス(エジプト)である。軍隊では、下剋上が進行していた。将軍が権威を失って兵士のご機嫌をうかがっていた。ボーナスや利権を約束しなければ、兵士により弾劾されて将軍職を解かれ、非難され、処刑された。次に立つ者も同様の道をたどる。当然、軍隊による略奪と私的報復が横行し、市民を苦しめる。権力が次々と交代し、ネロを含めて3人の皇帝が斃れた。上から下まで私利私欲に走り、陰謀、裏切り、略奪、復讐が無意味に繰り返され、多くの市民が殺された。最終的には、ウェスパニアシウスが権力を掌握して、一応の平和が訪れる。

玄米備蓄

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我が家では、有事に備えて米を備蓄している。2010年の春(3月から4月)にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火した。天明の飢饉も、同じアイスランドのラキ火山とそれに引き続くグリムスヴォトン火山の噴火が原因だったとされている。2010年の噴火の火山性ガスの噴出量は、4月終わりの時点で、1784年の噴火の噴出量の最初の部分のそれと同程度だった。私はこれで、2011年は飢饉の年になると踏んで、玄米の真空パックを大量発注し、居間に積み上げたという次第である(写真左)。

幸いにして、2011年の噴火は5月に入ると終息に向かった。一方、1784年の噴火は5カ月続き、さらに別の火山も噴火したので、総噴出量は2011年の10倍に達していたはずである。2011年に噴火が1カ月で終わったのは、我々にとって大変幸いだったと思う。

その1年後に日本で大震災が起こり、いろいろな事件が起こったが、居間に米が備蓄してあって、マンションに立て篭もっても何とか食いつなげるという安心感は大変ありがたかった。その備蓄の最後の段ボールがまだある(写真右、2011年4月20日とメモされている)。

結果的に深刻な食糧不足は起きなかったので、大量の玄米備蓄を我が家は抱えることになった。真空パックした玄米は、ほとんど変質していないと思う。このほとんど4年前の超古古米を未だにありがたく玄米がゆにしていただいている。家に備蓄があれば、いろいろ工夫しておいしく食べるようにするのが人間の性である。我が家では、玄米炊きの炊飯器を買い、家で食べる米は主に玄米になった。玄米は腹もちがよく、研究の合間の小腹がすいたときのおやつに好適である。女房は、お通じが大変良くなったと喜んでいる。実際見事な「大」が毎日定期的に来るのは私も実感している。

チベット旅行記 河口慧海著

漢訳仏典の疑義を糺すため、より原典に近いチベットの仏典を得ることが必要と判断し、当時厳重な鎖国をしくチベットへの入国を決心する。海路カルカッタへつき、万全の準備(語学など)の後、ヒマラヤからチベット国境を超える。あらゆる困難を超えて目的を果たした男。100年前にこんな日本人がいた。

イブン・ハルドゥーン著「歴史序説3」

この巻はビジネス論と学問論前半。いくつか抜き書きする。極めて実践的。きっとイスラム精神の神髄が含まれているのだろう。

「能力がないが信頼できる人」と「能力はあるが信頼できない人」しかいない場合、どちらを雇う方が好ましいか?いずれもそれぞれ利点はあるが、結局は信頼できないが能力がある人を雇う方がよい。能力の点では損害を被ることはなかろうと期待できるし不実については、できるだけ注意して防ぐことができる。

最も良い教育法は算術から始めるべきである、なぜなら、これは明晰な知識と組織的な証明に関係するからで、一般に、それは正しい方法に裏打ちされた、ひらめきのある知性を生みだすものである。人生の初期によく計算の勉強をした人は概して誠実な人になるといわれている。それというのも計算の中には、正しい基礎と自己訓練が含まれているからで、そうした事柄がその人の特性となり、その人は誠実に慣れ、それがしっかりと身につくようになるのである。

われわれの師はよくこう言っていた。幾何学は、ちょうど石鹸が着物に作用するように、心に対して作用する。石鹸は汚れを洗い流し、着物の脂や垢をきれいにするものである。幾何学がそのような石鹸であるのは、前に述べたように、それがきちんとした秩序正しい体系を持つものだからである。

それにしても、すべての法律が立法者=ムハンムド(預言者)の言説からすべての法律が導きだされなければならないとは大変だ。イスラムの意味が少しわかった気がする。

「文明論之概略」福沢諭吉著

1985年(明治8年)という明治維新後早い段階で、西洋文明と日本および中国の文明の比較・分析し、ほぼ正確にそれらの本質をとらえ、日本の進むべき方向を的確に示した本書が出版されたのは、日本にとって幸いだった。

Lost Kingdom of Africa, Gas Caesly-Hayford

西洋中心史観で覆い隠されていたアフリカの先史、古代、中世、近世の帝国とその技術、今なお残るその文化。BBC放送の単行本化したもののよう。そのせいか、参考文献がないのが寂しい。その先に行けないじゃあないか。

映画評 ジョン・カーター

この映画の原作は、E.R.バローズの「火星のプリンセス」で、SFの古典的名作の一つに数えられている。私も中学校の頃に読んで、セクシーなプリンセスの表紙(ハヤカワ)も相まって、胸を躍らせて何度も読んだ小説だ。

興行成績は悪いようだ。実際、私が見た会の客は私一人で、大変贅沢な映画鑑賞となった。実際見てみると、実に楽しめた。ほぼ原作を忠実に再現していて、ドキドキした。演出が懲りすぎてないのも私には好印象だった。少なくとも、演出とCGを懲りすぎてストーリーがダメダメ(Dance with Wolves+Last Samurais/2で何の新味もなかった)だったアバターに比べるとずっと良かったと思う。原作は、さらに何巻も続く。続編を見たいのだけど、興行成績が悪いと駄目かなあ。しり上がりに興業成績も上がっていくと思うのだけど。

トロツキー著 わが生涯

「何が起きているかを理解することは、すでに勝利を半ば確保することを意味し
ている。」トロツキー

吉田松陰著作選 奈良本達也編 読了

明治維新の思想的柱となった吉田松陰の著作集。松陰は、明治維新とその後の日本を語るには欠かせない思想家だ。当時、西欧諸国のアジア進出が進み、すでに清は蚕食されて国の体をなしておらず、日本も遠からず同じ運命を辿る危機にあった。どうやって日本の独立を守るか。彼の思考はその一点に集中する。彼の出した処方箋は、以下の3つに集約されると思う。
1)鎖国をやめ開国して、諸外国と対等に付き合う。
2)海外の進んだ科学技術を学んで、殖産興業、富国強兵に努める。
3)天皇の直下に大学を作り、教員も学生も身分によらずに集めて、上記の核とする。

この処方箋は、今から見ても基本線として正しい(今でも小国が独立を維持するためには同じことをしないといけない)。針穴を通してみる様にしか海外の情報を得られなかった彼の状況を考えると、この正しさは奇跡的であると私は思う。しかし、より具体的な策を立てるためには、この情報の少なさを打開しなければならない。そこで彼は、ペリー艦隊を頼って米国への密航を企てる。彼の思考は常に枝葉を切り捨てて根幹をとらえる。行動はまっすぐその延長線上に置く。全ての些末(自分の命も含めて)は切り捨ててしまう。

密航に失敗した彼は、自首して獄に下った。毛利藩預かりとなった後は、野山獄および松下村塾で教育にまい進する。その中から明治維新の原動力となった若者が輩出する。まことに明治政府はほぼ彼の処方箋に従って行動し、日本の独立を確保した。一方、針穴を通してみた世界の知識で作った彼の思想は、古事記・日本書紀に書かれた古代日本を理想とし、それを彼の思想の裏付けとした(そうせざるを得なかった)。この偏狭さは、明治・大正・昭和前半の日本政府の指導原理に限界を与えたと思う。

