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大秀才・吉田松陰の「夢」 ペリーと海外に渡っていたら日本の歴史は変わった

 明治維新の思想的柱となった吉田松陰の著作集を読んだ。松陰は、明治維新とその後の日本を語るには欠かせない思想家だ。当時、西欧諸国のアジア進出が進み、既に清は蚕食されて国の体をなしておらず、日本も遠からず同じ運命をたどる危機にあった。どうやって日本の独立を守るか。彼の思考はその一点に集中する。彼の出した処方箋は、以下の3つに集約されると思う。

 1)鎖国をやめ開国して、諸外国と対等に付き合う。

 2)海外の進んだ科学技術を学んで、殖産興業、富国強兵に努める。

 3)天皇の直下に大学を作り、教員も学生も身分によらずに集めて、上記の核とする。

 この処方箋は今から見ても基本線として正しい(今でも小国が独立を維持するためには同じことをしないといけない)。針穴を通してみるようにしか海外の情報を得られなかった彼の状況を考えると、この正しさは奇跡的であると私は思う。しかし、より具体的な策を立てるためには、この情報の少なさを打開しなければならない。そこで彼は、ペリー艦隊を頼って米国への密航を企てる。

 密航に失敗した彼は、自首して獄に下った。毛利藩預かりとなった後は、野山獄および松下村塾で教育に邁進(まいしん)する。その中から明治維新の原動力となった若者が輩出する。まことに明治政府はほぼ彼の処方箋に従って行動し、日本の独立を確保した。一方、針穴を通してみた世界の知識で作った彼の思想は、古事記・日本書紀に書かれた古代日本を理想とし、それを彼の思想の裏付けとした(そうせざるを得なかった)。この偏狭さは、明治・大正・昭和前半の日本政府の指導原理に限界を与えたと思う。

 歴史にif(もしも)は禁物だが、彼の米国密航が成功し、この大秀才が世界を自分の目で見たら何が起こっていただろうか。勉強家の彼は、1年もたたないうちに、世界の歴史とその変動原理の本質を理解し、さらに高い観点から日本を導く指導原理を構築したに違いない。既に彼の著作の中に、民主主義や自由の概念の萌芽があるように思う。天皇の下の四民平等という概念は、侍が政治と軍事を独占する封建主義より、民主主義にずっと近い。世界を見てさまざまな政治体制の得失を学んだら、彼は、天皇を中心とする立憲君主制に最終的には至ったと私は夢想する。

 日本の立憲君主制は、松陰の弟子の伊藤博文によって一応の成立をみる。残念ながら、彼はその勘所を把握できていなかったと思う。松陰の緻密な頭脳で詰め切って理解したであろう、さまざまな政治体制の利害得失を、弟子たちに教える機会があったら、日本の最初の立憲君主制はより機能するものになったのではないだろうか。松陰がこれを把握するまでに2年として、日本に帰って若者にこれを教える時間はまだあったと思う。

 ペリー提督は日本の開国に成功したかも知れないが、大きな誤りを犯したと思う。彼がもし松陰を受け入れていたら、その後の日米関係は、全く違ったものになったはずだ。一方、佐久間象山はペリー提督に頼んで留学生を送り出すことを、幕府に進言していたが、実現しなかった。もし、これが実現していたら、象山と松陰の関係からして、松陰が留学生の一員になっていた可能性が高い。その場合、松陰はあれほど討幕に突き進まなかったと私は思う。歴史にifは禁物だ、しかし…。

フジサンケイビジネスアイ「高論卓説」2015年11月3日 許可を得て転載

李永春博士の農村衛生研究所設立趣旨文

 ■科学者に求められる人格の修練

 韓国のシュバイツアーと称される李永春(イ・ヨンチュン)博士の手による農村衛生研究所設立趣旨文をここに紹介したい。2013年5月に母とその故郷である韓国の群山(グンサン)を訪ねた折に、李永春家屋を訪問し、そこに展示されていた本趣旨文を撮影した。

