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一人の発見から始まる苦悩 科学と「言論の自由」は不可分

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米国National Science Foundation (全米科学財団)のワシントン本部のビルの銘板には、以下の言葉が刻まれている。
Liberty is the great parent of science and of virtue; and a nation will be great in both in proportion as it is free. Thomas Jefferson 1743-1826
<自由は科学と美徳の偉大な源である。そして、その自由に比例して、国家は科学と美徳の両方で偉大になる。トーマス・ジェファーソン 1743-1826> (翻訳は筆者)
 科学と自由は不可分であるという強い主張が読み取れる。実際、科学は言論の自由がない場所では根付かない。科学者は真実を求めて研究を続けている。ときに、大きな発見を成し遂げる。その発見が偉大であればあるほど、第一発見者の孤独は深い。どんな発見も、常にたった一人の主張から始まるからである。
誰も言っていないことをただ一人主張し始めることは怖い、例えそれがちょっとした少人数の会議であっても。それを全世界の口うるさい専門家たちに向かって言い始めるのだ。「間違っていたらどうしよう」「何かの勘違いではないか?」「馬鹿にされるかな。もうすでに誰かが言っていて、当たり前のことなのではないか」「変なことをいうやつとのレッテルを張られて予算が来なくなったらどうしよう」などなど、心配すればきりがない。
だからこそ、第一発見者は、繰り返し、繰り返し、繰り返し、結果をチェックし、式を見直す。夜中に飛び起きてノートをチェックし、間違いを見つけて消沈し、解決法を脳から絞り出して、もう一度最初から論理を組み立てなおす。この自分一人で揉み込んでいる時間は、本当につらい。生みの苦しみとはこのことをいうのだと思う。
日本では少ないが、海外ではさらに同僚やボスにアイデアを盗まれる心配もしなければならない。その上、「宗教上の教義に違反している」とか、「ある団体が押しかけてきて公衆の前で土下座させられる」とか、「社会を乱すとかスパイの罪で逮捕される」とか、「複数の分野で業績を上げたという理由だけで、精神科病院に強制入院させられる」とかの心配をしなければならないとしたら、発見の発表どころではなくなるし、そもそも生みの苦しみに耐えるのが馬鹿馬鹿しくなると、小心な私はつい考えてしまう。心から思う、ガリレオ・ガリレイは偉大だったと。
 孤独な第一発見者は、身近の信頼できて有能な科学者にまず話をして、意見や批判をもらいつつ議論することから始める。この最初に話を聞く科学者から、納得してくれないまでも、健康な批判精神にのっとって建設的な意見をもらい、「自分もよくわからないからぜひ頑張ってもう少し調べてみるといい」と言ってもらえるだけでどんなに孤独感が安らぐか知れない。そういう友達はとても大事だ。自由のない国や地域では、この最初の相談者にも、先に指摘したような問題が発生すると思う。
 このように「言論の自由」は、科学がその国や地域に根付いて自律的に成長するために必要な空気や水のようなものと私は考える。自由のない国が一時的に伸びることはあっても、科学技術によった近代国家として自立できるとは私は思わない。
Fuji Sankei Business i. 2015年2月13日 高論卓説
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