歴史にIfは禁物だが、彼の米国密航が成功し、この大秀才が世界を自分の目で見たら何が起こっていたかを、私は夢想せざるを得ない。勉強家の彼は、1年もたたないうちに、世界の歴史とその変動原理の本質を理解し、さらに高い観点から日本を導く指導原理を構築したに違いない。ペリー提督は日本の開国に成功したかも知れないが、大きな誤りを犯したと思う。彼がもし松陰を受け入れていたら、その後の日米関係は、全く違ったものになったはずだ。ここが、歴史の転換点だった。

Longtime Favorites 竹内まりあ

この日曜日、車運転しながらぼんやり山下達郎のサンデーソングブックを聴いていたら、「恋のひとこと(SOMETHING STUPID)」がかかった。竹内まりあと大滝詠一の息の合ったデュエットが素晴らしい。竹内まりあのアルバムLongtime Favoritesから。

Longtime Favoritesは、「サンデー・ソングブック」における夫婦放談を助走に成立したアルバムである。プロモーション資料に
http://www.mariyat.co.jp/pg/promoform.html
にその成立過程が書かれている。単なる「懐かしのメロディ」にならないための苦労と努力があった。その中で、大滝詠一の番組への出演、その後の会食での盛り上がりがあり、このデュエットが実現したと番組で竹内まりあが語っていた。したがって、この番組でこの曲を流したかったという。大滝詠一は一種の変人で彼が歌っているところを見た人は数えるくらいしかいなかったという。彼女はその一人となった。苦労と思い入れの甲斐あって、このアルバムの出来はいいと思う。私のFavoritesである。

サハロフ回想録(下) アンドレイ・サハロフ著

1965年ぐらいから著者は、次第に人権運動に力を入れるようになっていく。ソビエトロシアにおいては、反体制派は懲役や流刑などの迫害を受けた。その大きな特徴は、精神病院への監禁である。たとえば、ジョレス・メドベージェフは、精神病院に監禁された。医師の診断は潜伏性精神分裂病で、生物学と政治学という二つの異なる領域での業績は、分裂した性格の証拠とみなされ、彼の行動は社会的不適応の兆候を示したとされたという。著者によると、これはルイセンコ派を彼の著作で批判した報復であったという。複数の領域での業績が原因で精神病と診断されるとは恐ろしいことだ。私は最近、もともと専攻であるの天文学を飛び出して、地球科学や生物学の分野で論文を書き始めた。きっと私は、ソビエトロシアでは生きていけない。

精神面で異常のある犯罪者のための特別精神病院での管理は過酷だったという。既刑者が看護人になり、殴打は毎度のことだった。治療効果のない、大きな苦痛を伴う薬が、収容者を静かにさせるときや、懲罰の目的で投与される。収容期間は無期だ。これらの病院の実態は、精神病刑務所で、その収容者が正常であろうとなかろうと、通常の監獄よりはるかに恐ろしい存在であると著者は言う。また、著者はいう、「当局が政治目的で精神医学を乱用するのは、被害者の精神に対する直接の攻撃であるゆえに特に危険である。精神病の宣言は、被疑者の気力をくじき、評判を落とし、威厳を傷つける。しかも反駁することは極めて難しい」と。全く同感だ。

著者は人権委員会に参加し、本格的に政治犯の釈放を中心としたソビエトロシアの人権問題にかかわるようになってゆく。その中で有名な「ブレジネフへの手紙」が書かれた。私は大学で第二外国語をとしてロシア語を取った。阪大のロシア語の先生が、その教材として選んだのは、このサハロフの「ブレジネフへの手紙」だった。ロシア語の辞書を引き引きやっとの思いで読んだが、その文章の簡潔さと、頑健な論理は印象に残った。

その後、著者はノーベル平和賞を受賞するが、ロシア国内における変化はなく、KGBの悪質な嫌がらせとの長くつらい戦いが続く。家族を含めたいやがらせ、特に子供の大学への進学の道を閉ざされたのは、とてもいやだったろうし、孫が命の危険にさらされたこともあったようだ。ついには、全ての国家賞がはく奪され、ゴーリキへの流刑となった。KGBの迫害は、ゴルバチョフからの電話までしつこく続いた。この本をシェレメチボ空港の待ち合わせ時間に読んでいた私は、少々薄気味悪くなって、周りをそっと見た。

その戦いの遍歴をみると、サハロフは、まことにペレストロイカの父というにふさわしい人物である。科学者の良心に従って、原理原則を曲げなかった不屈の人だ。

サハロフ回想録(上)アンドレイ・サハロフ著

ロシア水爆の父の回想録。上巻は生い立ちから、大学、大学院での研究生活。水爆開発への参加、その成功とアカデミー会員への特進などが語られる。私としては、論文や教科書でおなじみのロシアの物理学者が、生身の人間として登場し、そのエピソードが語られているのが興味深かった。

ゼルドビッチ相似解やスニアエフ・ゼルドビッチ効果で天文学者には有名なゼルドビッチ博士は、恋多き男で多くの女性と関係を持ち、子供をなしたそうだ。著者との関係は複雑で、多くの共同研究を共にした「親友」ではあるが、著者の反体制化に応じて彼との関係も変化したという。ゼルドビッチの相似解が、水爆のモデル化の努力から生まれたこともよくわかった。

ランダウ・ポメランチューク・ミグダル(LPM)効果で有名なポメランチューク博士とミグダル博士は著者の学位論文の試問担当者だったが、ミグダル博士が当時車を買ったばかりでその運転の練習に夢中で、なかなか審査書類を書いてくれなくて困ったそうだ。ポメランチューク博士の方は学位審査の当日の朝に自宅でやっと捕まえて、審査書類を書いてもらったとか。博士候補者は何処でもどの時代でも大変である。博士の審査に哲学(マルクス・スターリン主義)の審査があり、著者がその試問に落ちて、学位授与が半年遅れたのもこの当時のソビエト連邦ならではのエピソードだろう。

水爆開発の功績で、著者はアカデミー正会員になり、三度の社会主義労働英雄受賞を受賞するなど、学者としての地位をのぼりつめてゆく。一方で、科学アカデミーにおけるルイセンコ学派との対決、核実験の禁止に関するフルシュチョフ首相との衝突などを通じて、次第に政治的な発言を強めてゆく。同時に、宇宙論への興味を深め、バリオン数生成の理論を作っている。

金谷萬六

実家で先祖に関する文書を発見した。以下に書き写した。私の母方の姓は金谷である。萬六は母の祖父、私の曾祖父である。この文書を母に送ってくれた清次は萬六の次男、母の叔父にあたる。清次は私にこう語ったことがある、「親父(萬六)が自分を置いて、一人山に入って行ったことがある。出てきたときに『さあ、帰ろうか』とぽつんと言った。あの時、親父は首をつるつもりで山に入ったのかもしれない」と。

先祖自慢になるかもしれないが、お盆が近いから許してもらおう。文書の性格から脚色があるかもしれないが、その概要は、私が清次、母から直接聞いた話とおおむね一致している。ただし、明治41年から大正2年までの記述の一部に混乱があるように思える。また、この文書が書かれた当時の価値観は、今のものと違う部分があることも考慮すべきである。ただし、記者が金谷萬六に取材して得た感動と尊敬は不変の価値を持つと私は思う。