 その翻訳を同行してくれた金允智(キム・ユンジ)さんにお願いしていた。翻訳されてきた文章は、国民の困難に立ち向かう高潔な博士の人柄を反映し、素晴らしいものだった。特に、最後の「態度」の部分は、そのまま理化学研究所のモットーにしたいほどのものだ。

 母は帰国後、あの建物と風景は見覚えがあると言い出した。母の家族は群山で鉄工所を営んでいた。小学校の時にアデノイドの切除手術のために入院したという。その執刀は、李永春博士ご自身だったかもしれない。

 李永春家屋は、当時この周辺の大地主だった熊本利平が建てた別荘だった。日本の京大の博士号を取得した李永春博士は、熊本農園で医者として働く傍ら、韓国農村部の衛生状態の改善のため、農村衛生研究所の設立を志した。

 熊本氏は、その意義を認め、熊本農場の利益で農村衛生研究所の運営費を支弁することに合意したが、日本の敗戦でそれがご破算になったという。

 その後、李永春博士は大変な苦労をして、農村の衛生状態の改善に努力し、韓国のシュバイツアーと称されるほどの業績を残した。

◆農村衛生研究所設立趣旨文

 ▽研究所の目的と態度

 個人の一生に長短と盛衰があるように、民族においても盛衰興亡がある。

 人類史上、輝かしい文化を作り上げたローマとギリシャ民族は、都市の文化生活の産物である贅沢(ぜいたく)と享楽、堕胎の流行と健康の衰微により、民族生物学的退行現象の現れと共に、異民族による置換で衰亡した事実は、歴史的文化民族と現代の文化国家でも、事実として立証されつつある。民族の将来は、まさにその民族の健康(質)と人口の増加(量)にかかっていることが分かる。

 われわれは、過去40年間異民族の統治下で苦しみながらも、民族の純粋性と固有文化を確保しつつ、現代文明を吸収し、社会の各方面で多くの発展を成し遂げた。しかし、このような発展は都市部に集中していて、我らの農村は40年前とあまり変わらず、むしろ、農村の核となるべき人物のほとんどが都市に移住してしまっている。まるで、活気を失った去勢者のようだ。<中略>

 ▽目的1 民族の永遠な発展は、健全な農村にその源泉があることを確信し、医学上合理的に擁護するため、研究、努力する。(農村衛生)

 ▽目的2 現代公衆衛生学の理論と指導原理を応用し、農村社会と農民生活を究明批判して、健康を妨げ、体力を消耗させる生活条件とその内容を改善、革新する。(調査研究と衛生指導)

 ▽目的3 農村の現実は、医療施設を至急求めている。したがって、医療施設の普及、促進と共に、公衆衛生指導の実践をすることで、医学の両面活動を展開する。(医療施設の普及)

 ▽態度1 祖国文化建設の目的達成は、知識と技術だけでは到達できないと信じている。真理を探究する科学者には、奉仕の道徳と人格の修練が求められる。われらは、知識技術の練磨とともに、人格の修練を、この研究所の基本的態度として定めたい。(奉仕の道徳、人格の修練)

 ▽態度2 われらの農村の現実は、あまりにも難関が多すぎる。しかし、その難関を解決しなければならない現実と向き合っている。そのため、研究者は、多大な忍耐と努力が求められることを覚悟し、それを勇敢に突破して行こうとする。(忍耐と努力)

 ▽態度3 われらの事業は、国家と社会の絶対的な理解と協調を要求する。特に、青年医学生の奮発と協調で、使命を完遂していく。(協調精神)

