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Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed

Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed: Revised Edition
Jared Diamond 2011年 Penguin Books
 著者が生まれた米国モンタナ州から議論を始め、イースター島、ピトケアン島、ヘンダーソン島、グリーンランドのバイキング入植地、メキシコ・チャコ渓谷、マヤなどの、社会が崩壊してしまった例を調べ、その経緯と原因を明らかにした。一方で、ハイチ、日本などの孤立しながらも危機を脱した社会の例を挙げて、違いが何かを探っている。著者は、社会の存続に重要な因子として、気候変動、敵対する近隣者、不可欠な交易相手の消滅、そして上記4つの問題に対する社会の反応の5つをあげている。
 さらに、これを現在の我々の地球サイズに広がった文明の状況に照らし、以下の12の問題点を指摘している。
1) 森林破壊
2) 土壌破壊(浸食、塩類集積、地力劣化など)
3) 水質管理
4) 乱獲(陸上生物)
5) 乱獲(水生生物)
6) 外国種の導入による固有種エコシステムへの影響
7) 人口過多
8) 一人が使う資源の増大
9) 人工効果による気候変動
10) 環境への毒の蓄積
11) エネルギー不足
12) 人類がほとんどの光合成生産物を独占する
まず、地球全体が一つの経済圏に包まれようとしている今、交易により必要資源をその外から手に入れることができなくなっている。つまり、実質的に独立な交易相手がいなくなってしまった。つまり不安定要因が増大している。すべては、この地球上で処理しなければならない。また、過去の社会が崩壊してしまった例を見ると、常に森林破壊がその前兆として起こっている。現在、全球的に進行中の森林破壊は危険なシグナルである。
 その認識の元に上記の12個の因子を私なりに評価してみると、7番目にあげられた「人口過多」が根本原因で、残りの因子の大部分は、それから導かれる二次的な要因であることがわかる。要するに増え続ける人口で増大する食糧需要に対応するために、1,2,3,4,5,6, 10が進行中なのだ。
 先進国として唯一森林破壊が17世紀以降進行していない国として著者に止揚されている日本で、徳川政権によるトップダウン政策として森林が保護され、ボトムアップ手段として樹木を大事にする日本人の固有の文化と宗教が働いたことは重要であった。一方で、それを実現するための負の部分として、嬰児の間引きや老親の姨捨などによる人口抑制があったことに、著者は気づいていないようだ。
 著者が述べているように、農業に立脚している社会の場合、一人あたりの平均耕地が10アールを切ると、過半の生活が不可能になり、激しい虐殺や内戦が起こって人口が減少し、その結果なんとなく社会が落ち着く(ルワンダの場合)か、もしくは、その後も内戦が続いてほとんど人口がなくなるまで殺し合い、社会が完全に崩壊する(イースター島やチャコ渓谷などの場合)。
 虐殺や戦争を避けるためには、なんとかして世界人口を平和的に、モラルに反しないで抑制しつつ、緩やかな経済成長を持続しなければならない。12個もある因子に惑わされてはいけない。問題は一つだ。ただし、その解決は、生物としての本能に逆らわなければならないだけに、大変難しい。

Noah's Flood: The New Scientific Discoveries About The Event That Changed History