明治・大正に生きた、金谷萬六は「奮闘進取、不撓不屈」の人であった。昭和・平成に生きるその曾孫は、自分も「奮闘進取、不撓不屈」の人でありたいと願っている。私の曾孫は私をどう評するだろうか。
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この写は大正九年(1920年)大島新聞社が大島郡出身者の動静を記述刊行したものであるが、「金谷家家系図」の作製の際協力された橘町役場収入役池田正彦氏がたまたま安下庄の公民館に保存されていた同誌を発見、父萬六の該当部分を複写したものである。
昭和54年7月11日
金谷清次
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大島郡大鑑
大正九年刊行
金谷萬六君
朝鮮群山金谷鉄工所主金谷萬六君は、血成男子として、もっとも痛快なる性格を有する人物である。その初めて、朝鮮に行したのは、明治二十四年であって、釜山に足を留め、鉄工所職人として勤むること三年。明治二十七年日清の間に風雲動き、月尾島前砲火相見ゆるに至るや、君は、陸軍通訳に志願して従軍したものである。而して二十八年和議成りて後、君は再び仁川に帰来した。帰任するや直ちに鉄工所を開業したのである。而も驚くなかれ当時君の投じたる資本金正に五十銭であったのだ。幸いにして君の物に動せざる卓落の風格、事業は金力によりて行はず、実力によりて行ふという大信念は、よく自家の事業をして盛大ならしめ、開始当年早くも一千五百金の収入を見るに至ったのだから、傑いではないか。

けれ共、天は尚、君をして幸福の人足らしむる事を拒み、翌二十九年病床の人となるをやむなきに至り、前年に得た収益を全部これに投じたる上、尚ほ且つ五百金の負債を生じたのである。唯幸いにも君の知己先輩は、君の人物手腕を信頼して、甚大なる声援を与えたので、この失敗は期年ならずして取り返し、明治30年には、約八千円の利益を収めたから初めて君は郷里に両親を省した。而して、児の錦衣帰郷せるを此の上もなく喜ぶ両親の顔を見て、君も初め安んじたといふが左もあったろう。
明治32年群山開港の年、同地視察に赴き、その地形将来有望なるを察して、其年同地に転じ、農具製造業を開始し、別に朝鮮向き雑貨卸小売商を令夫人経営せしめた。此の両事業は、共に順調に成功し明治四十一年までに、早く既に群山一流の事業家となり、その人望四方を圧し、或ひは商業会議所議員、或ひは民団議員と、各種の公職に推され、群山の金谷として声望真に隆々たるものがあった。人は、此の時代を以って、君の全盛時代といって居る。

群山における君が失敗の因となしたるものは、その山林を購入して、材木の伐採を開始したるにある。蓋し、その失敗たるや、実に不可抗力による天災であって、君が事業を見るの明ならりし為ではない。若し、人の生涯を黄金力にのみ算定するならば、此の点に於いて、君は決して幸福でなく、寧ろ薄幸と謂うべきである。けれ共、男児の世に処し社会に立つ、その真価は必ずしも、黄金の多寡に寄るものではなく、奮闘進取、不撓不屈の大精神を以って、敗るるを悲観せず、勝も亦奢らず、断断固として所信に邁進するの勇気、度量、闘志にあるを思う時、君の如き、正に之れ、男児の真骨頂を有せるものとなしてよろしい。閑話休題、明治四十一年二年の頃の君は、経験ある親族のものと共に、中清南道に山林を購入し、竜山師団司令部建築用材として之が伐採を開始した。君が不幸の因は端をここに発したのである。

山林伐採の真最中、当時有名なる大洪水が起こった。中南初まってと言はれるほどの大水であった。群山沖合の海上には材木が水に流されて点々と浮流して居る、之を発見した君は直ちに自家伐採中の山林の現状を憂ひつつありしに、果たせる哉、当日迄に伐採した材木三十万才は全部流失したといふ報に接した。更に引き続いて暴徒の襲撃に遭ひ、約二千円を強奪された。天災の至ること、かく打ち続いたので、君は断然山林伐採を中止に決し、雇ひ込みたる職人には、一人百円づつの涙金を渡して事業中止を宣告したものだ。ところが職人等は、切に君の再起を奨め兎にも角も残れる材木の伐採を継続せんことを主張するので、君も意を代へ、再挙を計った所が、再び洪水に見舞われて亦た起つに能はざるに至った。山林に経験ありし君の義兄が、一朝病の為にこの世を去る等、君の周囲は、実に呪はれたるが如き形である。此の間に君が大なる負債を負ふたること勿論。

当時、君の全財産は約六万円と評価されて居た。君は此の全財産を投げ出して負債の償却に充てた。湖南有数の名を勝ち居たりたる金谷鉄工所の整理はかくして大正六年より初まり、その全く終了したる大正二年二月であった。整理の終了と共に、君は全く一切の責任を果たしたるものとして、さらに活躍の舞台に人となった。昨年迄は、一流の紳士として、一流の神商として、その一挙手、一投足、地方に重きをなしたるのであるから、人情の常から言えば、到底、身を落として活動するてう事は出来難いのである。全盛から落魄、極端から極端に走りながら、君は再び群山で活路を発見すべく、身自ら槌を取って、多年経験のある鉄工事業を初めたのである。これが大正二年の三月で負債整理を終了した翌月である。物に拘泥せざる此の態度、毀誉に超然たる此の風格、正に男子はかくあるべしとは、君を知るものもの、等しく痛感したる所。君が爾来思はざる知遇を友人並に先輩より受けたるは職として之に因るのである。

げに、君が自ら槌を取って立ちしよりといふものは、一日の就眠時間二時間乃至四時間を出でない、一日に少なくも他の三日分位の仕事をしつつある。之は現在も尚然りであって、同地にある山口県選出代議士坂上貞信君の如きは、大ひに之を壮とし、偉とし、君を鞭撻、激励して、声援助力したものだった。

此の大努力、大奮闘は、今や君をして再び成功の彼岸に達せしめんとしつつある。往年の黄金時代を出現せしめんとしつつある。君は之を以って、先輩知己の知遇に之れ因ると言ふて居るけれ共、君自身に偉大なるなくんば、到底能はざるのである。

君は日良居油良の出身、男児の気風を有せる一人者として推どうするに憚らない。切に自重を祈る。

七世紀初頭の気候寒冷化と隋の崩壊:Global Cooling in the first decades of the seventh century and the collapse of the Sui dynasty in China

気候寒冷化期は、年々の気温変化が温暖期の数倍となり、ちょっとだけ平均気温が下がる。農作物は、冷夏と干ばつで不作の連続となる。それに戦乱の害が追い打ちをかける。これが朝鮮半島に侵略した隋を直撃した。
日本においては、622年に聖徳太子が、626年に聖徳太子とペアを組んで政治を主導した蘇我馬子が病没する。日本書紀の記述では、その記事に続き天変の記録が続く
「六月に雪ふれり」
「三月より七月に至るまでに、霖雨ふる。天下、大きに飢える。翁は草の根を喰らひて、道の垂に死ぬ。幼は乳を含み手、母子ともに死ぬ。」
「夏五月に、蠅有りて集まる。其の凝り累るること十丈ばかりなり。虚に浮かびて信濃坂を越ゆ。鳴る音雷の如し。すなわち東のかた、上野国に至りて自らに散せぬ。」
最後の記述は、イナゴの大群であろうかもしくはウンカのことか。いずれにしろ、うすら寒い、梅雨が終わらない夏に害虫が追い打ちをかけるという日本の飢饉の年に見られる典型的なパターンが見て取れる。
歴史に学び、飢饉に備えなければ。
七世紀初頭の気候寒冷化と隋の崩壊:Global Cooling in the first decades of the seventh century and the collapse of the Sui dynasty in China