フジサンケイビジネスアイ 2015年10月1日
許可を得て転載

「反証」とカメレオン 科学革命引き起こす実験家の精神

 科学的仮説は「もし条件Pが真であるならば、観察可能なQが生じる」という条件命題の形をとっている。しかし、Qが観察されたからと言って、Pが正しいとは言えない。Qを生じる別の仮定が存在してもいいからである。だが、Pが真であるにもかかわらず、Qが生じなかった場合には、Qの原因としてのPは一義的に否定できる。科学哲学者のカール・ポパーはこのことに目をつけて、「反証」という手続きの重要性を強調した。
 ポパーによれば、科学の歴史は「仮説の提起とその反証」という試行錯誤のプロセスであり、競合する諸理論は、反証による自然淘汰(とうた)のふるいにかけられ、やがては無限遠点にある「真理」に漸近してゆく。このポパーの手法だけが唯一、確実な前進を約束していることを科学者はよく知っている。
 さて、このポパーの反証を手掛かりとする手法にも、問題がある。
 その一つがいわゆるカメレオンモデルの問題である。カメレオンモデルは、多くの変数を包含しており、観測されたほとんどあらゆる現象に適合するので、反証が困難である。動物のカメレオンのように、周りの環境に合わせて体の色や模様を変えてしまうわけだ。一般に、たくさんの変数を内在させておけば、その中で働いている論理が本当の論理と違う場合でも、それらしい答えを出すモデルを構築することが可能である。したがって、カメレオンを見分けないと判断を誤る。表皮細胞の色という無数の変数を持つカメレオンは「リンゴ」に見える模様を作りだすことはできるが、そこに本当のリンゴがあるとは限らない。複雑な現実に合わせようと、たくさんの科学者が個別に努力した結果、意図せずして立派なカメレオンモデルができることがある。
 コンピュータープログラムがこの問題を深刻にしている。カメレオンは古いプログラムに保護されて生き残るのだ。コンピュータープログラムが科学に使われるようになって50年がたち、3世代を経たものがある。このような古いプログラムの多くは、誰も中身が分からなくなっている。書いた本人でさえ、詳細は忘れている。多くの場合、古いプログラムはその時々の都合で導入されたわけのわからない変数の宝庫である。また、初期のプログラム者が設定した適用範囲を超えて使っていることもある。
 では、どうやったらカメレオンをあぶり出せるのか?
 一般的な処方箋はないが、見分けるためのポイントはある。カメレオンは「後知」は完全だが、「予知」は苦手だ。新しい観測・実験事実が出たときに馬脚を現すことが多い。ただし、その馬脚は新しい「ちょっとした変数」の導入か変数値の調節で消えてしまう。そういうことを繰り返しているモデルには、たいていカメレオンがいる。いざとなると「想定外」を連発、1年もすると「対応済み」になるというあのおなじみのパターンは、カメレオン注意報である。
 そのようにして、古い旅館のように建て増しを繰り返して訳が分からなくなってきたモデルやプログラムは、あるときこれでは駄目だと考える個人やグループが現れて、一から直截(ちょくせつ)に作り直す運動が起こり、科学革命が進行する。科学史家、トーマス・クーンの科学革命の実態はこういうところにあるのだろう。
 多くの場合、観測・測定精度が格段に進歩してしまうと、対象の形や変化がつぶさに見えてしまうので、カメレオンがばれてしまうことが多い。アーダ、コーダと議論をする前に、さっさと測ってしまう実験家の精神は、常に大事である。

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 2015年9月22日
許可を得て転載

ウナギ幼生の比重:Specific gravity of eel larvae

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図1:ウナギのレプトケファルスの体表全体に分布する塩類細胞

ウナギの幼生(レプトケファルス)の比重は1.019-1.025であり、比重が1.023-1.024(22度―26度)の海水に対して浮力を持っている。これは海生生物で最も低い値である(Tsukamoto et al. 2009)。

ウナギのレプトケファルスの体表全体に、塩類細胞が分布して、体内からNa+とCl-などの塩類を排出し、体内の浸透圧を低く保っている(図1; Sasai et al. 1998)。ウナギの20-40mmサイズのレプトケファルスは体内液体の浸透圧を450 mOsm/kgH2Oに維持している。海の水の浸透圧は1050 mOsmであるので、その分比重を軽くできる。一方、生きているクラゲの浸透圧は1054mOsmだった。硬骨魚類の成体は血漿の浸透圧を300 mOsmに保っている。レプトケファルスの浸透圧はクラゲと硬骨魚類の中間の値を取っている。

また、レプトケファルスの浮力調節は、その体の大部分を占め90-95%もの含水率を持つグリコサミノグリカン(GAG)の細胞外基質ゲル化によっても実現されている。

1) Tsukamoto, K. et al. 2009, Positive buoyancey in eel leptocephali: an adaptation for life in the ocean surface layer, Mar. Biol, 156, 835-846.

