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銀河中心超巨大ブラックホールの形成シナリオと地上重力波検出器によるブラックホール合体イベントの検出頻度: Formation scenario of supermassive blackhole at the galactic centers and detection frequency of blackhole-merger events by ground-based gravitational-wave detectors

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Shinkai, Kanda, and Ebisuzaki (2017)は、銀河中心の超巨大ブラックホールが、中間質量ブラックホールを起点とした階層的合体で作られるというモデルを基礎において、KAGRAもしくはadvanced LIGO/VIRGOのような地上重力波アンテナで検出できるイベント数を評価した。第二世代地上検出器の感度は10Hzから上の周波数に十分な感度を持つので、原理的には2千太陽質量以下のブラックホールのリングダウン重力波を検出可能である。特に、KAGRAは天候や人工的活動による地面振動ノイズが少ない地下に設置されているので、有利なはずだ。この能力を使うと、超巨大ブラックホールが中間質量ブラックホールを起点とした一連のブラックホール合体イベントの数を確認できる。宇宙における銀河の数密度が与えられており、そのすべてが超巨大ブラックホールを持っていることを使えば、理論的にブラックホール合体イベントの発生頻度が評価できる。これと、観測数を比較すれば、超巨大ブラックホールの形成シナリオを検証できる。

検出の信号・ノイズ比の敷居を30とすると検出可能な重力波合体イベントの数は、最も楽観的な場合で年間20個に上る。地上の重力波アンテナの感度曲線を考慮すると、全質量が60太陽質量になるようなイベントが最も多く検出される計算になった。このことは、最初に検出されたイベント(GW1501912)が全質量62太陽質量であったことと整合的である。ただし、超巨大ブラックホールが、ブラックホールどうしの合体で成長したというEbisuzaki et al. 2001が提唱したシナリオに従えば、より大きな質量、例えば全質量が100-150太陽質量のイベントもかなりの頻度で存在しなければならない。特に低周波数の重力波イベントの検出努力が重要であり、超巨大ブラックホールの形成過程の解明に大きなインパクトを与え
る。

1) Shinkai, H. Kanda, N., and Ebisuzaki, T. 2017, Gravitational Waves from Merging Intermediate-mass Black Holes. II. Event Rates at Ground-based Detectors, Astrophysical Journal, 835, 276-283.

2) Ebisuzaki, T. et al. 2001, MISSING LINK FOUND? THE “RUNAWAY” PATH TO SUPERMASSIVE BLACK HOLES, Astrophysical Journal Letters, 562, L19-L22.

「冒険」を「ビジネス」に変えた偉業 天文学から航海術への「技術移転」

 ジェームズ・クックの航海日誌を読了した。これは、エンデバー号による1768年から71年の足かけ3年にわたる第1回の太平洋航海に関するものである。航海の目的は69年6月3日に起こると予測された金星の日面通過の観測による金星・太陽間の距離の測定だったという。このために天文学者のチャールズ・グリーンが航海に同行した。日誌の過半は、その日の天候、風向き、天測による緯度・経度の記述で占められている。当時の風帆船の航海日誌としては当然である。

さて、天測による経度・緯度の決定はどのように行うものだろうか。まず緯度は、太陽や星の南中高度(南半球では北中高度)を測定すれば、比較的正確に決めることができる。一方、問題は経度だ。正確な時計があれば天体の南中時刻から決めることができるが、温度とゼンマイの巻きの強さについての補償機構を持ち、ゼンマイを巻く間も時を正確に刻み続ける工夫をしたクロノメーターは、まだ実績がなかった。

時間測定1秒の誤差がおおむね200キロ(赤道上)の誤差に対応する。59年に製作されたクロノメーターH4は、イギリス・ジャマイカ間の航海の81日間で8.1秒しか狂わなかったという記録があるから、次第に精度が上がってきたとはいえ、クロノメーターに全幅の信頼をおけなかったに違いない。

クックが信頼を置いたのは、月と太陽、もしくは月と星の相対角距離の測定による経度決定法だった。月までの距離は38万4000キロであるから、0.1秒角程度の精度で月と他の天体の間の角距離を測って、理論的に求めた月の位置と比較すれば、船が地球上のどのあたりにいるかが200キロ程度の精度で決まることになる。

72年に始まる第2回航海ではクックもクロノメーターを採用している。多分、条件の良いときに天測をしてクロノメーターの誤差を補正しつつ両者を併用して用いたに違いない。

それにしても常に搖動する船上での天測は困難を極めたことは容易に想像できる。同乗した天文学者のチャールズ・グリーンが天測に専従し、航海士らに懇切に教えたおかげで、天体位置表などを駆使した天測からの経度の決定法を航海士らが身に着けた。

その結果、航海の必要上十分な0.5度以下の精度での経度決定が日常的に達成されるようになったという。この天文学から航海術への「技術移転」により、英国海軍および商船隊は他国に比べて格段の有利さを持ったに違いない。これが、「太陽が沈まない世界帝国」を築き維持するのにどれだけ役に立ったか想像に難くない。このように考えると、当時、天文学は非常に重要な実学だったことになる。英国ではどの大学でも天文学の講座があって幅を利かせているが、その起源はこの辺にあったのかもしれない。

航海日誌では、目印となる主要な岬や山頂の形と見える方角を、それを観察した経度・緯度とともに、綿々と記している。これらの情報があれば、続く航海者が経度・緯度を測定しつつその近くに来たときに見上げれば、目標の岬や山頂が見えるという具合になるはずだ。

こうなると手探りで進むよりずっと効率が良くなる。実際、クック自身かつて訪れた場所を再訪するときには、経度・緯度からそろそろあの山がこの方角に見えるはずとあたりをつけて船員をマストに登らせている。

このクックの航海で冒険の時代は終わったということもうなずける。航海が命がけの「冒険」から、ある程度計算できる「ビジネス」に変わった。その変化を導いたのが、天測による経度・緯度決定技術だったということになる。

