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映画評 少林寺

アクション映画列伝(1)
http://www.youtube.com/watch?v=YWFA0Q4ega4
1982年公開の「少林寺」は衝撃的だった。中国武術大会の優勝者が総出演。すべてが本物の体さばきと技と体力。主演のリー・リンチェイはこの映画がデビュー。この人の主演はほとんど見ている気がする。その後ジェット・リーが彼の芸名となった。ちなみに2011年公開の新少林寺は見る影もない駄作だった。

映画評 ボーン・アイデンティティ

アクション映画列伝(2)

「ボーン・アイデンティティ」は2002年公開、マット・デイモンの出世作だったと思う。かつての同僚の殺し屋が、ガラスを割って登場して始まる格闘シーンは、短いが動きが鋭く、目に見えないほど高速で見ごたえがある。米国大使館からの脱出のシーンでも、マット・デイモンの鍛え上げた肉体がアクション全体に真実味を与えている。カーチェースも鋭く激しい。ボーンシリーズは三部作あるが、どれもアクションシーンがすばらしく楽しめる。

映画評 ドラゴンキングダム

アクション映画列伝(3)
2008年公開の「ドラゴンキングダム」はジャッキー・チェンとジェット・リーの二大カンフースターが初共演のカンフー映画だ。とにかく二人のカンフーが素晴らしく、格闘シーンは最高クラスのものが連続。二人の体術とワイヤープレーが高いレベルで融合している。ジャッキー・チェンの酔拳も健在。クライマックスシーンは、ワイヤープレイと特撮に傾きすぎだが、それはそれで楽しめた。ロードオブザリングにオマージュした部分もある。最後の方に出てきた孫悟空が、香取信吾そっくりなのは笑えた。主人公のジェイソンが、次第に逞しくなってゆく。その意味で青年の成長ストーリとしても好感が持てた。

映画評 爆裂都市 BURST CITY

アクション映画列伝(5)
爆裂都市 BURST CITYは、1982年に公開された日本映画である。近未来を舞台としたSFアクション映画で、石井聰亙が監督をしている。暴力とパンク・ロックのパフォーマンスがないまぜになった独特の世界が描かれる。大学を卒業したばかりの監督も、出演したロックバンド(ロッカーズ、スターリン、泉谷しげるなど)も、若さ全開で最初から最後まで走りきったような映画だ。殺陣もシナリオも荒削り(実は詳細は覚えていない)だが、反骨のエネルギーがほとばしっていた。私は、この30年で日本で作られた最高のアクション映画と思っている。

陣内孝則はこの映画が初主演だった。えらくまた生きのいい新人が出てきたもんだと思ったが、そのまま私は忘れていた。今は都会派の個性派俳優としてトレンディードラマなどに出演している。私は反骨エネルギーほとばしる不倒不屈のコマンドー佐々木の演技の方が好きだ。

石井聰亙が久々に監督したSFX大作である「五条霊戦記」(2000年公開)は駄作だった。

映画評 眠れぬ夜のために

アクション映画列伝(6)
「眠れぬ夜のために」は1985年公開の作品である。映画は、不眠症で仕事もうまくいかず、妻の浮気も目撃した不幸な主人公が、どうしても眠れない苦しさに車で街に出るところから始まる。行きずりの美女(ミシェル・ファイファー扮するディアナ)を助けたばっかりに、国際的陰謀に巻き込まれ、飛び交う銃弾をかいくぐり、カーチェイスで逃走し、殺し屋との格闘するといった大騒ぎの一晩を過ごす。騒ぎもひと段落し、疲れてぐっすりと眠る主人公。はっと目覚めるともう陽光あふれる朝。あれ、昨日の騒ぎは夢だったかな、大変だったけどあの美人にはもう会えないのかと思い始めた矢先、通路の向こうからディアナがBBキングの主題歌とともに颯爽と登場。というこのエンディングの爽快感とカッコよさに一票。

お決まりのアクションはそつなくきちんと作られており、その点でも秀逸。たくさんの映画のパロディが隙間なく織り込まれている(らしい)。後から調べると有名監督がたくさんチョイ役で出ている知る人ぞ知る映画でもあったらしい。なぜか歌手のデイビット・ボーイが謎の殺し屋役で怪演。ハリウッドの内輪受け映画だったのかも。

映画評 七人の侍

「七人の侍」は、1954年に公開された黒沢映画の最高峰である。日本と世界の映画の金字塔であることは言うまでもない。野武士との最終決戦。豪雨の中、志村喬演じる勘兵衛が仁王立ちして13騎の野武士を迎え撃つ。近づく馬蹄のとどろき、勘兵衛が弓を構える・・・・。この後の雨の中泥まみれの死闘こそ、映画格闘シーンの白眉である。