Noah's Flood: The New Scientific Discoveries About The Event That Changed History
William Ryan, Walter Pitman
Simon & Schuster; Touchstone版 (2000/1/25)
 ノアの箱船の伝説は、約7800年前に黒海領域に現実に起こった海水流入による大洪水を元にしているとの仮説検証を記述している。まず、彼らが展開した仮説の概略を述べよう。
  最終氷期が約12,000年前に最大を迎え、その後地球は急速に温暖化した。北欧、シベリア北部を広く覆っていた氷床が溶け始めた。シベリア氷床の雪解け水の大部分は、内陸に向かい現在の黒海、カスピ海、アラル海の領域に流れ込み、巨大な湖を形成した。当時、海面は現在に比べると130メートル低く、これらは内陸の湖として独立の水圏を維持していた。12,500年前になると寒の戻りのヤンガードリアス期に入り、中央アジアは乾燥化してこれらの湖の湖面は下がり、縮小した。11,400年前になると再び温暖化が始まった。このときは、氷床の縮小により雪解け水が内陸ではなく、バルト海、北海方面に流れるようになり、「黒海湖」の水面はあまり上昇せず、海面のみが上昇するようになった。約8,200年前ごろには、もう一度弱い寒の戻りがあり、中東が乾燥したため、農民が暖かくて水がある黒海湖周辺に住むようになった。彼らは「黒海湖」周辺の川沿いの谷やデルタを耕し、一部では灌漑を行っていた。彼らは黒海をボートで行き来し、交易したので語彙や技術、そして概念を緩く共有し、先進的な農耕文化圏を形成していた。
 ところが、7800年前に温暖化が再開し、海面がさらに上昇してとうとうボスポラス海峡の最高地点を越え、地中海の海水黒海に突入した。このとき、「黒海湖」の湖面は、海面の180メートル下にあり、滝のように流れる海水により湖面は一日に約2m上昇し、湖岸は1kmも後退した。この大洪水により黒海周辺に住んでいた住民たちは周辺への避難を余儀なくされた。
 黒海大洪水による民族大移動は以下のように起こったと考えられる。西岸に住んでいた住民はドナウ川を伝って西行してブルガリア方面、南西岸に住んでいた住民はボスポラス海峡を南下してアドリア海へ、北西岸の住民は、ドニエステル川に沿って北欧方面へ、北岸と北西岸の住民は、ドニエプル川とドン川に沿って南東ヨーロッパとカスピ海方面へ、最後に南岸の住民はアナトリア高原に上った後、さらに南下してエジプト、南東に向かってメソポタミア、さらにはインダス方面へ逃れた。彼らは先進的な農業技術(灌漑と土器の使用、家畜の利用)を持っており、それぞれの土地に定着した。北から西の方向に逃げたグループが後のヨーロッパを、南から東に逃げたグループが後の中東(エジプト、メソポタミア、インダスの三大文明を含む)を形作った。彼らは全体に語彙と概念を緩く共有していたので、これらをまとめてインド・ヨーロッパ語族と分類されるようになったと思われる。
 インド・ヨーロッパ語族の起源については、クルガン仮説とアナトリア説が長く並立してきたが、前者が、黒海領域から北西方向の民族移動を、後者が南東方向の民族移動を表現していると考えると、全体として辻褄が合った統一理論に発展する可能性がある。印欧語族を話す民族には共通して、洪水伝説が残っている。言語や音楽の系譜やゲノム解析の結果も上記の民族移動を支持する。
 また、民族大移動したグループの一つがずっと東進して、タリム盆地に入って定住した。当時はタリム盆地に大きな湖が残っており、黒海周辺と同様の灌漑農業が可能だった。ここで話されていたトカラ語はインド・ヨーロッパ語族に属する。
 上記仮説は説得力があるし、印欧語族の起源や農業の発達の観点でも魅力的であると私は思う。黒海大洪水は地質学的には、否定しようがない。最近の発掘やゲノム解析の結果とも整合性がある。栽培作物の多く(小麦、大麦、蕪、玉葱、大蒜など)が、中央アジア(アナトリア高原からイラン高原)原産とされている。当時はまだ現在よりも平均気温で2度程度低く、当時の黒海沿岸部の平均気温は、現在の高原地帯のものとほぼ一致する。黒海沿岸に野生で生えていた、これらの植物の原種が栽培化された。その後の温暖化で、これらの野生種の生息域は、高原地帯に移ったものと考えられる。
 さて、7800万年前というと日本では縄文初期(10,000-6,000年前)に位置づけられる。焼き畑による植物栽培と漁労が確認されているのは、約6,000年前から始まる前期縄文期である。黒海大洪水の避難者が遙か東行し、タミル高原を越えて6,000年前頃に日本に到達し、日本に農業を伝えたという可能性はあるかもしれない。ヨーロッパには、や球状アンフォラ文化(5,400-4,800年前)、縄目文土器文化(4,900-4,400年前)、鐘状ビーカー文化(4,600-3,900年前)などが存在しており、時期的に重なる日本の縄文文化(前期開始が6,000年前で後期終了が3,000年前頃)との技術的、文化的比較が待ち望まれる。