2) Sasai, S. et al. 1998, Morphological alterration in two types of gill chloride cells in Japanese eels (Aguilla japonica) during catadromous migration, Can J. Zoo, 76, 1480-1487.

硬骨魚類の海水適応ホルモンを探る:Exploring novel hormones essential for seawater adaptation in teleost fish

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海生の魚類は高い浸透圧を持つ海水の中で脱水してしまうが、腸で吸収された過剰なイオン、特にNa+とCl-を排泄する能力を持っていれば、周りの海水を飲んでバランスを保つことができる。このような耐塩性機構には、ホルモンが重要な役割を果たしている。比較ゲノム学の研究から、硬骨魚類で、Na+を放出し、血管降圧性の性質を持つホルモンが多様に発達していることが分かってきた(Takei et al. 2008)。これらのホルモンは、硬骨魚類の海水での生存と水中における低い動脈圧の維持に重要である。

海生のメクラウナギの血漿イオン濃度は、ほとんど海水と同じである。この特徴は海生の無脊椎動物に共通である。過剰なNa+とCl-イオン濃度は、細胞を過分極させ、神経と筋肉の興奮性を損なってしまう。興奮性を保つため、細胞質のイオン濃度をそれに対応して上げなければならない。しかし、それは細胞質内の酵素の働きを損なう可能性がある。軟骨魚類(全頭亜綱と板鰓亜綱そして、総鰭類)では、血漿中に尿素を蓄えて浸透圧を海水と同じレベルに上げる一方で、イオン濃度は海水のそれよりも低く維持されている。高い尿素濃度による代謝酵素に対する好ましくない影響は、トリメチルアミン酸化物により打ち消されている。海において現在もっとも繁栄している硬骨魚類の条鰭類は、イオン濃度と浸透圧を環境の塩度に関係なく、海水の三分の一のレベルに維持している。イオンと浸透圧に適応する円口類、イオン濃度を調節し浸透圧に適応する軟骨魚類、そして両方とも調節する条鰭類への進化過程を追跡することは魚類の海水への適応過程を理解するうえで重要である。

ナトリウム排泄性ペプチド(NP)族はその典型で、7つの種類(ANP、BNP、VNP、CNP1,2,3,4)が見つかっていて、海生魚類において低ナトリウム排出効果と血管降圧効果を示す。これら7つのホルモンは、軟質亜綱(チョウザメとポリプテルス)の段階で既に存在していたので、これらのNPは第三回全ゲノム重複の以前に、硬骨魚類の系統に既に存在していたことになる。軟骨魚類(全頭亜綱と板鰓亜綱)はCNP3のみを持ち、円口類(メクラウナギとヤツメウナギ)では、CNP4しか同定されていない。このことから、CNP4がNP族の祖先分子であると考えられる。CNP3は第二回全ゲノム重複によって無顎類と顎上亜綱との分岐の時に作られ、軟骨類においては、その後の長い進化でCNP4が失われたと考えられる。心臓ホルモンであるANP、BNP、そしてVNPは、同じ染色体におけるCNP3の縦列重複で作られた。CNP1とCNP2は、CNP3遺伝子からの違う染色体へのブロック重複によって作られた、これら3つの遺伝子はそれぞれ3つの違うエノラーゼ遺伝子と連関している。これら7つのNP遺伝子は、総鰭類(後に四足動物が進化する)と条鰭類が分岐する4億年に存在していたことは明らかである。四足動物においては、哺乳類においては3つ(ANP、BNP、CNP4)、鳥類においては4つ(BNP、VNP、CNP3、CNP4)そして、両生類では4つ(ANP、BNP、CNP3、VNP4)しか保持していない。硬骨類の系統では、いくつかのNPが失われたのに対し、条鰭類がすべて7種類のNPを保持していることは、興味深い。

もう一つの例は、グアニリン族でグアニリン、ウログアニリン、レノグアニリンの3つのパラログがある。これらは、Cl-の管空への分泌を亢進し吸収型のNa-K-2Cl-の共輸送体を活性化する。

