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科学における論文の重要性 時を超えて社会全体の知恵に昇華

 科学者にとって論文を書くことは最も重要な仕事である。科学研究の主要な最終生産物は論文である。それは、論文を書いて出版することにより、多分に属人的な発見や発明が、社会全体の知恵に昇華するからである。論文を読めば、誰でも(一定以上の技量と設備を持っていれば)発見された現象を再現し、自分のものとすることができる。それは、改めて試行錯誤して再発見するよりずっと短時間ででき、しかも簡単で経費もかからない。

 このように貴重な発見・発明を公表することの代償として、科学者たちは自分の論文の中でその論文を引用し、その発見に対して敬意を表す。このようにして発見や発明が論文を単位として、科学界に流通する仕組みになっている。多数の科学者の仕事がネットワークを形成し、総体として理解が進んでいくのだ。

 例えば、ノーベル賞が出版された科学成果のみを対象としているのも、その表れである。いかに素晴らしい発明をしても、論文として書いて、出版して世の中に公表しなかったものは、科学界では評価されない。

 また、単純な事実としての発明や発見は、それだけではその価値の一部でしかない。それを整理し、過去の結果と比較することにより、研究史上に正しく位置付けられることが、それにもまして重要だ。それは論文を書く過程で得られる。何か重要そうな事実を発見したとき、その意味がはっきりしていないことが多い。自分のデータを整理し、過去のデータ(論文で得た他人のデータと研究室内にある未発表のデータ)と比較し、仲間と議論することにより、その意味と研究史上の位置付けがだんだんと明らかになってくるのである。それは属人的な発見・発明を、流通可能な社会知にする知的で創造性を要求する重要な作業である。その過程で得られた俯瞰(ふかん)的な描像は論文の著者と読者に研究の次の方向に関する貴重な示唆を与える。

さらに、論文は時を超える。科学者は論文の書き方に関しては極めて保守的で、その基本形式はガリレオ以来、ほとんど変わっていない。ガリレオとわれわれは論文を通して400年もの時を超えて語り合えるのだ。逆にいえば、今われわれが書いている論文は400年後の後輩科学者への手紙でもある。私はこんなふうに研究して、こんな結果を得たよ、という。私の10世代後の研究者が、私の論文を読んで、「よくぞこんなマイナーな研究を400年前にやっておいてくれた。助かった」と感謝されるかもしれない。実際、私は、自分が生まれた頃の論文を読んでは、感謝しきりの毎日だ。

 最後に、いったん出版されれば、全世界にコピーが存在することになるので、そこに書かれた発明・発見は、国家レベルの事故や災害でも失われることがなくなることも指摘しておこう。

 したがって、論文は科学者にとって「お金」と同等の意味を持つ。多くの引用があり、誰もが知っているいい論文を書いた著者は、尊敬され、信用される。研究費も集めやすい。したがって、論文に不正があるということは、経済行為でいえば、偽金を造ったり、借金を返さないで平気でいるというような行為と同等な悪いことであると科学者は考えている。

 もちろん、人事を尽くしても間違いや考え違いの可能性は常に存在する。かつて誰も知らない未踏領域を研究しているのだから。自分の間違いに気づいたら、何がどうして、どこで間違いが起こったかを調べて、報告することはむしろ勇気あることとして称賛されることが多い。そのようにして、後に続くものが同じ間違いを犯さないように、記録を残すことも先人の役目である。

 繰り返すが、論文は科学研究の主要な最終成果物である。科学者の給料は、この論文を書くという行為に対して払われていると私は思っている。

サンケイビジネスアイ 2015年12月11日 許可を得て転載