Shinto The Ancient Religion of Japan W.G. Aston

1907年にReligions: Ancient and Modernシリーズの一冊として書かれた本。古事記や日本書紀の神話記述を中心に、日本の神とその信仰をまとめている。戎神については、イザナギ、イザナミの最初の息子たるヒルコに位置付けている。日本神話のおおむね正しい英語での記述が、100年以上前に存在したことは敬意を表するべきだ。英国人はすごい。ただし、記述は通り一遍で、日本独特の御霊信仰に関する踏み込んだ記述はない。天神は「勉強と書道の神様」とだけ記述されている。熊沢長範(大盗賊で義経を襲ったが反撃されて殺された)や西野文太郎(森有礼暗殺犯)などの犯罪者も信仰の対象になっているのは変だとの記載がある。

科学の解釈学 野家啓一著

久々に科学哲学の本を読んだ。20世紀後半における科学哲学の巨頭、クーン、クワイン、そしてウィトゲンシュタインの業績の紹介とそれをもとにした著者自身が主導する「知の共和制」の提案について紹介している。少々過激だが、以下に書評を書く。諸賢の批判を仰ぎたい。
クーンのパラダイム論はあまりにも有名だ。パラダイムは、ある集団の成員によって共通して持たれる信念、価値、テクニックなどの全体構成を示す。彼は「パラダイムの交代」を「科学革命」とよび、二つのパラダイムの間の交代は「証明」ではなくてむしろ「改宗の問題」であると主張し、新しいパラダイムと古いパラダイムの間には優劣はないとした。

彼の主張の前半、つまり科学史の展開を「連続的な単線的進歩」ではなく、「パラダイム間の断続的転換」と捉える科学史観に、多くの科学者は合意するだろう。一方で、二つのパラダイム間の転換を「改宗の問題」ととらえ、二つのパラダイムの間に優劣はないとする後半の主張は、私は納得できない。パラダイム転換の例としてよく挙げられるニュートン力学から一般相対性理論への科学革命については、後者が前者を包含する数学的な構造を取っている。両者の間の時間、空間、質量などの概念に大きな変化はみられる。筆者はそれを全く違う概念の導入だと勝手に断定している。したがって、両者の比較は不可能で優劣はつけられないというのだ。これは多くの物理学者の意見とはかなりかけ離れていると思うし、何を根拠を持つのかわからない。少なくとも私は納得できない。というのは、20世紀後半から21世紀にかけて提案された、多くの一見奇妙な理論(多くはすでに棄却されたが、まだ生き残っている理論体系がある)に比べると、その差は大したことはなく、双子とは言えないまでも、親子ほどには似ていると私は思うからだ。それが、多くの理論物理学者の実感ではないだろうか。いったい、哲学者は、そのような新しい展開を知っているのか?

次に、クワインの全体論の解説とその帰結について書かれている。そこでは、論理関係や因果関係までが疑われ、すべてが相対化されて、知のネットワークが、総体として経験と比較されつつ発展するという論理構造を持つらしい。諸量が強く相互作用する系では、因果の連関は複雑に絡み合い、ある時は循環し、分岐し、また融合している。このような系は、20世紀後半から進歩した、非線形(複雑系)科学によって何とか扱うことが可能になった。これにより、科学は階層性を持ち、因果が輻輳する複雑な系を記述する手法を曲りなりに手にしたと思う。クワインの理論は、それに刺激を受けて、もしくは刺激を与える形で発展したものかもしれない。何もかも疑い否定することで、物理学から芸術や音楽までの連続したものとしてとらえて諸学と知を統合したかに見える。しかし、その結果何が得られたのか私にはよく分からなかった。何でも統合した結果、何物でもない、何をするにも役に立たない空疎な理論体系があるだけではないのか。

クワインが最終的には科学が諸学を主導するという結論に至ったのは、当然の帰結だと思う。しかし、筆者はそれを「科学の専制」とみなし、「知の共和政」の確立を夢想する。いったいそれは何なんだろうか?「知の衆愚政治」とならないことを祈るばかりだ。

また、本書の最後の部分はウィトゲンシュタインが哲学を言語科学、認知科学の問題に帰するとした結論が書かれている。哲学の諸問題は、言語と認識にまつわる混乱によるとした一連の考察は確かに衝撃的だ。哲学の諸問題は、一枚の絵がアヒルに見えるか、ウサギに見えるかのアスペクト転換の問題に近いとしたのだから、身もふたもない。哲学は、これほどまでに落ちぶれてしまったのかと、一哲学ファンとしてはちょっと情けなくなった。

なぜ、こんなに落ちぶれてしまったのだろうか?私は、哲学者全体の怠惰さが原因だと思う。本書で議論されるのは、20世紀初頭に終わった、ニュートン力学から、相対論、量子論が生まれた科学革命がほとんどだった。その後おこった、大きな科学の進歩と変化は、中山茂の「制度化された科学」でひとくくりにされているのみだ。その間、上に書いた非線形科学のほか、ゲノム科学の大発展、手法としての数値シミュレーションの発達、インターネットによる科学の変貌などが起こっている。科学哲学的には重要な示唆に富むこのような変化に関心を持ち、取材や考察を繰り返して、新しい情報得てさらに手法を開発しなければ、進歩は止まってしまうと私は思う。かつてクーンがやったように。その努力は果たして十分だったのか?

本書の腰巻に「科学は万能なのか」との問いかけが書いてある。私は、この問いに以下のように答えたい「もちろん万能ではない。でも、科学に頼るしかないではないか、哲学がこの体たらくでは」と。哲学者のみなさん。頑張ってください。

母親が両膝の置換手術を行いました。

長年の懸案でしたが、本人がどうしても嫌がって実現しませんでした。一昨年の韓国旅行から母の行動をみると、膝の痛みが急速に悪化しているのがわかりました。早晩歩けなくなると判断し、説得しました。手術を受けるなら両足同時にしたいとの希望を受けて、東京葛飾の新葛飾病院を紹介してもらいました。ここは、濱先生という名医がいて、多くの膝関節置換手術を施術しています。濱先生との相談の結果、本人の年齢(80歳)を考慮して、二週間ずらして右左の連続手術となりました。

1月の下旬から3月の下旬までの2カ月入院。その後、病院の近くのウィークリーマンションに滞在して、リハビリに励みました。新葛飾病院は、たくさんの症例を得てスタッフが経験豊富でした。また、リハビリスタッフの士気が高く、非常に充実したリハビリを施していただきました。おかげで、術後の回復は順調で、4月の終わりの今は、杖もつかずに歩き回れるほどになりました。階段の上り下りはまだ怖いようですが、普段の生活には支障がありません。一昨日、東京から下関まで連れ帰ったところです。

母はこれで一人暮らしを続けることができそうです。母の苦労が多かった人生の最後の部分がこれで充実したものになるといいと思います。それを可能にしてくれた、濱先生をはじめとする新葛飾病院のスタッフのみなさんと医療技術の進歩に感謝したいと思います。

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄 ヘンリー・S・ストークス著

タイトルがこの本の趣旨のすべてを物語っている。丸山 瑛一先生のFB上での熱心な勧めにより読むことにした。以下に興味深かった点をまとめてみたい。

従軍慰安婦問題について、韓国の一部の方が主張する性奴隷説は全くの間違いで、セックスサービスに対する対価を受け取る職業人:娼婦であった、という結論には説得力があった。太平洋戦争中に米軍がとらえた朝鮮人軍属が尋問に対して「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦は、すべて売春婦か、両親に売られたものたちばかりである。もしも女性たちを強制動員すれば、老人も若者も朝鮮人は激怒して決起し、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう。」と答えたという。同じことが日本に起こったら、同様のことが起こるだろう。さて、当時の韓国ではどうだったのだろうか?