フジサンケイビジネスアイ2017年2月9日
許可を得て転載

大正関東地震(1923)における相模湾内海底地滑りと津波の発生について: Land slides in Sagami bay at the Taisho Great Kanto Earthquake and Tsunami genesis

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大正関東地震(1923年)においては、伊豆半島東岸から房総半島西岸までの相模湾沿岸各地において、地震発生直後に津波が襲来し大きな被害がもたらした。その発生原因について考察する。

1.津波襲来状況と相模湾の海底地形変化調査
津波襲来状況は、神奈川県水産試験場によって調査され調査報告書以下のようにまとめられている(吉田ら2012)

「西部真鶴付近にあっては激震後5 ~ 6 分にして、東部三浦郡沿岸においては三崎付近に早く4 ~ 5 分の後、長井鎌倉等北上するに従って遅れて江ノ島付近にては約10 分後であった。各地とも一様に初め強烈なる退潮が生じて沿岸の海底が露出した後、前後2 回若しくは3 回津波が襲来した。その高さは各地とも2回目が最大で、真鶴方面では6m に達した。熱海伊東間最も烈しく激震後5 ~ 6 分にして多少の退潮があった後、3 回津波が来襲して、その高さは6m から10.5m に達した。川奈崎以南は次第にその大きさが減少して、下田では、激震後約20 分に高さ1.8m ~ 2.1m のものが押し寄せた。」

一方、大正関東地震(1923年)の際の海底地形の変化が、1923年9月1日の地震直後から翌年1月にかけて調査された。その結果が、水路部によって水路要報にまとめられている(水路部1924、Fig.1)。水路要報では図が付されているだけで説明は一切ない(吉田ら2012)が、震災調査報告では次のように記述されている。

「相模灘で起こった地変のうち最も顕著だったのは海底の陥没である。湾内より大島付近各所でそれが認められるが、もっとも大きかったのは真鶴岬の沖合から相模灘の中央を南東の方向へ向かって大島の東方に至る延長約30 マイル、最大幅約16 マイルの広大な海域で、平均72 ~ 80m、場所によっては180m 余りの陥没があった。この区域の北端は真鶴岬南東沖4 マイルに達し、東端は房総半島洲
崎の西方沖合約4 マイルに近づき、西南部は大島に接近してその南端は波浮の東方沖8 マイル余りの地点に至る」

この変動は「信じがたいほど大きい」とされ、寺田寅彦(1924)が注意し、その検討を行っている。その報告の後尾に、付記として、相模湾の水深の大きな変化は、海底斜面堆積物の滑り落ちや乱泥流による谷の洗浄作用によるものではないかという小川琢治(湯川秀樹の実父)の議論が言及されている(吉田ら2012)。寺田は「必ずしも一般的に浅いところが深くなり深いところが埋もれたという明
白な結果は見られないと指摘したうえで、この論を一概に否定することはなく(後略)」というどちらかというと否定的な評価を下している。

戎崎は、最新の海底地形図と照合した結果、海底地形と明らかな対応が見られることを見出した。地震後に起こった相模湾の水深変は、3つの独立な海底堆積物の移動(地滑り)で概ね説明できる。まず、水深変化の中で最も著しいのは「真鶴岬の沖合から相模灘の中央を南東の方向へ向かって大島の東方に至る延長約30 マイル、最大幅約16 マイルの広大な海域で、平均72 ~ 80m、場所によっ
ては180m 余りの陥没」である。これがほぼぴたりと相模舟状海盆(相模トラフ)と一致している(Fig.2)。この海盆は相模トラフの西北端に位置している。その東南は次第に海底河谷を形成し、三浦半島沖で東京湾海底谷、房総半島沖で房総海底谷と合流し、さらに伊豆小笠原海溝の海溝三重点(坂東深海盆)に向かって下っている。したがって、この「陥没」が、相模湾舟状海盆に長年堆積していた軟弱な堆積地層が、地震の衝撃で乱泥流(海底地滑り)を形成し一気に海溝三重点に向かって流下した結果と考えられる(Fig. 3)。この幅約25㎞、流下長さ(R)約50㎞、厚さ(d)約100mの海底地滑りの結果、相模湾内で津波が発生したと考えられる。駿河湾口に敷設してあった海底電線が切断されたこと、ほぼ同じ海域で深海魚の死体が多数発見された(水路部1924)ことも海底地滑りの発生を示唆している。

次に顕著なのは、相模湾トラフの「陥没」地帯の南東の三浦半島西側沖の領域である(Fig. 4)。この領域は、北西から相模海丘、三浦海底谷、三浦海丘、城ケ島底谷、三崎海丘。東京海底谷、沖ノ山と続く複雑な地形を示す。ここは、「隆起(水深が浅くなる)」と「陥没」が共存しているが、どちらかといえば前者が卓越している。概ね高所(海丘)が「陥没」し、低所(海底谷)が「隆起」する傾向がみられるので、「海丘が崩れて海底谷を埋める」ような堆積物の移動が起こったと考えれば説明できそうだ(Fig 4)。また、地震の地殻変動で、三浦半島西岸は2メートルほど隆起し、多数の土砂崩れが発生したとの記録が残っている。この土砂は最終的には、海に流入しただろうから、隆起傾向が卓越したのは理解できる。この移動が、地震直後に起こったのかもう少しゆっくり数か月かけて起こったのかは、わからない。測量は9月1日から翌年1月までの5か月をかけて行われている。ただし、上記の相模トラフ沿いの乱泥流の後に起こったらしい。というのは、相模トラフの中で、三浦半島(北東)方面からの海底谷(三浦海底谷、城ケ島海底谷、東京海底谷)の出口付近の「陥没」が小さくなっている領域
が存在するからである。これは、乱泥流の通過後、三浦半島西岸および東京湾・沖ノ山方面からの土砂が再堆積した結果ではないかと推察される。実際、現在の詳細な海底地形図を見ると、この領域に海底三角州のような構造が観察される(Fig. 2)。これらの陥没・隆起地域に近い鎌倉への津波の到着が地震の13分後と遅かったのは、この移動が少なくとも津波の主因ではなかったことを意味して
いる。