The Coldest Winter: America and the Korean War

The Coldest Winter: America and the Korean War
David Halberstam
Hachette Books 2007
朝鮮戦争従軍者への徹底的なインタビューにより明らかになった朝鮮戦争の実態の詳細な記述。マッカーサーと連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)が太平洋戦争と日本占領の成功体験にあぐらをかいて慢心し、スターリン・ロシアの援助を受けて北朝鮮を掌握した金日成の野望を軽視していた。金日成軍の奇襲に直面し、十分な準備と訓練・装備を持たずに戦争に突入した米軍を中心とした国連軍は、惨めな敗走を喫した。仁川上陸作戦で盛り返して鴨緑江近辺まで到達したものの、毛沢東・中国共産党(蒋介石率いる中国国民党を大陸から掃討しつつあった)の参戦を読めずに、再び38度線まで押し戻された。現場将兵に不必要な犠牲を強い、アコーディオン戦争とも揶揄されるようなドタバタ戦争を演じた。
 日本では、日露戦争後、中国東北部に展開した関東軍が暴走し、泥沼の日中戦争を継続し、国際的な孤立を招いたことが強く批判されている。同様に、マッカーサーが太平洋先生と占領下日本の統治の実績でカリスマ化し、ルーズベルト大統領の死によって副大統領から昇格したトルーマン大統領を超える権威を背景に無謀な進撃を将兵に強い、犠牲を無駄に拡大した。このマッカーサー最高司令官の慢心と自己陶酔を、「犯罪的」と言う言葉をまで使い厳しく批判している。このアジア人に対する米国イスタブリッシュメントの軽視と偏見は抜きがたく、ベトナム戦争でほぼ同種の失敗を演じている。
 1940年頃から25年間は地球が一時的に寒冷化した時期だった。国連軍将兵は、ほとんど夏服しかない装備不足だった。韓半島北部の山岳地帯の極寒の気候の元で泥沼の戦闘を行った彼らの証言から、この本のタイトルが生まれた。
 ワシントンDCのナショナルモールの中に、朝鮮戦争戦没者慰霊碑がある。そこには設置された18名の米軍兵士の像の疲れて怯えた表情は、米国がこの戦争で味わった苦さを示している。

改めて玄米備蓄のすすめ 危機に備え、緊急経済対策で増進を

 2015年6月にこのコラムで「玄米備蓄のすすめ」という記事を書かせていただいた。その趣旨は、突然の火山噴火などの天災により穀物が全球的に数年連続して不作になる可能性があり、それに備えて2、3年分の食糧備蓄が必要なこと、保全性に優れた真空パック玄米がそれに最適であることだった。(戎崎俊一)
 あれから5年たち、不幸にしてこの件を思い出す必要が出てきた。新型コロナウイルスの感染爆発により、世界が大混乱に陥っている。このウイルスは直接には食物の生育に影響を与えないだろうが、安心は禁物である。医療崩壊が進んで社会が混乱し、農業に手が回らない状況になれば、世界全体の食糧生産が減少する可能性がある。
  また、世界の経済システムが機能不全となれば、せっかく生産された食糧の輸入も滞るかもしれない。カロリーベースの食料自給率が37%(18年度)の日本とすれば憂慮すべき事態である。今年の夏ごろから食糧輸入に支障が出た場合、国内の備蓄が底をついて食糧不足が表面化するのは早くて21年の春先ごろである。混乱が長引いて21年まで食糧輸入に支障が残る場合には、22年の春あたりに深刻な状態を迎える。幸いにしてまだ時間がある。今のうちに生産者、消費者、政府が協力しつつそれぞれ努力して、併せて数年分の食糧備蓄に心がけるべきだと思う。
 まず、家庭で1年分ぐらい備蓄しよう。玄米真空パックであれば、特別な設備はいらない。わが家の寝室には10年に大量に購入したものが積み上がっており、全く問題なくいただいている。食糧不足になったときに、一番困るのはわれわれ消費者だ。大事な家族の命を守るため、行動を起こそう。スペース的に困難な場合は、生産者か卸売り・小売業者に保管を依頼する「貯米」(銀行にお金を預金するように米を預ける)の仕組みを考えてはどうだろう。
  次に、生産者も少なくとも1年分ぐらいの在庫を持っておいてほしい。人間は、1カ月食べなければ確実に死ぬ。「食糧安全保障の観点から日本の農業を守れ」というなら、1年分の在庫を常に確保し、安定供給のため万全を期す体制を取ってほしい。
 最後に国家も1年程度の備蓄を持つべきだと思う。そもそも国の原初的な機能は、危難に備えて食糧・その他を備蓄し、それを守るための警察力を持つことだった。政府はその原点を忘れないでほしい。
  こうなると、今計画されている緊急経済対策では、消費者、生産者、小売業者、そして輸入業者が食糧備蓄を増進する、という観点からの考慮をお願いしたい。
  ここで、日本が食糧輸入を段階的に増やす計画を発表し、食糧生産国に安定供給を要請するならば、正のスパイラルを生み出して、世界に張り巡らされた輸出入のネットワークが息を吹き返すきっかけになるかもしれない。