犯罪的行為や不公正が全くなかったとは思わない。たくさんの悲劇があったろうことは、日本における娘の身売り話の悲劇を聞いても想像ができるので、同情したい。ただ、それを国家間の問題として一方的に日本が非難されるいわれはないように私は思う。

今、韓国は日本をしのぐほどの経済繁栄を謳歌している。一方で、日本の風俗街における韓国人女性のシェアはいまだにかなり高い。彼女たちがどのような経緯で日本の風俗産業で働いているのか私は知らない。現代日本も、将来この点で非難され賠償要求をされるのだろうか?そうであれば、残念ながらみなさん韓国に帰っていただくしかない。日本の繁華街が寂しくなるのは残念ではあるが、、、。

著者は、東京裁判は勝者が敗者を裁いた復讐的もので、国際法上も正当性を欠くと主張している。その主張には説得力がある。現在、靖国神社におけるA級戦犯の分祀問題がクローズアップされてきた。この議論をするときには、A級戦犯たちはどのような経緯で裁かれ、それは当時の国際法においてどのような根拠を持っていたか、また彼らに対する判決が、現在の価値観に照らしてどう評価できるかも一緒に議論すべきだと思う。その準備のために、東京裁判の記録を読まなければならない。

著者は、三島と親交があり、三島に心酔しているようだ。彼の行動と思想についてはかなりのページを割いて述べている。しかし、私には三島の思想を理解できないし、その行動に正当性は見いだせなかった。我々日本人は、三島が理想とした「美しい日本:国体」を忘れてしまった哀れな人間なのだろう。時間ができたら彼の書いたものをゆっくり読みたい。三島は小説家だ。彼を理解したいなら、小説家としての彼にまず対峙することから始める必要がある。

著者は、金大中を韓国の歴代大統領の中で最も腐敗した政治家であったとしている。彼はノーベル平和賞をとったし、少なくとも不遇時代は清廉で勇気ある政治家だったと思っていたが、違っていたかもしれない。著者は彼を支持する記事を書いたことがあり、ジャーナリストとして不明を恥じると率直に語っている。確かに大統領になってからは、かなりの汚職を起こしたと聞いている。これは別途勉強して自分なりに判断したい。

祟られるということ

昭和初期から終戦までの20年間、日本は悪霊にでも祟られているかのように打つ手打つ手がすべて悪手になり、良手になりそうな芽はことごとく途中で諦められて不完全に終わるということが続きました。こういうときは、組織が持っている価値観というかパラダイムが現実に合わなくなっていて、努力はしているのに、その方向が全く見当違いである場合が多いと思います。何かに祟られているという状況は、組織の大部分のメンバーが、何か重要な因子を忘れている状況であると仮に解釈してみましょう。

戦後日本は経済発展に邁進し大きな成功を得ましたが、平成に入ってからバブル崩壊に始って経済の不振が続き、地震などの大きな災害を受けて社会が曲がり角に来ています。また、経済発展を背景に中国の覇権主義は明らかで、これまでのように平和を唱え、戦争破棄と言っているだけでは国を失うかもしれない可能性がでてきました。今まで我々が持ってきた価値観がこれでいいのかを考え、次の百年を生き延びるパラダイムを真剣に問う時期に来ています。つまり祟りを恐れる状況は十分にあるということです。

一方、米国も9.11以来、アラーの神に祟られているかのように、いろいろなことがうまく行きません。政治、経済、学問における指導力の低下は目を覆うようです。米国も何か大事なことを忘れている可能性が高いのです。

今の中国は、なんだか昔の軍国日本を見るようで、中国こそ昔の日本の軍国主義の悪霊に祟られてるんじゃあないかと言いたくなるほどです。
このように見てくると、日本が再び中国、韓国、米国、ロシアと直接対峙しなければならなくなった今、戦前の昭和日本の政治指導者たちが何を考えてどう行動したかを研究し理解することは、非常に重要です。少なくとも私はそう思います。そのためには、彼らを断罪する立場にたつのではなく、同じ目線に立って、彼らの思想と行動を冷静に評価しなければなりません。できれば召喚してインタビューしたい。それは無理なので、彼らがおかれた状況をできるだけ調べて、そこに自分を置き、自分なら何ができたか、できなかったかを真剣に問わなければなりません。その時、インタビューの相手の口を開かせるには、気難しい老人に接するように、礼儀正しく接し、恐れ敬う態度を示す必要があるのではないかと私は思います。その最初の行為は、ゆかりの神社に行って参拝することであろうと思います。彼らを理解し、喜びと苦悩を人間として分かち合うことこそ、彼らの魂を慰めることだと思います。これが、彼らの思想と行動に従うことと、明解に違うことは言うまでもありません。A級戦犯をはじめとする戦前の昭和日本の指導者たちこそ、この行為の対象になるべきことも明らかだと思います。

その上で、何が正しくて何が間違っていたかを深く考え、彼らの評価を自分なりに定め、今の日本に当て嵌めて行動することが私たちの役目だと思います。

海を隔てて、中国、韓国、米国、ロシアと外交戦、神経戦を展開している日本の首相とそのスタッフには、そのような準備と心構えを持っていただきたいと思います。それが、靖国の祭りごとをするという意味だと思います。

天皇制と祟り神の政治的効用

日本の天皇制は、内乱による悲惨な市街戦による国民の被害を最小限にとどめるのに重要な役割を果たしてきた。天皇はサイレント・マジョリティたる無辜の民を代表する機能を持っている。内乱が起こったとき、最も有力で無害そうな権力者を選び保護を受ける。その際に、無辜の民(ご本人とその関係者も含めて)の安寧を約束させてきた。それ以外のことは政治に口出しせずに、権力者の意向に従われるのが、ほとんどの天皇の立ち位置だった。一方、権力者の方では、天皇の綸旨を使い、官軍を名乗ることで政治的に有利な位置を確保し、日和見・中立派の支持を得て、賊軍としてのライバルを圧倒できた。このご利益があるので、天皇のご意向は少なくとも形においては尊重された。国のトップレベルの政治において、「無辜の民の安寧」に関する心配が常に議論され約束されて続けてきたことは、たとえ、それが形の上だけのものとしても、日本政治の美質として高く評価されるべきだと思う。

結果として、日本においては内乱が比較的早く終息する。南北朝時代や戦国時代は日本の長い歴史の中では例外に属する。近い例では、明治維新における幕藩体制から明治政府への移行、太平洋戦争の終結時の例がある。どちらにおいても、国内における戦乱の短期化に天皇制が果たした役割は大きい。