最後に伊豆大島と伊豆半島(伊東付近)の間の海底も、100メートルを超える水深変化を示している(Fig. 4)。この領域は海丘(たぶん海底火山)と海底河谷が入り組んだ複雑な地形を持っており、概ね高所が陥没し、低所が隆起している。したがって、海丘が崩落して、海底谷を埋める土砂崩れの発生で説明できる。下田への津波の到着は地震発生後20分と遅いので、少なくともこの土砂崩れが、津波の主因でないことが分かる。

地滑りは地震直後におそらく真鶴海丘周辺の急崖の崩壊から始まり、相模トラフに堆積した軟弱な堆積物を巻き込みつつ、約1,000秒(約20分)かけて伊豆大島北方に達し、東京湾方面からの流れと合流しつつ東南東方向に海溝三重点に向かって流下していったと考えられる。

2.記録との比較
地滑りフロントの長さ(L)をその厚さの10倍程度(L=1km)と仮定すると、地滑りで励起される津波の高さΔhは
Δh~dL/R=100×1000/50,000=2 m
となる。真鶴海丘周辺の水深は約300-500mである。最も津波被害が著しかった熱海における津波襲来は

「熱海伊東間最も烈しく激震後五六分にして多少の退潮ありたる後、三回の津波来たり高さ二十尺(6.6 m )乃至三十五尺(12m)に達す」

と記録されている(吉田ら2012)。まず、「まず潮が引いた」という記述は、海岸近くから沖に向かって流下した海底地滑りによる津波の特徴と合致している。次に、浅水波である津波の速度は約70m/sであるので、約10㎞離れた熱海までは
約140-200秒で到達することになる。地滑りが完全に成長するまでに少なくとも1000/50=200秒はかかることを考慮すると、地震発生から津波の襲来まで300-400秒つまり5-6分かかったことはうまく説明できそうである。波高に関しては、沖合で2mの津波が地形効果による波高の増幅により6-12mとなったと考えられる。つまり、海底地滑りモデルは、記録と波の位相、到達時間および波高の3つの観
点で概ね一致する。

また、熱海には地震後13分後、下田には20分後と遅く到達していることは、相模トラフにおける地滑りが、津波の主因であることを示している。相模湾東北部(三浦半島沿岸)や稲取・下田沖にも海底地形の変動がみられるが、その規模は、相模トラフにおける変動の一桁以上小さい。また、調査が1924年1月までかかっていることから、これらの小規模の変化が地震直後でなく、数か月間かけてゆっ
くり起こった可能性もある。

3.東京湾の海底変化
東京湾内においても多少の変化が記録されている。調査報告書は

「北部沿岸の羽根田燈台付近、大森及び品川地先等において海底の上昇する所があるものの、その他のところでは一般に低下した。中でも低下の著しかったのは横浜より羽根田に至る間及び深川より検見川に至る間で、この間、2 ~ 3 ヶ所を除いて水深が増加し、その最大は船橋地先で3.36m 増した。北部沖合でも36cm
乃至2.52m の陥落が認められた。特に横浜沖合で最大3.6m 沈下したところがあっ
た。(後略)」

と記述している(吉田ら2012)。東京湾海底谷は横浜沖において次第に傾斜と水深を大きくして浦賀水道を抜け、蛇行しながら相模舟状海盆に合流している。横浜沖における陥没は、東京湾海底谷においても小規模ながら海底地滑りが起こっていた可能性を示唆している。実際、東京湾内部で1m程度の津波を観測している(羽鳥2006)。また、東京湾海底谷の相模トラフへの合流部には、東京湾由来の土砂に由来すると思われる、海底三角州が見られる(Fig. 2)。実際、館山沖の海中電線が切断されている(水路部1924、Fig. 1)。

同様に三浦半島付近を震源とする元禄関東地震(1703年)においては、東京湾内においても本所、深川、両国で1.5m、品川、浦安で2m、横浜で3m、稲毛では3 -4m、さらに隅田川の遡上も記録されている(羽鳥2006)。これらは、東京湾海底谷におけるより大規模な地滑りのせいかもしれない。

多くの産業インフラと居住地が海岸線にある現在、もし元禄地震並みの津波が東京湾内沿岸に襲来したら、その被害の大きさは想像もつかない。今後想定される東京直下型地震において、この東京湾海底谷における海底地滑り発生可能性を十分精査する必要がある。

1)Lovholt, F, Pedersen, G., Harbitz, C.B., Glimsdal, S, and Kim, J.2015, On the characteristics of landslide tsunamis, Phil. Trans. R. Soc.A, 373, 20140376.

2)Harbitz, C.B. 1992, Model simulations of tsunamis generated by Storegga slides, Marine Geology, 105, 1-21.

3)水路部,1924, 大震後相模灘付近推進変化調査図,水路要報, 第3年第16号

4)吉田明夫、塚田昌武、小田原啓2012、大正関東地震の際の海底地殻変動、神奈川県温泉研究所報告、第44巻17-28

5)寺田寅彦, 1924, 大正十二年九月一日の地震に就いて, 地学雑誌, Vol. 36,No. 7, 395-410.

6)羽鳥徳太郎(1976):南房総における元禄16年(1703年)津波の供養碑 : 元禄津波の推定波高と大正地震津波との比較, 東京大学地震研究所 地震研究所彙報.
第51冊第2号, 1976, pp. 63-81.