最新の例は、アドレノモジュリン(AM)族である。AM族はAM1,2,3,4,5の5種類からなっていて、AM2とAM5は、硬骨魚類において最も有効な血管拡張と浸透圧調節能力を示している。AM1/AM4とAM2/AM3は硬骨魚類の系統における三回目の全ゲノム重複で、重複されたが、AM5に対応する重複遺伝子は失われた。

これらの多様なホルモン族が、硬骨魚類の海水適応に不可欠な働きをしていることが分かってきた。

Takei et al. 2008, Exploring novel hormons essential for sea water adaptation in teleost fish, General and Comparative Endocrinology, 157, 3-13.

人類の持久走力: Endurance Run Ability of Humans

 人類の特徴として大きな脳を持ち、道具を作り、複雑な認識ができることが強調されている。しかし、運動能力をみると、強さ、器用さ、速さのどれを見ても他の動物に(親類筋に当たるアフリカ大型霊長類を含めて)見劣りがする。人類は、弱く、遅く、不器用な生物である。典型的な現代人よりかなり軽いチンパンジーでさえ、より大きな力を出せ、より速く走り、そして器用に移動する。素手でチンパンジーと戦ったら、ヒトは一人も勝ち残れないだろう。

 しかし、専門家らは、ヒトは強さや速さでは他の動物に負けるが、持久力、特に有酸素運動に関しては、驚くべき能力を持っているという。この能力は、有酸素代謝を必要とする5キロメートル以上の持久走で特に顕著だ。

 ヒトは、特別な訓練をしないアマチュアでも秒速5メートルのスピードを維持できる。人間と同じくらいの体重を持つ犬は、理想的な条件の下でも秒速7.8メートルの全速力を10~15分しか維持できない、特に暑いときには。したがって、大型の犬は4、5キロメートルでは、人間に走り勝てるが、それ以上の距離では、逆に人間が犬よりも速い。馬は10キロメートル走ではヒトより速い。しかし、長距離にわたる繰り返し走では、速度は秒速5~8メートルになり、1日に20キロメートル程度以上は走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に与えてしまう。

 ヒトと同程度に長距離を走る哺乳類はいるが、暑い条件下で高体温症にならずに長距離を走ることができない。走るときは、歩くときに比べて10倍の熱を発生する。ほとんどの哺乳類が放熱に使っている浅息呼吸では、肺におけるガス交換の問題と呼吸・運動の連結の問題で全力疾走時の大きい酸素呼吸要求を、暑い中で長い時間満たすことができないのだ。

 しかし、ヒトは暑くて乾燥した条件下での疾走時における放熱手段を発達させている。まず、二足歩行(走行)はエネルギー効率が良く、重たい頭部が平衡点に近いので安定して保持できる。

 また、ヒトは歩・走行動作と独立に呼吸ができる。さらに、汗腺を発達させ、毛皮を持っていない。発汗は有効な放熱手段だが、毛皮があると効率が悪い。したがって、他の熱帯の走獣、ハイエナや狩猟犬は、夜もしくは黄昏時にしか長く走れない。ヒトだけが、昼間の暑いさなかに持久走ができる。ただし、発汗のために、1時間に1、2リットルの水が必要である。
持久走力の獲得は、人類とチンパンジーとの分岐の後に起こったと考えられる。弓矢や投槍器をまだ発明しておらず、槍(やり)先の石器さえ持たない旧石器人類は、持久狩猟で食料を得ていたかもしれない。

 その持久走力を生かし、獲物をしつこく追いかけて高体温症を誘発し、獲物の消耗を待って仕留めるわけだ。持久狩猟は、今でも熱帯で乾燥環境において、広く見られるという。

 この議論を聞いて目からうろこが落ちた気がした。マラソンや駅伝の中継をなぜ長々と見て飽きないのか、分かったような気がする。人間性の本質がそこにあるからだ。折から、夏の高校野球が始まっている。チンパンジーにバットを持たせて野球を教え込めば、すごいバッターになるかもしれない。しかし、夏の甲子園では活躍できないだろう。炎天下で数時間駆け回って平気なのはヒトだけなのだ。