2020年4月3日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て転載

「病院船」が再認識 サポート体制整った好立地の母港が重要

 約1年前に、このコラムで病院船の提案をした。昨年末以来の新型コロナウイルス感染の爆発的な広がりを受けて、改めて病院船の必要性が再認識された。「政府においても加速的に検討する」との国会答弁もあった。ここで新しい視点も加えてもう一度述べたい。

 飛行機を使って多くの人がグローバルに往来するようになった現在では、新種の感染症の世界的な流行が常態化すると考えられる。それに対処するための常設的な施設を運用することは、国の重要な機能として位置づけられるべきである。

 病院船は、今回のように急激に増加した感染症保因者の一時的な隔離場所として有効なことは明らかだ。また、パンデミック発生地が海岸に近ければ、直接近くまで行って保因者や患者を収容することも可能である。

 もちろん、地震や津波、火山噴火や洪水などの大規模な災害の発生時には、1週間以内に被災地近くに達し、被災者の治療に当たる。大災害の経験から、発災後3日目ぐらいから備蓄していた燃料が底をつき、活動に支障が出ることが指摘されている。この時期に自前の燃料を持ち、自力展開して活動できる医療チームが参加することは重要である。

 病院船が最先端の病院として機能するために、それをサポートする母港が必要である。母港は別途病院を持ち、スタッフの交代要員が働きつつ訓練を受ける場所とする。また、母港病院は潜在的な保因者の日本への上陸に際しての防疫を担当し、必要に応じて保因者を隔離する。

 さらに、感染症の早期診断キット、AI(人工知能)などを使った画像診断技術、そして治療法の研究開発を手掛ける研究機能も持つこととする。新規ウイルスや病原菌のゲノム解析を高速に行って診断や治療に役立てる機能も重要である。

 その上、母港病院は、新規感染症対策や防災医療についての国際的な医療ネットワークの一環をなす。特に東アジア地域の若い医師、看護師、技術者の研修機能を持ち、母国での同様な施設の展開の支援を行う。

 母港は、いざというときの保因者の隔離が容易ではあるが、主要な都市からの迅速なアクセスが可能な場所に立地すべきであろう。また、地震や津波、台風などの自然災害が比較的少ない場所が望ましい。

 一方で、平時はこれらの施設を積極的に活用して医療ツーリズムを推進する考え方もある。

 世界の富裕層の関心は、「健康な長寿」である。全ゲノム解析を基にして、食事や生活習慣の改善指導を受けつつ日本各地を観光し、結果としては寿命が延びる実績が上がれば、参加希望者は列をなすに違いない。

 最近可能になりつつある再生医療や放射線治療の適用ができれば、その魅力はさらに増す。そのようにして、施設の運営費を確保しつつ、高い技術とモラルを維持して有事に備える。関係諸機関の真剣な検討を望みたい。