7)池田徹郎1927、伊豆安房方面津浪並びに初島地変調査報告書、神奈川県震災誌 神奈川県

生命起源の原子炉間欠泉モデル: Nuclear Geyser Model of Birthplace of Life

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ミラー・ユリーの実験(Miller and Urey 1959)以来、多くの化学進化実験が行われた。Ebisuzaki and Maruyama (2016)は、冥王代の地球表層にはたくさんあったはずの自然原子炉が生命構成分子を豊富に安定に供給する生命誕生の環境を作ったとと考えている。1972年に自然原子炉の化石がアフリカのガボン共和国オクロで発見されている。それは、水を減速材として用いる核分裂原子炉であった。水が浸入して核分裂連鎖反応が臨界に達し、それによる熱の発生により水が蒸発してなくなると連鎖反応が停止する。このような周期的な原子核反応で駆動される間欠泉であった(Meshik et al 2004)。核分裂の連鎖反応の燃料となる235Uの半減期(7.1憶年)は238Uのそれ(45億年)よりも短いので、冥王代(40-46億年前)においては、235U/238U比は20%を超えていたはずである。その結果、それほど品の高くないウラン鉱床でも、水が十分に得られれば臨界に達する可能性がある(Kuroda1956)。冥王代にはこのような原子炉ガイサーが、大陸地殻表層にたくさんあったと考えられる。

原子炉から放射されるガンマ線(光子)、アルファ線(ヘリウム原子核)、ベータ線(電子)、中性子線などの電離放射線が水、二酸化炭素、メタンを解離・励起して多量の水和電子やラジカルと高反応性化合物を生産する。これによりHCNやHCHOがまず作られ、それが縮合して、グリセルアルデヒドやグリコルアルデヒドなどの重要な生化学中間体が、さらにプリンやピリミジンなどの核酸残基、リボースなどの糖、さらにアミノ酸や脂肪酸などが作られる(Ritson et al.2013など)。

原子炉ガイサーは、生命の化学進化に理想的な環境を以下のように提供する。
1)高密度の電離放射線が、反応性の高い化学物質やラジカルを作り出し、水や二酸化炭素分子から、生体構成分子への化学反応を駆動する。
2)物質とエネルギーの循環と周期的な変動(熱サイクル、乾湿サイクル)を駆動する。
3)温度が水の沸騰で決まる100℃を超えず、生体高分子が破壊されない。
4)原子炉壁を構成する橄欖石に富む岩石と水が反応する蛇紋岩化反応によって、H2とブルース石(Ma(OH)2)が形成されるので、局所的に還元的で強アルカリ(~pH11)環境をを提供するな環境を提供する。
5)HCNやフォルムアルデヒドのような揮発性の分子を地下の洞窟の天井などに閉じ込めることができる。

今のところ、生命の誕生場としては、干潟、深海底熱水孔、深宇宙、そして原子炉ガイサーの4つが考えられている(表)。上記の条件を満たすのは原子炉ガイサー以外にない。まず、干潟に関しては、潮汐による物質循環が存在し、温度が100℃以下であることはよいが、電離放射線として、太陽紫外線、雷、銀河宇宙線を使わざるを得ない。ところが、それぞれユリー・ミラーの実験に比べて前者で3桁、5桁、9桁以上小さいので、縮合反応を進めるためのHCNやHCHOの臨界密度に遠く及ばない。さらには、酸化的な地球大気に対して完全に開いた環境であり、局所的に還元的な環境を維持し、揮発性ガスを濃縮することも非常に難しい。

次に、深海熱水孔は、熱水による物質・エネルギー循環があり、温度も100℃以下で、蛇紋岩化反応によって局所的に還元的な環境を作りえる。しかし、電離放射線が全くなく、さらには完全に水につかっている状態で、ガスの濃縮は難しい。また、深海ではリン酸や窒素(アンモニア)の供給が絶対的に不足する。

深宇宙は、銀河宇宙線による電離放射線があり、0℃以下の温度で有機物が長期にわたって保存され、還元的な環境にある。しかし、物質・エネルギー循環は全くなく、ガスの濃縮は不可能である。その上、作った有機物を地球表面に破壊することなく運ぶことが困難である。例えば、100m以上の隕石が地球に衝突すると、一瞬にして蒸発し、隕石中の有機物は酸素と結合して二酸化炭素や水に変わってしまう。逆に、10m程度以下の隕石として地球に降下した場合でも、その表面は焼け焦げるので有機物は存在しえない。隕石の内部ではある程度残るかもしれないが、それを隕石中から取り出し、海中に放出する機構が存在しない。深宇宙で作った有機物を大量に地球に持ち込んで生命の材料に使うというアイデアは、多くの天文学者や生物学者の希望的夢想に反してほとんど不可能である。

科学哲学者カール・ポパーの反証可能性の理論によれば、生命の起源のような多くの物理・化学過程が関与する複雑な現象に対しては、作業仮説を立ててその反証を試み、棄却を重ねることで科学的理解を漸近的に深める必要がある。その意味では、生命誕生場としての干潟、深海熱水孔、深宇宙説はそれぞれ一つ以上の棄却要因(表の赤の部分)を抱えており、この時点で棄却するか、もしくは棄却要因を無効にする新しいモデルを構築するしかない事態にあると思われる。原子炉間欠泉については、今のところ致命的な棄却要因は見られないが、今後の新しい観測事実や理論に基づいて反証によるテストを繰り返すことが重要であることは言うまでもない。実際、東工大では原子炉ガイサーの示唆を受けてCo60ガンマ線照射施設を用いた化学進化実験が進行中である。核酸モノマーやアミノ酸を含む生体構成分子が効率よく生産される有望な結果を得ている。

1)Ebisuzaki, T. and Maruyama, S. 2016, Nuclear geyser model of the origin of life: Driving force to promote the synthesis of building blocks of life, Geoscience Frontiers, in press.
2)Ndongo, A., Guiraud, M., Vennin, E., Mbina, M., Buoncristiani, J.-F., Thomazo, C., Flotté, N., 2016. Control of fluid-pressure on early deformation structures in the Paleoproterozoic extensional Franceville Basin (SE Gabon). Precambrian Research 277, 1-25.
3)Ritson, D.J., Sutherland, J.D., 2013. Synthesis of Aldehydic Ribonucleotide and Amino Acid Precursors by Photoredox Chemistry. Angwandte Chemie-International Edition 52, 5845-5847.
4)Chyba, C., Sagan, C., 1992. Endogeneuous production, exogeneous delivery and impact-shock synthesis of organic molecules: an inventory for the origin of life. Nature 355, 125-132.
5)Meshik, A.P., Hohenberg, C.M., Pravdivsteva, Q.V., 2004. Record of Cycling Operation of the Natural Nuclear Reactor in the Oklo/Okelobondo Area in Gabon. Physical Review Letters 93, 182302-1-4.
6)Miller, S.L., Urey, H.C., 1959. Organic compound synthesis on the primitive Earth. Science 130, 245-251.
7)Kuroda, P.F., 1956, On the nuclear physical stability in the uranium minerals, The Journal of Chemical Physics, 25, 781-782.