一方で、賊軍とされて圧倒された方は、実力以上に貶めらることになる。彼らの側の主張にも少なくとも一分は、もしくは全面的に理があったかもしれないが、それは返り見られないことになる。彼らは、内戦を最短化するという「全体の福祉」を実現するための犠牲者と考えることができる。また、天皇制のおかげで、権力者は政治的に抜群の安定を得る。そのために保守に流れ、必要な改革がなおざりにされがちである。
これらの不都合を補完するために考えられたのが、政治的敗者の祟りを恐れ、それらを神として祭る御霊信仰だったかもしれない。政治的な衝突のほとぼりが冷め、その勝者の権力にも陰りが見えたころ、天変地異や疫病の流行が政治的敗者の祟りによるとされ、その荒ぶる霊を慰めるための神社の勧進が発議される。このような主張は、超常的な能力を持つ祟り神に関することなので、権力側も弾圧が容易ではない。日和見して中立を保ち、天皇の帰趨に従って官軍側についたものたちは、政治的敗者に少々後ろめたい思いがある。そういうものたちによって、「xxは天皇の忠実な臣下であったし、その行動のすべてが悪かったわけではなかった。このままではかわいそうだ」というとりなしがなされる。そのようにして、敗者の主張は一部認められて、必要なら改革がなされる。また、その子孫か係累者が探し出されて、神社の神官として扶養されるようになる。こうして、政治的敗者の集団が名誉回復されて、今後の国政への参加が可能となって体制化を果たすのである。結果として、権力側の体制も強化される。このような巧妙な仕組みが、日本社会の安定に果たした役割は大きいと思う。

超常的な神の祟りを梃子にして、政治改革を行う手法の例は、日本以外にもある。典型的なものは、旧約聖書に書かれる師士たちである。彼らは、周辺の強国の圧力や、作物の不作、疫病の流行は、権力者らの堕落と不正に対する神の祟りであると主張した。それを梃子に民衆の支持を得て政権を奪取し、国の改革を指導した。日本の祟り神の起源は、中東に起源しているのかもしれない。多くの記紀神話の原型が中東に見られるのは、多くの学者が指摘するところだ。

Why the prime minister of Japan must visit Yasukuni shrine?

As summer approaches, the visit of prime minister Abe of Japan to Yaskuni Shrine will become discussed in world wide. I noticed the possibility that the foreign people are likely to misunderstand the meaning of his visit completely. I would like to alarm it accordingly.
Usually, the aim of the visit is translated as "worship". Probably this is one of the reason of the misunderstand. In other words, they suspect if Mr. Abe wants to anew militarism of Japan following the war crimes, who are enshrined in Yaskuni shrine. I, however, am very sure that it is not true. As he always explain in Japanese, his aim is to mourn the deaths and ease the spirits of the persons who got usual deaths in a series of wars of Japan in the last 150 years. The war crimes must be included in the list. Although Japanese can immediately understand what it means, foreign people, in particular, Christians, seams to have a difficulty to understand it. We Japanse must explain it carefully and politely.
From ancient times, Japanese have thought that the spirits of the persons who got unusual deaths (by disasters, wars, and political collisions) remain in the world even after their deaths and cause bad things such as epidemics, disasters, famine, or wars. A large fraction of Shinto shrines in Japan are dedicated to ease them and work as containers to enclose those unhappy spirits safely. Once a year, they are brought out from the shrine buildings still kept inside of an ark, Mikoshi. They get wild to release their energy stored during the year.That is the festival of the shrine, called Matsuri in Japanese. The frustrations of the people are also relaxed by this vilent actions. Japanese people, who are polite in normal state, are become very wild or violent in Matsuri state. It is one of the important function of society to keep its peace in Japan.
If the A-class war crimes in Yasukuni shrine would torment the current Japan, I would imagine it will be most likely the recovery of Japanese militarism. Our wish is "No, we do not want it at all. Never wake-up. Please sleep silently, here". I believe that the politicians, who want to visit Yasukuni shrine, also have similar desires in their minds. In this very reason, he want to visit Yasukuni shrine. Japanese people also support them, even unconsciously, since Japanese recognize the most important work of politicians is such cares of the spirits (Matsuri-goto). We use this word as "politics" in Japanese. In order to take care of the spirits of A-class crimes including the past prime minister, an equivalent class of person must work for that at least.
We must explain our spiritual dynamics instead of taking emotional reactions against criticism from foreign peoples, otherwise no one understand it. My foreign friends told me that this is very special and almost unique in the world. Our explanation must be very careful, otherwise they think it is just an excuse for militarism movement. We also have to declare that we Japanese shall oppose against any militarism and protest against any movements to colonise countries in the world as the storing countries (Western countries, USA, and Japan) did before world war II.

映画評:Get Smart (2008)

007映画のパロディで、人気テレビシリーズの映画化作品である。パロディでありながら、アクション・格闘シーンの質と荒唐無稽さでは本家をしのぎ、ヒロインのアン・ハサウェイが美貌と美体が素晴らしい。お色気サービスも満載で楽しめる。最近のボンドガールは、これらの点も今一なのに比べると好対照だ。主演のSteve Carellのとぼけた味もなかなかいい。どうせ荒唐無稽なスパイ映画を作るなら、深刻ぶらずにいっそコメディにしてしまえという割り切り方は、成功していると思う。娯楽作品としておすすめ。

映画評 Ek Tha Tiger (English: Once There was a Tiger) 2012

ボリウッド制作のスパイ映画。まず、工事の足場やテーブルなどの身近なものを使ったアイデアに溢れたアクション・格闘シーンが素晴らしい。主演のサルマーン・カーンは、動きにキレがあって格好いい。ヒロイン役のカトリーナ・カイフは、どこまでも美しい。中盤はヒーロー、ヒロインの甘酸っぱい恋愛ストーリーが占める。さらに、ボリウッド映画お約束の群舞シーンがミュージカル風に挿入されている。ここではヒロインの美貌と美体が堪能できる。ヒーロー・ヒロインがそれぞれが属する敵対するスパイ機関から、駆け落ちし逃げた場所はキューバである。そこでの新婚旅行シーンは、美男美女を配してとても美しい。クライマックスは手に汗握る。スパイ映画としては異色の構成だが、男の子の夢を全部満たすという意味では、間違っていないのだろう。楽しめた。カーンが映画の中で常に身につけているスカーフを買いたくなってしまった。

Dune Messiah

10年かかってやっと読了。フランク・ハーバートのDuneの世界観は深い。前半は、伏線だらけでどこに行くのかわからない。最初の100頁で挫折を繰り返していた。今回は、片道24時間をを超える長旅で克服。後半は一気読み。いつになったら追いつくかな?

映画評 Gangster Squad

ショーン・ペンが、敵役のギャングの親分ミッキー・コーエンを迫力満点で演じている。すごい役者だ。ジョン・ブロリンが武骨で不屈のアメリカ男を好演。

人類哲学序説 梅原猛著

筆者は、日本に「草木国土悉皆成仏」という固有の偉大な思想があり、西洋合理主義を超えて現代文明を救う可能性がそこにあると説く。確かに、地球に多すぎるのは二酸化炭素ではなく、人口である。二酸化炭素を減らしても、人口を減らさないと環境破壊は止まらない。人間中心主義を超克し、しかも人類の福祉を向上させる道は本当にあるのか?の答えは、まだこの本でも提示されていない。

戦争の技術 マッキャベリ著

マッキャベリは、当時蔓延していた傭兵雇用を批判し、古代ローマの軍制にならって、歩兵を核とする市民兵の制度を提案する。それは、近代的な国民軍の思想的な支柱となった。

円の誕生 近代貨幣制度の成立 三上隆三著

幕末の開国で大規模な金貨の流出による経済的混乱が発生した。倒幕して日本の実権を握った明治政府は、早々に貨幣制度の整備を迫られる。不平等条約を押し付けた列強との厳しい通商交渉を進めてきた日本は、海外との通商に耐え、国内経済に大きな支障を与えない貨幣制度を模索し、ついに明治4年新単位「円」の誕生させるに至る。これにより、日本の世界経済へのスムーズな参入が果たされた。