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 2020年2月27日
許可を得て転載

七大学柔道にかけた青春 学んだ「負けないことの重要性」

 大阪大学に入学した私が打ち込んだのは柔道だった。阪大の柔道部は全国七大学柔道優勝大会での優勝を目標としている。この大会は、戦前の高専柔道の流れをくみ、いつでも寝技に入れる独特のルールで15人勝ち抜き戦で行われる。北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大学、九州大が参加している。
 柔道は他の格闘技と同様に、体格がよいものが有利である。また、立ち技は持って生まれたバランス感覚が重要で、それを練習で埋めることは困難である。では、体格にも才能にも恵まれないものが、主役となりえる柔道はないのだろうか。その答えが七大学柔道である。その精神は、井上靖の小説「北の海」に語られている。練習量が全てを決める柔道だ。高校時代にこの小説を読んで感動した私が、この寝技中心の柔道に、どっぷり浸ることになった。
 寝技は手順が重要である。また、足を手のように自在に用いれば、どんなに体格に差があっても対抗することが可能だ。少なくとも引き分けに持ち込むことができる。もちろん、相手に倍する運動量で先手を取り続けないと次第に体格の差がでて、動きを封じられてしまう。
 15人の勝ち抜き戦には特別な意味がある。相手がどんなに強くても引き分ける、もしくは1人は抜かれても、次の者がきちんと止める、あわよくば抜き返すことが重要になる。たとえ負けが確実な態勢であっても、最後まで抵抗を続けて疲労を強い、次のものに希望を託さなければならない。実は1人抜いた後に地獄が待っている。
 疲れ切り、息が上がった状態で次の元気な選手と対戦し、少なくとも引き分けに持ち込まないと最初の勝利は無に帰する。そのために何にもまして練習量が大事になる。1人か2人強い選手がいても七大学柔道では勝てない。15人の粒のそろった選手をそろえるため、日ごろのチームワークが大事になる。分け役が伸びれば、それに対抗して取り役も強くなる、両者が毎日の練習を通じ切磋琢磨(せっさたくま)して技量を伸ばしてゆく姿が理想だ。
 残念ながら、私自身は大事なところでけがに泣き、大した戦績を残すことはできなかったが、この4年間で得たものは大きかった。まず、「勝つ」ことよりも「負けない」ことの重要性に気づいた。その後の人生で、逆境にはまって動きが取れない局面に遭遇したことが何度もある。そういうときに、次の展開を信じて運動量を維持したまま耐え忍ぶ精神力はこのとき培われた。また、先輩の技や柔道の手引書を参考に、無駄とも思える練習を延々と続け、自分独特の技を体に彫りこむように作り上げてゆくのは楽しかった。短い脚を生かし、隙あればどんな態勢からでも関節を取る自分独自の技の体系が完成しそうだったが、4年の7月には間に合わなかった。留年して技の完成を図ることも考えたが、これまで一緒にやってきた同期の仲間なしで苦しい練習に耐える自信がなかった。何よりも苦しい、痛い、臭い、暑い、寒い練習にともに耐えた仲間こそが一生の財産になった。
 先日、久しぶりに母校の柔道部に行き練習に参加させてもらった。すると、この40年間で技が進化している。それぞれの選手が自分独特の技(どこの手引書にも書いていない)を作っているのだ。これは、七大学柔道にしか見られない現象だ。
 40年たった今、あの時未完に終わった技の完成を図りたい誘惑にかられる。今でも腕を手繰って関節を取りに行く夢を見て飛び起きることがある。青春はまだ続いている。

2020年1月17日 フジサンケイ・ビジネスアイ 許可を得て掲載

津波地震の正体 大規模な地滑りとの共通性

 東北日本太平洋岸の東約200キロ沖にほぼ南北に延びる日本海溝は、最深部の水深が8020メートルであり、地球で最も低い場所の一つである。その底から日本列島を見上げるとその高さはヒマラヤ山脈に匹敵する。ここでは、太平洋プレートが地球深部に向かって沈み込んでいる。その陸側斜面では、その沈み込み運動に引きずられて10度を超える急斜面が形成されている。