タンデム惑星形成理論: Tandem Planetary Formation Theory

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Ebisuzaki and Imaeda (2017)は新しい惑星形成理論の枠組みを構築した。彼らはまず、原始星の周りを回転する降着円盤の定常1次元構造を求めた。そこで、磁気回転不安定性(MRI)による乱流の発生を考慮すると、円盤は、3つの領域、外の乱流領域、静穏領域そして、内側の乱流領域に分かれることが分かった(Imaeda and Ebisuzaki 2016)。外側の乱流領域は磁気回転不安定のために完全に乱流的であるが、r_out(=9-60天文単位)よりも内側では、円盤の中央面付近で電離度が極端に下がり、磁場とガスとの相互作用が全くなくなって、磁気回転不安
定が抑制される領域(静穏領域)が現れる。さらに内側に進んでr_in(0.2-1.0天文単位)ぐらいになると、重力エネルギー解放のためにガスの中央面の温度が1000Kを超えて再び電離度が上昇して磁気回転不安定が起動され、円盤が再び乱流的になる。

この3つの領域を分ける二つ(外側と内側)の境界が、惑星形成に重要な役割を果たす。微惑星(直径数キロメートルの微小な惑星)は外側と内側の境界付近の二つの場所でのみ形成される。固体微粒子が、動径方向に移動して二つの境界に集まってくるからである。

外側の境界では氷の粒子が低速衝突による多孔性集積を繰り返し、雪の塊のように非常に低密度(10^-5 g cm^-3)になりつつ直径数メートルになるまで成長する。最終的には、これらが重力不安定を起こして微惑星となる。この微惑星がさらに集まって木星や土星などの巨大ガス惑星の固体コアや海王星などの氷惑星となったと考えられる。

一方、内側の境界ではガス圧が最大になるので、岩石粒子の動径方向のドリフト速度が非常に小さくなり、吹きだまって集積する。それらはガス円盤の中央面付近に固体微粒子(小石サイズ)でできた薄く高密度のサブ円盤を形成する。それが薄くなりすぎて重力不安定を起こし、分裂して微惑星を形成する。この岩石でできた微惑星がさらに小石サイズの固体粒子を吸収しつつ成長し、最終的には地球、金星、火星などの岩石惑星となったと考えられる。

内側の境界の温度は、ナトリウムやカリウムのようなアルカリ元素が電離を始める温度で決まっており、必ず1000Kを超える高温になる。したがって、そこで作られる岩石微惑星は揮発成分(水や二酸化炭素)を完全に失ってしまう。このような水を持たない微惑星の形成は、地球を含む岩石惑星が完全に水なしでまず生まれたらしいという地球マントルや月の石、火星隕石の最近の分析結果と整合的である。その場合、今地球に存在する水は、惑星形成後だいぶ(1億6千万年ほど)経ってから、現在の小惑星帯あたりにあった炭素質コンドライト様の小惑星の爆撃で後からもたらされたと考えなければならない。

この新しい理論は「タンデム惑星形成」と名付けられた。外側と内側の二か所で形成されるからである。タンデム惑星形成理論は、これまでの理論にはない良い特徴を持っている。まず、固体微粒子が円盤の二か所に勝手に集まってくる機構を持っているので、固体粒子の成長が十分早く起こり惑星ができる。次に、原始惑星がある程度成長してからも、小石サイズの粒子の供給が外側の領域から続くと期待されるので、少数(10個以下)の比較的大きな惑星ができる可能性が高い。その過程では激しい惑星同士の衝突はあまり起こらない(数が少ないから)と期待されるので、太陽系の惑星が円軌道に近い軌道を持つことが自然に説明できる。最後に、太陽系には、火星の外から木星までの間に固体成分
がない「間隙」が存在することが知られている。現在はそこには惑星が存在せず、小惑星帯になっている。タンデム惑星理論は固体粒子分布の間隙を自然に説明できる。

このようなタンデム惑星がうまく機能するためには、星ができる環境が適切でなければならない。例えば、円盤の縦磁場の強さが弱いと外側の境界が100天文単位の外に出てしまい、外側での氷微惑星の形成がうまくいかなくなることが分かっている。今後、星形成の環境と惑星形成の様態の関係について調べれば、最近見つかっている多様な惑星系をうまく説明できるようになるかもしれない。

Ebisuzaki, T. and Imaeda Y., 2017, United theory of planet formation (i): Tandem regime, New Astronomy, 54, 7-23.

Imaeda, Y. and Ebisuzaki, T., 2016, Tandem planet formation for solar system-like planetary systems, Geoscience Frontiers, in press.