子育てと年金

既婚・未婚を問わず、育児をした人には、年金その他が手厚くなるようにすべきだと思います。子供が産めない、もしくは生みたくない人(夫婦)は、国内外から養子を取って日本人として育てていただく。年金の財源は平均的には人口に比例するので、次世代の日本人の増加に貢献した人にこそ、手厚い年金が支払われるというのは筋が通っていると思います。

これと関連して、海外から養子とることをもっと奨励してはどうかと考えます。実子は選べませんが、養子は選べます。よく見てこれはと思う子を養子にして、実子と一緒に分け隔てなく育てるのでです。日本人に育てられた子は、日本人になり、しかも生国との良い架け橋になってくれると思います。こういう国際養子が増えると、日本の社会は、良い意味で根底から国際化されると思います。

鉄から読む日本史 窪田蔵郎著

鉄を制するものが天下を制する。鉄器の輸入から始まった鉄の利用は、武器、農具に広がり国の経営になくてはならないものになっていった。岡山県、島根県では、他の地域に先行して砂鉄を使って国産化が進む。やがて、鋳造鍛錬技術の精華である日本刀や、戦国時代を制した鉄砲が作られるようになってゆく。製鉄技術は、宗教と密接に結びつき、荒神、金神、八幡信仰、稲荷信仰など、日本独自の信仰と習俗を生み出した。本書の後半には、鉄穴流しによる砂鉄の採取、タタラ製鉄の実際が具体的に記述されていて興味深かった。

積み過ぎた箱舟ーカメルーン動物記 ジェラルド・ダレル著

1947年の著者のカメルーンへの野生動物採集旅行の顛末を書いた本である。カメルーンの密林とそこに住む珍しい動物たち、そして原住民に対する筆者のあふれるほどの好奇心と愛情が伝わってくる好著だ。採集したサルたちも飼われている間にダレルを大好きになってしまったのか、彼と友情に似た心の交流を示しているのは興味深かったし、楽しかった。まるで動物の言葉がわかるドリトル先生の物語のようだ。

カメルーンは、ゴンドワナ大陸が南アメリカとアフリカの二つの大陸に分裂したときの湧昇点の一つでおり、カーボナタイトを含む超アルカリマグマの火山活動が今でも継続している。その点で東アフリカ大地溝帯に類似の進化のホットスポットである可能性が高い。ダレルが採集した珍しい動物は、その産物かもしれない。

Prelude to Foundation, Isac Asimov著

アシモフによるSFの傑作ファウンデーション三部作の序章として、後で書かれた作品である。ファウンデーション三部作では、銀河帝国が崩壊した後、長く続くはずの戦乱に満ちた暗黒時代を短縮するために科学技術の粋を集めたファウンデーションという組織を辺境の惑星テルミスに設置するという設定になっている。ファウンデーションはハリ・セルダンという数学者が創始した心理歴史学(psychohistory)という理論的枠組を用いて、銀河帝国最後の首相となったセルダンの主導で企画されたという設定になっていた。

本書は、若いハリ・セルダンが心理歴史学のアイデアを、銀河帝国の首都惑星トランターで開かれた学会で発表したところから始まる。社会の動きを規定する法則を与え、その予言を原理的には可能とするかもしれないという彼の発表は、銀河皇帝の興味を引き、会見が行われる。彼の専制統治の強化に利用したいという皇帝の希望に反し、セルダンは、これは純粋理論は、政治に適応することはできないという彼の見解をはっきり述べる。社会の動きはそれを構成する非常にたくさんの個人の行動の総体で決まるが、もしそれを規定する法則が見つかったとしても、ある時点ですべての人間がどういう状態にあるかを知るのは、不可能だということがその根拠である。それを聞いて皇帝は興味を失うが、彼の政治ライバルに彼の理論を利用されることを恐れ、彼を拘束しようとする。かろうじて皇帝警察の手を逃れたセルダンは、首都惑星トランターをめぐる逃避行を始めることになる。

彼の逃避行を助けるヒュミンは、心理歴史学の政治への適用が不可能と頑固に言い張るセルダンに対し、銀河帝国が衰退し始めていることを説明し、その衰退を食い止めて銀河帝国の人民全体の幸福のために適用可能にする努力をするべきだと熱心に説く。そのような退行的な学者の態度も、銀河帝国の衰退の一つの側面だともいう。この議論は、ともすれば社会への還元を嫌い、自分の興味のみの世界に退行しがちな基礎科学者にとっては耳の痛い話だ。ヒュミンの熱心な説得にしぶしぶ合意したセルダンは、解決の突破口がみつからずに悩み苦む。しかし、逃避行中にさまざまなコミュニティを経験したセルダンの頭の中では、次第に問題解決へのへの糸口が形を作り始める。どんな卓越した科学者も、新しい理論を構築する時には、おそれ、おののき、苦しみ、煩悶する。その産みの苦しみが詳細に丁寧に記述され、この物語の重要な構成要素になっていることは、素晴らしいと思う。

この作品は、ファウンデーション三部作と、ロボット三部作などのアシモフの他のSF作品とをつなぎ全体として大きな作品世界に統合する要として書かれたもののようだ。それらがどう統合されるのかは、読んでのお楽しみ。

フランス・プロテスタントの反乱 カミザール戦争の記録 カヴァリエ著

フランス絶対王政の最盛期を画するとされるルイ14世が、プロテスタントの信仰の自由を保障したナント勅令を破棄して、プロテスタントの弾圧を始める(1685年)。弾圧に耐えかねた南フランス、セヴォンヌ地方の農民たちは、ついに1702年に信仰の自由を求めて蜂起する。カヴァリエは、カミザールと呼ばれた蜂起軍の軍事指導者の一人である。彼らは、ゲリラ戦のお手本のような戦い方で、10倍するフランス正規軍と2年間戦う。しかし、海外からの援助も遅れ、次第に追い詰められてゆく。カヴァリエは、体制側と交渉の道を探り、信仰の自由とプロテスタント政治犯の釈放の同意に一旦は至るが、ルイ14世はそれを認めなかった。やむなく、フランスを出国する。その後、オランダ、イギリスなどの援助を得ようと努力するが成果は得られなかった。寛容王令により、フランスにおけるプロテスタントの弾圧が終わるのは、フランス革命直前の1787年を待たねばならなかった。

このカミザールの戦いは、絶対王政に対する民衆の抵抗の始まりを画するもので、後のフランス革命の遠い前駆をなすものである。

心の仕組み スティーブン・ピンカー著

進化心理学という分野がある。人類の進化の中で、心がどのように発達してきたのかを調べる学問である。ピンカーは、進化心理学の旗手の一人とされている。この本における彼の主要な主張は、「心は、狩猟採集生活に適応するために進化してきたニューラル・コンピュータである」ということだ。人間は、狩猟採集生活を通じて「自然物」「生物」「自分の運動」「相手の心理」「論理」「数」などを取り扱い、その次の動きを予測するための「モジュール」を発達させたという。個々のモジュールは、ある程度独立して働きゆるく結合されている。このようなニューロンベースの演算システムの総体が心だとピンカーは主張している。
この理論をベースに、人間がなぜ家族関係、愛、夫婦、友情、宗教、芸術などを持つのかが、進化心理学的を使って説明されてゆく。その説明にはかなり説得力がある。一方で、これらをどれだけ科学的に証明できるのかについては、著者の主張を全部鵜呑みにはできない気がした。心理的な実験は、セットアップによってどのような結論でも出せる部分があるからだ。実際、本書のなかでも、人類学の初期の研究の重要な部分に、研究者の思い込みによるバイアスがかなり入っていたことが語られている。