同時代史 タキュトス著

西暦68年、暴君として有名なネロが自殺した。それは帝政ローマを全土を覆う泥沼の内戦の序曲でしかなかった。各地の総督がそれぞれの軍隊に担がれて、皇帝になったからである。それらは、ガルバ(ヒスパニア)、ウッテリウス(ゲルマニア)、ウェスパニアシウス(エジプト)である。軍隊では、下剋上が進行していた。将軍が権威を失って兵士のご機嫌をうかがっていた。ボーナスや利権を約束しなければ、兵士により弾劾されて将軍職を解かれ、非難され、処刑された。次に立つ者も同様の道をたどる。当然、軍隊による略奪と私的報復が横行し、市民を苦しめる。権力が次々と交代し、ネロを含めて3人の皇帝が斃れた。上から下まで私利私欲に走り、陰謀、裏切り、略奪、復讐が無意味に繰り返され、多くの市民が殺された。最終的には、ウェスパニアシウスが権力を掌握して、一応の平和が訪れる。

玄米備蓄

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我が家では、有事に備えて米を備蓄している。2010年の春(3月から4月)にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火した。天明の飢饉も、同じアイスランドのラキ火山とそれに引き続くグリムスヴォトン火山の噴火が原因だったとされている。2010年の噴火の火山性ガスの噴出量は、4月終わりの時点で、1784年の噴火の噴出量の最初の部分のそれと同程度だった。私はこれで、2011年は飢饉の年になると踏んで、玄米の真空パックを大量発注し、居間に積み上げたという次第である(写真左)。

幸いにして、2011年の噴火は5月に入ると終息に向かった。一方、1784年の噴火は5カ月続き、さらに別の火山も噴火したので、総噴出量は2011年の10倍に達していたはずである。2011年に噴火が1カ月で終わったのは、我々にとって大変幸いだったと思う。

その1年後に日本で大震災が起こり、いろいろな事件が起こったが、居間に米が備蓄してあって、マンションに立て篭もっても何とか食いつなげるという安心感は大変ありがたかった。その備蓄の最後の段ボールがまだある(写真右、2011年4月20日とメモされている)。

結果的に深刻な食糧不足は起きなかったので、大量の玄米備蓄を我が家は抱えることになった。真空パックした玄米は、ほとんど変質していないと思う。このほとんど4年前の超古古米を未だにありがたく玄米がゆにしていただいている。家に備蓄があれば、いろいろ工夫しておいしく食べるようにするのが人間の性である。我が家では、玄米炊きの炊飯器を買い、家で食べる米は主に玄米になった。玄米は腹もちがよく、研究の合間の小腹がすいたときのおやつに好適である。女房は、お通じが大変良くなったと喜んでいる。実際見事な「大」が毎日定期的に来るのは私も実感している。

チベット旅行記 河口慧海著

漢訳仏典の疑義を糺すため、より原典に近いチベットの仏典を得ることが必要と判断し、当時厳重な鎖国をしくチベットへの入国を決心する。海路カルカッタへつき、万全の準備(語学など)の後、ヒマラヤからチベット国境を超える。あらゆる困難を超えて目的を果たした男。100年前にこんな日本人がいた。

イブン・ハルドゥーン著「歴史序説3」

この巻はビジネス論と学問論前半。いくつか抜き書きする。極めて実践的。きっとイスラム精神の神髄が含まれているのだろう。

「能力がないが信頼できる人」と「能力はあるが信頼できない人」しかいない場合、どちらを雇う方が好ましいか?いずれもそれぞれ利点はあるが、結局は信頼できないが能力がある人を雇う方がよい。能力の点では損害を被ることはなかろうと期待できるし不実については、できるだけ注意して防ぐことができる。

最も良い教育法は算術から始めるべきである、なぜなら、これは明晰な知識と組織的な証明に関係するからで、一般に、それは正しい方法に裏打ちされた、ひらめきのある知性を生みだすものである。人生の初期によく計算の勉強をした人は概して誠実な人になるといわれている。それというのも計算の中には、正しい基礎と自己訓練が含まれているからで、そうした事柄がその人の特性となり、その人は誠実に慣れ、それがしっかりと身につくようになるのである。

われわれの師はよくこう言っていた。幾何学は、ちょうど石鹸が着物に作用するように、心に対して作用する。石鹸は汚れを洗い流し、着物の脂や垢をきれいにするものである。幾何学がそのような石鹸であるのは、前に述べたように、それがきちんとした秩序正しい体系を持つものだからである。

それにしても、すべての法律が立法者=ムハンムド(預言者)の言説からすべての法律が導きだされなければならないとは大変だ。イスラムの意味が少しわかった気がする。