脂質膜の初期進化と細菌と古細菌の分岐:The early evolution of lipid membranes and the three domains of life

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すべての細胞膜は、グリセロールリン酸のリン脂質でできており、その共通性が最終共通祖先(LUCA)の存在の根拠の一つになっている。しかしながら、リン脂質の生合成経路は、細菌と古細菌で非常に違っているので、それらの最終共通祖先は、リン脂質膜を持っていなかったのではないかとの疑いがもたれていた。Lombard et al 2012によると、最近の系統樹の研究はそれを支持せず、LUCAはむしろ両者の要素を持つ複雑なリン脂質膜を持っていたことを示唆している。

細菌と真核生物は、同じ細胞膜を持っている。それはglycerole-3-phosphate(G3P)でエステル結合された脂肪酸リン脂質でできている。一方で、古細菌の細胞膜はglycerole-1-phosphate(G1P)でエステル結合されたイソプレノイド鎖でできている。細菌と古細菌は鏡映異性的に違う合成経路を使う、特にG1Pを合成するリン酸デヒドロゲナーゼは、G3Pを合成するそれとはまったく違う。このため、LUCAがどのような細胞膜を持っていたかが議論の的になっていた。

Koga et al. (1998)は、リン脂質生合成経路は、LUCAの後に、細菌と古細菌の系統で別々に確立されたと主張した。しかしこの仮説は、確かに細菌と古細菌の細胞膜の生物の違いを説明するが、LUCAは100種類もの遺伝子を保有しているはずであることが分かってきた。このような複雑なシステムはダーウィン型進化を経て作られると考えられるが、細胞膜で仕切られていない生物がダーウィン進化できる様には思えないので、大変奇妙であった。

Martin and Russell (2003)はリン脂質の代わりに海洋底熱水孔で析出する一硫化鉄鉱物がその仕切りとなり、その内外の酸素濃度、pHと温度の差による化学反応でリボソームとそのほかのLUCAの特質が確立したと考えた。リン脂質の合成系はその後、古細菌と最近の系統で独立に成立したと考える。しかし、海底熱水孔は比較的変化が早く、個別の煙突は典型的には100年以内になくなってしまう。鉱物に束縛された生物は他の煙突への移動が不可能なので、その起源からLUCAまでの進化が一つの煙突内で100年という驚くべき短期間で起こったとは、考えにくい。

教科書は細菌と古細菌のリン脂質の差を強調するが、詳細に調べてみると両者の差はそれほどはっきりしていない。例えば、脂肪酸は古細菌でも検出されており、イソプレノイドも細胞膜の成分としてはすべてのドメインの生命に分布している。唯一の大きな違いは、グリセロールリン酸の鏡像異性体のG1P(古細菌)とG3P(細菌と真核生物)が非相同的なグリセロールリン酸デヒドロゲナーゼを使って行われることである。ただし、最近の遺伝子系統解析は、両者の差の強さについては疑問を呈している。というのは、G1PデヒドロゲナーゼとG3Pデヒドロゲナーゼはどちらも、3つのドメインに広く分布する一つの遺伝子スーパーファミリーに属しているからである。つまりこのスーパーファミリーに属する少なくとも一つの遺伝子は、細菌と古細菌の分岐以前に成立していなければならない。したがって、LUCAはG1PとG3Pを区別せずに合成する祖先的な遺伝子を持っていた可能性がある。その遺伝子が、細菌と古細菌の分岐以後にそれぞれG1PとG3Pに固有な遺伝子に特化していった可能性がある。つまり、LUCAは細菌型のG3P脂肪酸と古細菌型のG1Pイソプレノイドの両方のリン脂質を含んだ細胞膜を持っていたことになる。

最近の系統樹解析は、イソプレノイド合成のためのメバロン酸経路は古細菌と真核生物、そしていくつかの細菌の門で高度に保存していることが分かっている。したがって、メバロン酸回路はLUCAには存在していたが、ほとんどの細菌では失われ、非相同的なメチルエリトリトールリン酸経路にとって代わられたのだろう(Lombert and Moreira 2011)。一方、古細菌は、細菌の脂質合成経路と相同的な遺伝子とを保持し続けた。

では、古細菌と細菌の「細胞膜分岐」はどのように起こったのだろうか。古細菌の最終共通祖先は好熱菌であったことは広く認められている。したがって、古細菌の細胞膜は極端に熱い環境において陽子の細胞膜透過を抑制して細胞膜内外の電気化学的勾配を維持するように進化したのかもしれない(Valentine 2007)。一方、細菌の系統においては、アシル基輸送たんぱく質の進化が、効率的な脂肪酸合成を可能にした。この経路がリン脂質合成系に使われるようになり、イソプレノイド合成系は、他の機能に使われるようになった(Lombard et al. 2007)。脂肪酸もイソプレノイドも、二つの系統の中に残っている。

Lombard et al. 2012, The eraly evolution of lipid membranes and the three domains of life, Nature Review, 10, 507-515.

Koga, Y., Kyuragi, T., Nishihara, M. and Sone, N. 1998, Didarchaeal and bacterial cells arise independently from noncellular precursors? A hypothesis stating that the advent of membrane phospholipid with enantiomeric glycerophosphate backbones caused the separation of the two lines of descent. J. Mol. Evol. 46, 54-63.

Martin, W. & Russell, M. J., 2003, On the origins of cells: a hypothesis for the evolutionary transitions from abiotic geochemistry to chemoautotrophic prokaryotes, and from prokaryotes to nucleated cells. Phil. Trans. R. Soc. Lond. B 358, 59-83.

Lombard, J. & Moreira, 2011, D. Origins and early evolution of the mevalonate pathway of isoprenoid biosynthesis in the three domains of life. Mol. Biol. Evol. 28, 87-99.

Valentine, D. L., 2007, Adaptations to energy stress dictate the ecology and evolution of the Archaea. Nature Rev. Microbiol. 5, 316–323.