サンケイビジネスアイ 高論卓説 2015年8月19日
許可を得て転載

コンドリュールの形成条件: The formation conditions of Chondrules

コンドリュールはだいたいミリメートルぐらいの大きさの主成分がケイ酸の球で、コンドライトと言われる原始的な隕石の主成分である。それらは、太陽系の中の内側部分の最も激しい現象の結果、溶融液滴として形成されたと考えられている。コンドリュールの形成条件やあまりよくわかっていない。Alexander et al. (2008)は、揮発性の元素であるナトリウムの濃度がコンドリュールの形成の間あまり変わっていないことを見出した。ナトリウムの蒸発を食い止めるためには、これまで考えたよりも桁違いに固体密度が高い領域で作られたと考える必要がある。このような領域は、自己重力的になっている可能性が高い。したがって、コンドリュール形成は惑星形成に深く関わりあっている可能性があることが分かった。

1) Alexander, C. M. et al. 2008, The formation conditions of Chondrules and Chondrites, Science, 320, 1617-1619.

小惑星ベスタにおける物質分化: Material Differentiation in Asteroid Vesta 4

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小惑星ベスタは、HED(hawardite, eucrite, and diogenite)玄武岩質エイコンドライト隕石の母天体と考えられている。これらの玄武岩質隕石は、Calcium-Alminium rich Inclusion (CAI)の析出(太陽系形成の開始時間として一般に使われている)から300万年以内に分化した母天体から形成されたと考えられている。この形成年代は、巨大惑星の形成と初期進化の時期と一致しており、その軌道の大規模な再構成と移動の時期にすでに母天体が存在していたことになる。

探査機Dawnによりベスタの体積と質量、平均密度、そして表面の性質が明らかになった(Russel et al. 2012; Ermakov et al. 2014)。その平均密度からベスタの中心にある核の大きさについての情報が得られた。また、ベスタの南極近くにある巨大なクレータ(Rheasilvia crater)の掘削深度から地殻の深さについての情報が得られた。これらの情報により、ベスタの内部構造の概要が明らかになりつつある(Cosolmagno et al. 2015)。

まず、平均密度から中心核の半径は110km(中心核の密度が8000 kg/m^3:典型的な隕鉄の密度のとき)から140km(5500kg/m^3:金属とその硫化物の混合のとき)であると推定された。これらの、解析からベスタはナトリウム欠乏H型コンドライトとあまり違わない組成を持っていたことが推測される。

一方、Dawn探査機の分光学的なデータから、深く掘削されたクレータの底にもあまりマントル物質である(橄欖岩)があまり検出されなかったので、表面の玄武岩質の地殻の厚さは、85km以上であることが推察される。これは、玄武岩質のHED隕石やベスタ様小惑星(表面の分光学的特徴がHED隕石やベスタと良く似ている)に比べて、かなり少ないことと整合的である。

さらに、HED隕石のeucrite成分の希土類(REE)組成は、ナトリウム欠乏H型コンドライトに対して、7倍から10倍高いことが分かっている。この新石性の高い希土類元素の殻(玄武岩)への濃縮は、母天体であるベスタにおける物質分化に因ると考えられる。もしそうであるならば、eucrite成分が三分の二を占めると推定されるベスタの地殻の総質量は、ベスタ全体の質量の15%-20%を超えることができない。

ところが、地殻の厚さが85kmもあると、この制限を数倍越えてしまう。Cosolmagno et al. (2015)は、これを根拠にベスタが、惑星形成時の原始惑星の生き残りではなく、それ以降、衝突などによる化学組成の変化を受けてなければならないと結論付けた。