 その詳細な地形図には、いたるところに地滑り跡らしい巨大な崖がみられる。その斜面の崩壊で、巨大な岩石塊を含む土砂が、海溝最深部に流れ込んでいることが想像される。

 また、この海溝陸側斜面近くでは巨大な地震が繰り返し起こっている。最近では、1968年十勝沖地震、78年宮城県沖地震、94年三陸はるか沖地震、2011年東北地方太平洋沖地震などがその例である。これらのうち一部は、大規模な津波を伴っている。

 例えば、東北地方太平洋沖地震に伴う津波が東北地方太平洋岸に大きな被害をもたらした。地震に比べて津波が強い地震があることは、1972年に指摘され、「津波地震」と呼ばれている。1896年明治三陸地震、1946年アリューシャン地震、2010年スマトラ沖地震がその典型例とされている。津波を励起しやすい「ゆっくりした地殻変動」のためとされているが、それを作り出す物理機構は、よく分かっていない。

 一方、「ゆっくりした地殻変動」を伴う地震のほとんどが海溝陸側斜面に震央を持つことが1980年に指摘されている。そこでは、上記に述べたように地滑り頻発地帯であり、強い地震動に見舞われれば、大規模な地滑りが起こらないはずがない。このように思考をたどると、上記の「ゆっくりした地殻変動」の正体は、地震動による液状化とそれによって2次的に引き起こされた斜面崩壊、つまり地滑りではないかという推論が浮上してくる。まず、「ゆっくりした地殻変動」の変動時間は100~200秒であり、海溝斜面における地滑りの時間尺度と整合する。次に、地滑りでも地震波が作られる。さらに、地震波解析のみでは低角な断層運動と地滑り運動を区別することは一般に難しい。実際に物質移動の現場を見ても両者の区別はそう簡単ではない。その上、100キロ四方の面積の表面が動くような大規模な地滑りが生み出す重力エネルギーやモーメントは、マグニチュード9の海溝型巨大地震のそれとおおむね一致する。

 日本列島の太平洋沿岸には、海溝堆積体が海岸線に露出している。そこは、断層運動が卓越しているところ、堆積岩中に噴砂の跡があって液状化が顕著なところ、ビルほどの大きさ(数十メートル)の岩塊が乱雑に積み重なった激しい乱流を伴った地滑りの跡とみられるところなどが入り交じった複雑な様相を示し、その特異な姿からオリストストロームと呼ばれている。

 海溝陸側斜面の急傾斜地で地震が起これば、断層運動と地震動により斜面を構成する地盤で液状化が進行し、傾斜に従って大規模な地滑りが発生するに違いない。それは場所により、激しい乱流を伴う場合もあるだろうし、地層構造を保ちながら静かに滑る場合もあるだろう。それはまさにオリストストロームで観察される地相と整合する。

 津波地震、海溝陸側斜面における地滑り多発地帯、そしてオリストストロームはそれぞれ、地震学、海洋学、そして地質学の分野で別々に議論がなされてきた。これらを俯瞰(ふかん)的に見て統合的に把握し直すことにより、津波地震の正体が明らかになるかもしれない。