Lombard, J., López-García, P. & Moreira, D. An ACPindependent
fatty acid synthesis pathway in archaea? Implications for the origin of phospholipids. Mol. Biol. Evol., 29, 3261–3265

津波発生メカニズムに新知見 海底地滑りによる災害増大化防げ

2011年3月11日の東日本大震災では、巨大津波が1.5万人を超える人命を奪い、東北地方太平洋沿岸に未曽有の災害をもたらした。このときの津波データを見ると、震源に近い仙台市周辺よりもかなり北に偏った岩手県陸前高田市から同宮古市にかけての三陸沿岸を並はずれて高い40メートルの津波が襲来したことがわかる。このような現象は、リアス式海岸の地形効果のみで説明できるのだろうか。
 東京大学のゲラー教授ら国際チームは、津波の波形データを詳細に調べた。その結果、津波の観測データを説明するためには、震央に近い波源の他に、もう一つ別の波源も必要であることを見いだした。この波源は、震源の北北東約150キロの三陸海岸沖の日本海溝陸側斜面に位置する。その付近の海底水深を地震前後で詳細に比較したところ、数十メートルにおよぶ海底面の変動が約40×20キロの面積でみられた。
 それは大規模な海底地滑りが地震の直後にここで起こったことを示している。この場所は、海溝陸側の最も急峻(きゅうしゅん)な(勾配角度が20度を超える)斜面である。陸側から河川によって運ばれて堆積した土砂が地震によって崩落を始め、大規模な海底地滑りに至ったと考えられる。ゲラー教授らの解析によるとこの海底地滑りによる第2波源は、地震発生後25~35分のちに、鋭い波高(8メートル)のピークを作りだした。これが地形効果でさらに増幅され、最終的に40メートルを超える津波が三陸沿岸を襲うこととなった。この余分な波源さえなければ、三陸海岸における津波波高は、地形効果による増幅を考慮しても10メートル程度にとどまった可能性がある。
  海底では土砂が未固結のまま堆積するので、緩斜面でも重力不安定となって地滑りが起こる。また一度発生すると数十キロから数百キロもの距離を延々と走ることが知られている。米国ハワイ州オアフ島北東沖に広がる地滑り跡は、総面積は2万3000平方キロに達し、四国のそれ(1万8300平方キロ)を超えている。このときの津波は、はるか太平洋を越えて北米西海岸に達し、その波高は10メートルを超えたと考えられている。同様の大規模な地滑り跡が、ノルウェー沖や北米東海岸のノーフォーク沖、インドネシアのジャワ島南方の海溝、大西洋カナリー諸島周辺に発見されている。
 同様の災害は日本でも江戸時代の1792年に起こった。「島原大変肥後迷惑」である。前年から続いた普賢岳の噴火で、眉山の南側部分が地滑りをはじめ大量の土砂が有明海になだれ込んだ。その結果、島原側で6~9メートル、対岸の肥後側で4~5メートルの津波が襲い、甚大な災害を引き起こした。これは、陸上で起こった地滑りが海中まで続いた例であるが、その津波発生メカニズムについては同じと考えてよい。
 熊野灘沖は、西南日本太平洋沿岸において、近い将来発生する可能性が最も高い東南海地震の震源域である。濃尾三川(木曽川・揖斐川・長良川)起源の伊勢湾からの土砂と日本一の雨量を誇る紀伊山脈からの土砂が、熊野灘海盆に堆積して東南縁の急斜面付近(南海トラフ陸側斜面)で重力不安定場を形成し、海底地滑りがいつ起こってもおかしくない状況にある。実際、海底調査において、大規模な地滑り跡が発見されている。この地滑りがいつ起きたのかは不明だが、三重、濃尾、東海地方に大きな津波災害をもたらした1944年の昭和東南海地震の津波にも寄与した可能性もある。
  このような新しい知見を生かせば津波災害を減らすことが可能かもしれない。地震で誘発されて、同時多発的に大規模な地滑りが起これば大災害となるが、海底地滑りの原因となる重力不安定堆積物を計画的に多数回に分けて除去すれば津波災害を軽減できる。根絶とまではいかないまでも、例えば最大波高を半分にできれば、格段に被害は減る。深度2~4キロの深海底での作業は容易ではないし、見込み違いも起こるだろうが、津波となれば甚大な被害となる。津波被害の予防的軽減に向けて、科学技術の力で今こそ真剣に取り組むべきだと考える。
フジサンケイビジネスアイ 2016年9月 許可を得て転載

深刻化するスペースデブリ問題 研究本格化を

宇宙ごみ(スペースデブリ)は、地球衛星軌道を周回する不要な人工物体だ。宇宙開発の活発化に伴い増え続けており、約3000トンのスペースデブリが地球周回低軌道に存在するといわれている。その速度は弾丸よりも速い秒速10キロメートルに達するため、小さなスペースデブリであっても、人工衛星や宇宙ステーションに衝突すれば致命的な損傷を与える可能性がある。スペースデブリ同士の相互衝突により増加したスペースデブリが、他のスペースデブリや衛星に衝突することで、さらに増殖することが懸念されている。実際、2000年から14年の間にスペースデブリの数は2倍近くに増えているとの報告もある。
 スペースデブリの中でも特に0.3~10センチメートルサイズのスペースデブリは非常に多数(およそ70万個以上)存在し、小さいため検出が困難なことから、最も危険とされている。これらのセンチメートルサイズのスペースデブリを除去する方法はまだ確立しておらず、大きなスペースデブリの数を減らすことで、自然に小さなスペースデブリが減少するのを待つしかないとされていた。しかし、1センチメートル以下のスペースデブリの密度がある臨界的な値を超えると、相互衝突により勝手に数が増加することが知られており、その理論の提案者の名前を取ってケッスラー・シンドロームと呼んでいる。研究者の間では、既にそのような憂慮すべき状態に入ったのではないかとの心配が広がっている。
  最近、高輝度のレーザーをスペースデブリに照射するとプラズマが噴き出す現象を利用して、スペースデブリを脱軌道させて地球大気に再突入させる方法が提案され、有望な方法として検討が始まっている。スペースデブリ検出には口径2メートルほどの超広角望遠鏡を用い、軌道を粗く決めた後、その方向に探索レーザービームを照射し、軌道を正確に決定して、その方向に高輝度レーザーを照射する。レーザーによってスペースデブリ表面が高温化し、プラズマが噴出する。その反力でスペースデブリを減速させ、大気への再突入に導くというアイデアだ。
 この実現のためには、多くの技術開発が必要である。超広角望遠鏡は、宇宙からやって来る超高エネルギー粒子の検出用に開発された技術を用いる。高輝度レーザーは多数のファイバーで同時に発振させ、そのビームを結合して用いる。100キロメートル先の1センチメートルのスペースデブリに対して安定してレーザービームを照射し続けるには、レーザー発振器および射出望遠鏡に高度な制御が必要である。さらには、近づいてくるスペースデブリを検出し、軌道変更まで最大10秒で終わらせる必要がある。
 一方、不要物体といっても、それを打ち上げた国や組織が存在しており、その所有権は厳然と存在していることから、勝手に片づけることはできない。しかしながら、個々のスペースデブリがどの国に所属しており、所有者が誰かを特定することは、実際上不可能である。このことも、問題解決への動きの具体化を困難にしている。
 さらに、高輝度レーザーを宇宙で運用すること自体、宇宙の平和利用の観点から、宇宙機関の間で強い躊躇(ちゅうちょ)があることも事実だ。したがって、国際的な合意の上で、公平な国際機関の管理の下で推進することが必要となる。いずれにしろ時間がかかりそうだ。
 幾多の困難があるが、次世代に安全で平和な宇宙を残すためにわれわれの世代が立ち上がり、技術的な問題の解決へ向けて研究を本格化するとともに、具体的な対策のための国際的な議論を今始めなければならない。
フジサンケイビジネスアイ 高論卓説2016年8月
許可を得て転載