一方、もし、心がたくさんだが有限個のモジュールが緩く結合したニューラル・コンピュータだとするならば、それらをシリコンベースで実際に作ってみて、どこまで人間の心理を再現できるかを確認して行く実験も可能だという気もしてきた。

情報理論 甘利俊一著

情報理論の基礎を扱った好著。第一章で、あまりにすらすらと情報エントロピーが導き出されるのは驚きだった。その後の章で、通信に関する情報理論が展開され、著者の代表的仕事とされる情報幾何学のとば口まで導かれる。講義録を起こしたものらしく、著者独特の語り口が残っていて名教授の名講義を聞いている気分が味わえる。各説の最後に置いてある「雑談」は、情報学の考え方や方法論を著者なりの解釈で伝えるもので、大変参考になった。

このところ、生物進化の理論を作っている。繁殖は交配を通じた次世代へのゲノムの通信とみなせるかもしれない。本書では、通信の結果ノイズが乗って情報はどんどん失われて一方である。ところが、生物進化においては、幾世代にもわたって情報が保たれ、自然選択を通じて情報が新しく生まれているようにも見える。生物進化を情報理論をつかって論じてみるのも面白いかもしれないと思った。すでにあるかもしれないが。

母の故郷訪問(4):群山鉄工所(現)

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次の日に、今の群山鉄工所に行ってきました。かなり離れたところにありました。約10年前に今のところに移ってきたそうです。今の経営者は李ジョンカョャンさんです。彼のお父さんが、終戦当時の群山鉄工所の従業員であり、母の家族の帰国後、鉄工所の経営にあたってこられたが6年前に亡くなったそうです。さらに、お母さんも3年前に亡くなってしまったとのことです。二人とも鉄工所の日本人経営者家族を懐かしく思い出していたとのことです。もう少し早く来てくれれば、父か母が昔の話ができたのに大変残念だと言っておられました。一緒に写真を撮らせていただきました。

母が子供ながらに見ていた感想では、経営者である日本人と従業員である韓国人は、仲良く協力して鉄工所の運営にあたっていたということでした。今回、それが裏付けられたと思います。通訳として同行してくれた金允智(理研大森研研究員)さんも、その後の反日感情を考えると、よほど強い絆がないとこういうことは言ってくれないだろうと言っていました。

私の曾祖父の金谷萬六は、立志伝中の人物であったと聞いています。山口の故郷からすべての資産を処分して群山に行き、七転び八起きの苦労の末、群山鉄工所を設立したようです。詳しいことは分かりません。その間、綺麗事では済まないことはあったとは思います。しかし、民族の壁を越えて韓国の従業員との信頼関係を確立し、戦後も継続して韓国の方々の生活のよすがとなった群山鉄工所を作り上げた曾祖父を私は誇りに思います。

母の故郷訪問(3):群山小学校

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帰り道の車内で、母が通っていた群山小学校の校歌を母が突然歌い始めました。「小学校の門前は坂になっていた。冬は凍りつくので滑って大変だった。」ということも思い出しました。群山小学校ならばすぐそばだということで、連れて行っていただきました。写真にあるように確かにちょっと急な坂がありました。確かに小学生にとっては、かなりの坂だったかもしれません。校舎は建て替えられており母の記憶を刺激するものは、残念ながらありませんでした。ただし、門柱はかつての面影があるらしいです。左:群山小学校の門前の坂、右:門柱

母の故郷訪問(2):群山鉄工所(旧)

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母の家族は、曾祖父の金谷萬六が設立した「群山鉄工所」を経営していました。この鉄工所は、当時の住所で「栄町65-3」にありました。「群山駅を出て左まっすぐのところに家があった。近くに川があり、その向こうに市場があった。」というのが母の記憶でした。まず、市役所にでかけ旧住所が現在の住所の何処に対応するのかを調べてもらいました。Yuさんという市役所の職員が対応していただきました。確認が済み、彼の車でその場所に連れて言っていただきました。廃線の後がありました。また、川があった場所は埋め立てられて今は道路になっていました。群山鉄工所の住所には、現在は市場の一部になっており、魚の干物と、豚の臓物を使った腸詰のようなもの(いずれも群山の名物とされている)の店がありました。臓物屋さんの店主と少し話をして、一緒に写真を撮らせていただきました。左:群山鉄工所の跡地、右:臓物屋さんの店主(西田敏行そっくり)と

母の故郷訪問1

母を韓国の群山に連れて行きました。

私の母の明美は、群山で生まれました。小学校6年の時に終戦を迎え、家族とともに着の身着のままで追われるように帰国し、そのまま70年近くが経ってしまいました。この年に祖母は終戦の年に病死したので、年若の4人兄弟姉妹を母親代わりに育て上げ、さらに結婚後は私と妹を育てるという人生を送ったのでした。その中で、群山時代は比較的平穏で懐かしい思い出がある半面、それが突然奪われ、その後悲しい経験をしたので、群山に対しては愛憎半ばする複雑な思いがあったようです。

映画評 Inglourious Basterds 2009

クエンティン・タランティーノ監督の戦争映画である。タランティーノ監督作品の通例で、映画は一見独立した五つのストーリーで構成されている。最初の数話は相互の関係がわからない。タランティーノなんだからきっとこのストーリーは後で伏線として生きてくるに違いない信じて、我慢して見続ける忍耐力が必要である。主演はブラッド・ピットだが、彼の南部訛りの英語が聞き取りづらく、筋を追うのに苦労した。

さて、最終話ですべての伏線がクライマックスに統合される。ナチス宣伝映画のこけら落としに集まった、ヒットラーを始めとするナチス高官が映画館に閉じ込められて焼死する(もちろん、史実とは違う)。銀幕裏に集められたニトロセルロース製の映画フィルムに火が点けられると、ナチスに両親を殺されたショシャナの上半身が画面に大写しになる。その映像が、漂う煙の散乱で画面から抜け出して戸惑うナチス高官に覆いかぶさるように出てくる。実に怖い。背筋が戦慄した。このシーンは映画史上に残る傑作に数えられることになると思う。

多分、蜘蛛の巣のように張り巡らされた伏線のほんの一部しか私はわかっていないと思う。字幕の助けを借りてもう一度ゆっくり映画館で見たい映画だが、クライマックスにシーンはますます怖いだろうね。

独裁体制から民主主義へ:権力に対抗するための教科書 ジーン・シャープ著

独裁政体制から非暴力的に政権を取り返すためのノウハウが書かれている。この本を参考に多くの独裁国家の民主化が成し遂げられたという。「仲間を作る」「会合を開く」「意識の高いコア集団を組織する」「プロパガンダ文書を印刷して広く配る」「海外と連携する」「デモンストレーションを企画する」とここまで読んでふと気が付いた。私が今やっていることとあまり違いはない。

科学革命、つまり新しい科学のパラダイムを考え出して、科学界に広く認めさせることの具体的手段は、政治的革命のそれと似ているのは必然的であろう。命の危険は多くの場合はないが、職を失う(得られない)危険は常にある。若い研究者が老獪な科学政治屋教授に肩をたたかれて、「そんなことやっていたら、ポストなんかないぞ」というような類の「忠告」を受けるのはよく聞くこと。そういう忠告や中傷に近い批判をかいくぐりつつ、仲間を増やし、体制派とうまく付き合い、海外と連携しつつ勢力を拡大して目標を達成する。

「忠告」で主張を変えてしまうビビり屋は、むしろ体制側にも相手にされずに捨て去られるだけだ。科学者の仕事は何らかの意味で「科学革命」を成し遂げることにある。新しい主張を言い始めることは、怖い。孤独の中で自分の正しさを確認し、実行する精神的強さを持たねばならない。