フジサンケイ ビジネスアイ
2019.11.1 許可を得て転載

大気光」全球マッピングに各国が協力 迫る地球の夜の近紫外線撮像

 地球の夜側を近紫外線で詳細に観測する「Mini-EUSO望遠鏡」が、準備の最終段階を迎えている。Mini-EUSO望遠鏡は口径25センチの紫外線望遠鏡で、国際宇宙ステーションのロシアモジュールにある紫外線透過窓に設置され、地球方向を観測する。視野は±19度で、差し渡し250キロの領域を2.5マイクロ秒ごとに48×48画素で撮像観測する。(戎崎俊一)
 これは、超高エネルギー宇宙線を観測するための超広視野望遠鏡・EUSO(ユーゾ)の開発の一環をなすもので、宇宙におけるプラスチックフレネルレンズ、位置検出型光電子増倍管アレイの技術検証と宇宙線観測時にバックグラウンドとなる大気光の全球マッピングを行うのが主要目的である。
 その他に、Mini-EUSOは地球科学に貢献する。まず、地球高層(高さ約100キロ)大気が夜光を放射している。これは原子状酸素の再結合によるものだ。これまでの地上観測で、夜光放射にしま状の濃淡構造があることが観測されている。これは、大気圏で作られた擾乱(じょうらん)が、波として上層に伝わって作られると考えられている。しかし、地上から一度に観測できる領域は100キロ程度に制限されているので、この波がどこで作られてどこに伝搬していくのかが分からない。
 国際宇宙ステーションの運動により250キロの幅で帯状に観測できるMini-EUSOは、このしま状構造の全球的な分布を明らかにし、大気上層に伝わる波の起源を明らかにすると期待されている。
 また、上空から大気圏の放電現象の観測が可能である。2.5マイクロ秒の超高速で撮像観測ができるMini-EUSOはエルブスやスプライト、ブルージェットなどの特殊な放電現象の発達の様子を明らかにする。近紫外線は、地上観測では大気吸収で観測が難しいので、詳細な撮像観測がなされていない。同様に、流星の観測も行う。
 さらに、夜光虫などの中には、近紫外線領域で発光するものがある。発光生物の全球マッピングが行える。
 薄明帯通過中は、太陽光の反射によってスペースデブリ(宇宙ごみ)の観測が可能である。Mini-EUSOで使われる超広視野望遠鏡の技術により、スペースデブリのその場検出が実現できる。これは、スペースデブリ脱軌道ミッションの基幹技術である。
 Mini-EUSO望遠鏡は、イタリア宇宙機関とロシア宇宙機関の国際共同プロジェクトで推進されている。今年8月にロシアのバイコヌール基地から打ち上げる予定である。ミッション機器の製作は、イタリアとロシアをはじめ、日本、フランス、ポーランドなどの研究者が協力して行った。理化学研究所を中心とした日本チームは、レンズ製作と光電子増倍管アレイの製作の一部を担っている。
 世界が次第にきな臭くなっている中で、各国の研究者の知恵と技術を結集し、お互い足りないところを補って一つの観測機器を作り上げ、運用するこのようなプロジェクトに参加できることは大変幸せである。協力して困難に立ち向かうことで国境や国籍を超えた友情を育んでいる。
2019.6.26 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
許可を得て転載

超高精度の時計が切り開く未来 海底・宇宙で展開、自然災害の予兆把握

私の同僚の香取秀俊・理化学研究所主任研究員(東京大学教授との兼任)は相対精度が10の18乗に及ぶ超高精度の時計を開発している。これは約1000個の原子(セシウムやストロンチウム)をレーザーで作った格子状の井戸の中に閉じ込めて冷却し、高統計・高精度でそのスペクトル線を測定する装置で、光格子時計といわれている。

 一般相対性理論によると、重力ポテンシャルの中では時間の進みが遅い。つまり、地上でも低い場所の方が高い場所よりほんのちょっと時の進みが遅いことになる。そこで、東京都文京区にある東大と埼玉県和光市にある理化学研究所の2つの研究室を光ファイバーで結合し、2つの光格子時計の進みを比較したところ両所の高低差(約15メートル)に対応する差が見られた。

 さらに、東京スカイツリーの天望回廊(高度450メートル)に光格子時計を設置し、地上に置かれたそれとの比較を現在試みている。

 18桁の精度では、例えば建物の廊下を10メートルほど進んで帰っただけで双子効果による時間の進みの差が検出できる。ガモフの「不思議の国のトンプキンス」そのままの「不思議」な世界だ。

 次の目標は、光格子時計を小型・軽量化しさまざまな場所で時間を測定することだ。その場所の高さや重力加速度の長期にわたる測定がかつてないほど高精度で可能になる。特に重要なのは、GPS(衛星利用測位システム)の電波が届かない海底の高さの変化だと私は考える。海底で起こる地震の予兆を捉えることができるかもしれない。

