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天皇制と祟り神の政治的効用

日本の天皇制は、内乱による悲惨な市街戦による国民の被害を最小限にとどめるのに重要な役割を果たしてきた。天皇はサイレント・マジョリティたる無辜の民を代表する機能を持っている。内乱が起こったとき、最も有力で無害そうな権力者を選び保護を受ける。その際に、無辜の民(ご本人とその関係者も含めて)の安寧を約束させてきた。それ以外のことは政治に口出しせずに、権力者の意向に従われるのが、ほとんどの天皇の立ち位置だった。一方、権力者の方では、天皇の綸旨を使い、官軍を名乗ることで政治的に有利な位置を確保し、日和見・中立派の支持を得て、賊軍としてのライバルを圧倒できた。このご利益があるので、天皇のご意向は少なくとも形においては尊重された。国のトップレベルの政治において、「無辜の民の安寧」に関する心配が常に議論され約束されて続けてきたことは、たとえ、それが形の上だけのものとしても、日本政治の美質として高く評価されるべきだと思う。

結果として、日本においては内乱が比較的早く終息する。南北朝時代や戦国時代は日本の長い歴史の中では例外に属する。近い例では、明治維新における幕藩体制から明治政府への移行、太平洋戦争の終結時の例がある。どちらにおいても、国内における戦乱の短期化に天皇制が果たした役割は大きい。

一方で、賊軍とされて圧倒された方は、実力以上に貶めらることになる。彼らの側の主張にも少なくとも一分は、もしくは全面的に理があったかもしれないが、それは返り見られないことになる。彼らは、内戦を最短化するという「全体の福祉」を実現するための犠牲者と考えることができる。また、天皇制のおかげで、権力者は政治的に抜群の安定を得る。そのために保守に流れ、必要な改革がなおざりにされがちである。
これらの不都合を補完するために考えられたのが、政治的敗者の祟りを恐れ、それらを神として祭る御霊信仰だったかもしれない。政治的な衝突のほとぼりが冷め、その勝者の権力にも陰りが見えたころ、天変地異や疫病の流行が政治的敗者の祟りによるとされ、その荒ぶる霊を慰めるための神社の勧進が発議される。このような主張は、超常的な能力を持つ祟り神に関することなので、権力側も弾圧が容易ではない。日和見して中立を保ち、天皇の帰趨に従って官軍側についたものたちは、政治的敗者に少々後ろめたい思いがある。そういうものたちによって、「xxは天皇の忠実な臣下であったし、その行動のすべてが悪かったわけではなかった。このままではかわいそうだ」というとりなしがなされる。そのようにして、敗者の主張は一部認められて、必要なら改革がなされる。また、その子孫か係累者が探し出されて、神社の神官として扶養されるようになる。こうして、政治的敗者の集団が名誉回復されて、今後の国政への参加が可能となって体制化を果たすのである。結果として、権力側の体制も強化される。このような巧妙な仕組みが、日本社会の安定に果たした役割は大きいと思う。

超常的な神の祟りを梃子にして、政治改革を行う手法の例は、日本以外にもある。典型的なものは、旧約聖書に書かれる師士たちである。彼らは、周辺の強国の圧力や、作物の不作、疫病の流行は、権力者らの堕落と不正に対する神の祟りであると主張した。それを梃子に民衆の支持を得て政権を奪取し、国の改革を指導した。日本の祟り神の起源は、中東に起源しているのかもしれない。多くの記紀神話の原型が中東に見られるのは、多くの学者が指摘するところだ。