一方、Poulet et al. (2015)は、Dawn探査機に搭載された近赤外線分光計による観測では、玄武岩質の岩石の中に少量ある橄欖岩質の岩石の検出はかなり困難で、その割合が10%より少なくなると、ほとんど検出不可能なことを示した。さらに、鉱物のサイズが小さくて50μm以下の場合には、橄欖岩が数十%含まれていてもその検出が困難であることを明らかにした。さらに、繰り返し起こった隕石衝突のために、ベスタ表面はよく破壊・撹拌されていて、Rheasilvia craterのような古いクレーターの表面が後から堆積した玄武岩質の瓦礫で覆われていて不思議でないことを指摘している。実際、ベスタ表面の平均の近赤外線スペクトルは、玄武岩質の鉱物が橄欖岩質の鉱物と礫岩のように混合しているhawarditeのそれで良く説明できる。hawarditeに含まれているMgに富む橄欖岩の化学分析結果は、これらが、不完全な溶融で作られたことを示唆している(Lunning et al. 2015)

Cosolmagno et al. (2015)が指摘した矛盾は、ベスタの地殻は平均的には20-30kmであって、隕石衝突で完全に瓦礫化していてその空隙率が20-50%に達していると考えると解消するかもしれない。

特に新しい(120-150Ma前)クレーターMarciaの近傍には、まだ新鮮な路頭があり、明るい岩石や隕石衝突で持ち込まれた水による変成作用を受けたと思われる暗い部分が見つかっている。この暗い部分には、岩石に含まれるS-OH結合によると考えられる吸収バンドが波長の2.8μmあたりに観測されている(De Sanctis etal. 2015)。このクレーターの底には、水などのガスが噴出したと考えられる穴が観測されている。

[1] Russel, C.T. 2012, Dawn at Vesta: Testing the protoplanetary paradiggm, Science, 336, 684-686.

[2] Ermakov, A.I., et al. 2014, Contraints on Vesta's interior structure using gravity and shape models from Dawn mission, Icarus, 146-160.

[3] Cossolmagno G.J. et al. 2015, Is Vesta an Intact and Pristine protoplanet?, Icarus 254, 190-201.

[4] Poulet, F. et al. 2015, Icarus, Modal mineralogy of the surface of Vesta: Evidence for ubiquitous olivine and identification of meteorite analogue, 253, 364-377.

[5] De Sanctis, M.C. 2015, Mineralogy of Marcia, the youngest large crater of Vesta: Character and distribution of pyroxene and hydratedmaterial, Icarus, 248, 392-406.

[6] Lunning, N.G. et al. 2015, Olivine and pyroxene from the mantle of asteroid 4 Vesta, Earth Science and Planetary Science Letters, 418, 126-135.

カライワシ上目は単系統: Elopomorph is monophyly

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カライワシ上目には、ウナギ目、カライワシ目、ソトイワシ目、フウセンウナギ目などの様々な形の魚が含まれている。これらカワライワシ上目の魚は、幼生期にレプトケファルス(葉形仔魚)と呼ばれる独特の幼生期を経て成長する点で共通しているが、成魚の形や生活形態はさまざまで、これらが単系統なのかどうかについては異論があった。

Inoue et al. 2004は、12種のたんぱく質コード遺伝子、22種のトランスファーRNA遺伝子、二種類のリボゾーム遺伝子のミトコンドリアのDNA配列を用いて系統樹を作製した。でき上った系統樹は、レプトケファルスがカライワシ上目の子孫共有形質であることを一致して示していた。つまり、カライワシ上目は予想に反し、単系統であることがはっきりした。幼生がフォーク状の尻鰭をもつカライワシ目とソトイワシ目が祖先形で、幼生がフィラメント型と丸型の尻鰭を持つフウセンウナギ目とウナギ目が後から分岐した近縁種であることも分かった。

Inoue, J.G. et al. 2004, Mitogenomic evidence for the monophly of elpomorph fishes (Teleostei) and evolutionary origin of the leptocephalus larva, Molecular Phylogenetics and Evolution, 32, 274-286.