人間の脳を超えるスパコンで人間性の実証的研究

人間の脳は、どれくらいの性能の電子計算機と等価なのだろうか。神経細胞の数は約1000億個といわれている。1つの神経細胞は、約1ミリ秒に1回、1000から1万個の別の神経細胞から情報を得て、自分の興奮状態を決めると教科書には書いてある。そこで行われる演算は「積和演算」だ。それが1000億個あることを考慮すると、1秒間に20京~200京の速度を持つ計算機で、人間の脳と等価になる。
 最近は、脳の神経細胞の性質が、詳しく分かるようになっている。神経細胞の多くは小脳にあって、その大部分の入力数はかなり小さい。大脳にある神経細胞の一部は、網の目のように多点で結合しているものがあるという具合だ。これらを考慮しても、人間の脳は1秒間に10京~100京回演算をする電子計算機と思えばいい。
 一方で、世界最速のスーパーコンピューターの開発は、日米中でしのぎを削っている。当面の開発目標は1秒間に100京演算を実行できるスパコンで、2020年をめどにプロジェクトが進んでいる。つまり、20年ごろには、計算効率を考慮しても人間の脳全体の処理速度に匹敵するスパコンが出現する。この計算機の開発が浮上した時期に、計算機に基づいた人工知能(AI)が人間臭い行動をし始め、よく定義された問題では人間の能力を追い越し始めたのは、偶然ではないと考える。
人間の知能をAIが超えてしまい社会が根本から変わってしまう「シンギュラリティ」が20年ごろを起点として起こるのは、計算機の性能向上を考えると必然だ。逆に、積和演算がひたすら速い超並列マシン、いわゆるスパコンを開発することがAI研究の最重要課題となったということも言える。脳型コンピューターは、行列演算に特化したスパコンに収斂(しゅうれん)したのだ。
 では、演算処理速度としては、人間の脳に匹敵する100京マシンは、人間の脳を代替できるだろうか。その答えは、ある意味では「イエス」であり、ある意味では「ノー」だろう。本当に大事な問いは、何ができて何ができないのかを検証し、その理由は何かを明らかにすることである。そのための数値実験が20年代に盛んに行われるようになるだろう。
 人間心理、文学、音楽、詩、哲学など、これまで人間のみが直接関与できた研究分野が、電子計算機を使って実証的に検証しながら研究が進むようになるはずだ。人間の脳の中の状態を詳細に把握することは難しい。しかし、その機能を電子計算機に移すことができるのならば、電子計算機の内部情報はいかようにでも把握できる。これまでの文系学問の研究が、電子計算機を道具に理系の手法を取り入れて一気に加速するかもしれない。
 さらには、人間の理解が一層進むだろう。脳の解剖学的なデータや神経細胞の結合を詳細に調べて、それを電子計算機で模倣すればその動作が手に取るようにわかるはずだ。その過程で人間を特徴づける脳の特殊性と普遍性が明らかになるだろう。
 今のところ人間の専売特許である「創造性の発揮」の謎が解明されるかもしれない。ただし、行列演算主体のスパコンによる、神経細胞をたくさん集めただけのシステムが創造性をバリバリ発揮するとは、実は私も思っていない。それでも、それをやってみることには、重大な意味がある。実は予想が間違っていて、創造性が生まれたら、それでよし。もし、うまくいかなくても何が足らないのかがおぼろげながら見えてくる。それを克服する方法を模索することが次の研究段階となる。科学研究はこのように曲折しながら進んでゆくものだ。そのような研究の中から、「人間性とは何か」という根本的課題に対する答えが得られるかもしれない。

新規遺伝子の出現に関する「出精巣」仮説: The "out of testis" hypothesis for the emergence of new genes

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新規遺伝子の出現に関する「出精巣」仮説(Kessmann 2010)は、新しい遺伝子や遺伝子構造の転写は、精巣の生殖細胞、減数分裂をする精母細胞と減数分裂後の精細胞で促進されると考える。一度、転写されると、新規の有効な機能をもつ遺伝子は選択的に保存され、より効率的なものへと進化する。最終的には、このような新規の遺伝子はより広い発現パターンを持つ、すなわち精巣以外の組織でも機能を獲得する。

精母細胞と精細胞は、精子形成が進む輸精細管の中に見られる。これらの細胞の中では、クロマチン構造が全体に緩んでいるためと、転写機構が強く発現しているために、新規遺伝子の転写が促進される。転写的に活発なクロマチン状態は、CpGリッチプロモータ配列の広範な脱メチル化とヒストン修飾(アセチル化とメチル化)の結果と考えられている。これらは転写機構のアクセスを促進する。

Kessmann, H. 2010, Origins, evolution, and phenotype impact of new
genes, Genome Research, 20, 1313-1326.