 また、宇宙での測定も重要だ。地殻変動や大気乱流などの外乱が極端に少ないので地上実験に対してより高精度の時間測定の余地がある。これを用いてさまざまなタイプの相対論の検証がより高精度で行われるだろう。その結果としてより高精度の測地座標系が定義できる。

 まずは手始めに、光格子時計を国際宇宙ステーションに設置する検討を理化学研究所とJAXA(宇宙航空研究開発機構)の有志で始めている。そこでの技術実証は、超高精度測地や衛星軌道決定、惑星間空間に展開した大規模な重力波アンテナ、もしくは光干渉計のネットワークへの実現への第一歩だ。18世紀以来、時を制するものは海を制してきた。21世紀は、時を制するものが宙(そら)を制するかもしれない。

フジサンケイビジネスアイ 2019年4月25日
許可を得て転載

自然災害多発で高まる必要性、求められる本格的な病院船

 病院船とは戦争や大災害の現場で、傷病者に対して医療サービスを提供するための船舶である。2回の世界大戦においては、客船を改造した病院船が活躍した。現在はアメリカ海軍の病院船マーシーが有名である。タンカーを改造してできたマーシーは排水量6万9360トン、1000病床、12の手術室を有する堂々たる総合病院である。コンピューター断層撮影装置(CT)や超音波検査装置など最新の診断装置を備え、各種の医療用ガス、真水(1日281トン)を生産する能力を持つ。2004年に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震による津波災害の救援に派遣され、多くの人命を救う活躍をした。特に、CTなどの検査装置が、的確な診断に威力を発揮したとされている。

 日本においては、太平洋戦争時に氷川丸が病院船として活動した。戦後、自衛隊は病院船を持っていないが、輸送艦・護衛艦に「野外手術システム」を搭載することで高度な医療機能を確保するとされている。日本においても本格的な病院船の導入を求める声は繰り返し起こっている。1998年には山中燁子衆議院議員(当時)が国会予算委員会で、(1)大災害時の救急医療(2)離島の巡回医療(3)アジアへの貢献-に資するための「多目的病院船」の導入を提案している。

 また、東日本大震災による津波大災害を受けて2011年に、「災害時多目的船に関する検討会」が内閣府に組織され、翌年に報告書をまとめている。その結論は、費用がかかること、被災地付近への展開に時間がかかること、地震・津波による港湾被害のために病院船への搬送に問題があること、離島への巡回医療としては設備が過大であること、などから専用の病院船というよりは、上記の「野外手術システム」の既存艦船への搭載で十分とする内容となっている。

 しかし、わが国における病院船の必要性は、近年増大している。18年は台風が連続して日本列島を襲い繰り返し深刻な水害を起こしている。インドネシアは2回も甚大な津波被害に見舞われた。私見では、これらは太陽活動の不活発化による小氷河期の到来によるものである。小氷河期においては、ジェット気流の蛇行が頻発し、極端な気候が常態化する。火山噴火や地震も多い。したがって、このような大災害頻発状態は、今後少なくとも10年、長くて100年続くと覚悟しなければならない。日本が連携をより強めるアジア・太平洋地域全体を見ると、常にどこかで病院船を必要とする大災害が発生していることになろう。

 もちろん、病院船のデザインと運用について一層の工夫が必要である。被災地からの患者輸送を円滑にするために、ヘリコプターやエア・クッション型揚陸艇の運用能力の強化が重要である。ヘリ空母や揚陸艦機能を備えた艦船との一体運用も視野に入れるべきだ。逆に、これらの既存艦艇への病院機能の拡大という現在の方向性も強化すべきだろう。少なくとも、1988年に導入された現在の野外手術システムの機器の更新・充実は必須だと思われる。

 大災害の経験から、発生後3日目ぐらいから備蓄していた燃料が底をつき、活動に支障が出ることが指摘されている。この時期に自前の燃料を持ち、自力展開して活動できる医療チームが参加することは重要である。港湾の事業継続計画や日本医師会の災害医療チーム(JMAT)と連携し、円滑で万全な救援・医療体制がとられることを望んでいる。

2019年2月27日 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説
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