聖徳太子と隋の煬帝: Emperor Yang of Sui and Prince Shotoku of Japan

 「聖徳太子」(梅原猛著)によると、聖徳太子が活躍した6世紀終わりから7世紀初めの東アジア情勢は、現在に似ているという。中国において、300年ぶりに南北中国を統一した巨大な隋帝国が出現した。隣国は、隋帝国の侵略に戦々恐々としていた。朝鮮半島には、高句麗、百済、新羅が鼎立(ていりつ)し、互いに軍事および外交において、しのぎを削っていた。

 著者によると、聖徳太子は煬帝を深く尊敬していたに違いないという。実際、聖徳太子が派遣した遣隋使は「海西の菩薩天子」と煬帝のことを表現している。仏教を厚く信仰し、仏教による文明国家の建設を目標とする聖徳太子としては最大の尊敬を表現したものに違いない。しかし、「日出る処の天子、書を日沈む処の天子に送る、恙(つつが)なきや」とした日本の国書は、わがままな煬帝の怒りを買い、彼は「失礼だ。二度と見せるな」と言ったという。聖徳太子の煬帝に対する尊敬は、片思いに終わったようだ。それでも、隋は日本に対し裴世清を使者として送る。これは日本の対中国史上前代未聞のことである。高句麗や百済の僧を政治顧問においた聖徳太子は、東アジアの政治情勢を読み切って、あえて失礼なラブコールを隋に送ったのであろう。見事な判断と決断力である。さて、一方の隋はどう反応したか。

 遣隋使の派遣直前(西暦607年)に、隋は朱寛という将軍を琉球に派遣し島人一人を連れ帰らせている。さらには、次の年に再び琉球を慰撫(いぶ)せしめるために派遣された朱寛は、琉球国王の抵抗にあい、それが果たせなかったが、「布の甲」を持ち帰った。この年に来た日本の使者(たぶん遣隋使の小野妹子)にこれを見せたところ、「夷邪久(屋久島か)の国人の用いるもの」と言ったという。さらに、隋は陳陵と鎮周に1万を超える兵を預けて琉球を侵略し、国王を殺して万を超える民衆を虜(とりこ)にして連れ帰った。折しも、608年から609年にかけて、日本は隋の使者、裴世清を迎えていた。あめと鞭(むち)。聖徳太子の純粋でプラトニックな(たぶんに意識的だが、半分本気の)ラブコールに対し、煬帝はパワーポリテックスで切り返したことになる。

 さて、ここで聖徳太子が、日本にとって非常に大事な外交ポイントを中国から上げたことは注目に値する。日本の国王が中国に対等な形で国書を送り、当時の中国皇帝がそれを正式に受け、さらに返答の使者まで送り出している。さらに、その事実が中国の正式の史書である隋書にも記載されている。中国の周辺諸外国との交わりは、常に周辺国からの朝貢の形をとり、「中国皇帝はすべての土地を治める権利を持っているが、かの地は中国から遠すぎるので、とりあえず代わって治めることを命じる」という形を例外なくとっていた。周辺諸国の国王は、これを国内の統治の権威づけに使った。魏に使いを送って金印を授かった卑弥呼もその典型である。これは、現代の中華人民共和国が、その周辺国がどこも中国の一部と今言い張る根拠になっている。日本については、明らかな例外がここにある。

 以後、日本は中国を手本とした律令国家の建設に邁進(まいしん)し、仏教を中心とした大陸文明を熱心に輸入し、「和をもって貴しとなす」官僚国家、日本が誕生する。聖徳太子のこの見事な外交戦は、その端緒を開く大変重要な出来事だった。

 一方、中国においては、隋が滅亡し、代わって唐が起(た)った。その唐が隋の煬帝に諱(いみな)した煬とは、「内を好みて礼を遠ざける」「礼を去りて衆を遠ざける」「天に逆らって民を虐げる」皇帝につけられる名前だそうである。

 今、中国が再び超大国として東アジアに覇を唱えようとしている。現代中国の政治指導者たちの言動が、次世代のそれから「煬」と諱されるような事態が起こらないことを、中国と東アジア諸国の人民のために祈りたい。歴史は繰り返すかのように見えるが、まったく同じとはかぎらない。われわれは歴史から学ぶことができる。中国は隋帝国の顰(ひそみ)に倣ってはならないし、日本は白村江の敗戦の轍を踏んではならない。未来を選択するのは、われわれである。

サンケイビジネスアイ、高論卓説7月29日、許可を得て転載。