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チベット旅行記 河口慧海著

漢訳仏典の疑義を糺すため、より原典に近いチベットの仏典を得ることが必要と判断し、当時厳重な鎖国をしくチベットへの入国を決心する。海路カルカッタへつき、万全の準備(語学など)の後、ヒマラヤからチベット国境を超える。あらゆる困難を超えて目的を果たした男。100年前にこんな日本人がいた。

イブン・ハルドゥーン著「歴史序説3」

この巻はビジネス論と学問論前半。いくつか抜き書きする。極めて実践的。きっとイスラム精神の神髄が含まれているのだろう。

「能力がないが信頼できる人」と「能力はあるが信頼できない人」しかいない場合、どちらを雇う方が好ましいか?いずれもそれぞれ利点はあるが、結局は信頼できないが能力がある人を雇う方がよい。能力の点では損害を被ることはなかろうと期待できるし不実については、できるだけ注意して防ぐことができる。

最も良い教育法は算術から始めるべきである、なぜなら、これは明晰な知識と組織的な証明に関係するからで、一般に、それは正しい方法に裏打ちされた、ひらめきのある知性を生みだすものである。人生の初期によく計算の勉強をした人は概して誠実な人になるといわれている。それというのも計算の中には、正しい基礎と自己訓練が含まれているからで、そうした事柄がその人の特性となり、その人は誠実に慣れ、それがしっかりと身につくようになるのである。

われわれの師はよくこう言っていた。幾何学は、ちょうど石鹸が着物に作用するように、心に対して作用する。石鹸は汚れを洗い流し、着物の脂や垢をきれいにするものである。幾何学がそのような石鹸であるのは、前に述べたように、それがきちんとした秩序正しい体系を持つものだからである。

それにしても、すべての法律が立法者=ムハンムド(預言者)の言説からすべての法律が導きだされなければならないとは大変だ。イスラムの意味が少しわかった気がする。

「文明論之概略」福沢諭吉著

1985年(明治8年)という明治維新後早い段階で、西洋文明と日本および中国の文明の比較・分析し、ほぼ正確にそれらの本質をとらえ、日本の進むべき方向を的確に示した本書が出版されたのは、日本にとって幸いだった。

Lost Kingdom of Africa, Gas Caesly-Hayford

西洋中心史観で覆い隠されていたアフリカの先史、古代、中世、近世の帝国とその技術、今なお残るその文化。BBC放送の単行本化したもののよう。そのせいか、参考文献がないのが寂しい。その先に行けないじゃあないか。

映画評 ジョン・カーター

この映画の原作は、E.R.バローズの「火星のプリンセス」で、SFの古典的名作の一つに数えられている。私も中学校の頃に読んで、セクシーなプリンセスの表紙(ハヤカワ)も相まって、胸を躍らせて何度も読んだ小説だ。

興行成績は悪いようだ。実際、私が見た会の客は私一人で、大変贅沢な映画鑑賞となった。実際見てみると、実に楽しめた。ほぼ原作を忠実に再現していて、ドキドキした。演出が懲りすぎてないのも私には好印象だった。少なくとも、演出とCGを懲りすぎてストーリーがダメダメ(Dance with Wolves+Last Samurais/2で何の新味もなかった)だったアバターに比べるとずっと良かったと思う。原作は、さらに何巻も続く。続編を見たいのだけど、興行成績が悪いと駄目かなあ。しり上がりに興業成績も上がっていくと思うのだけど。

トロツキー著 わが生涯

「何が起きているかを理解することは、すでに勝利を半ば確保することを意味し
ている。」トロツキー

吉田松陰著作選 奈良本達也編 読了

明治維新の思想的柱となった吉田松陰の著作集。松陰は、明治維新とその後の日本を語るには欠かせない思想家だ。当時、西欧諸国のアジア進出が進み、すでに清は蚕食されて国の体をなしておらず、日本も遠からず同じ運命を辿る危機にあった。どうやって日本の独立を守るか。彼の思考はその一点に集中する。彼の出した処方箋は、以下の3つに集約されると思う。
1)鎖国をやめ開国して、諸外国と対等に付き合う。
2)海外の進んだ科学技術を学んで、殖産興業、富国強兵に努める。
3)天皇の直下に大学を作り、教員も学生も身分によらずに集めて、上記の核とする。

この処方箋は、今から見ても基本線として正しい(今でも小国が独立を維持するためには同じことをしないといけない)。針穴を通してみる様にしか海外の情報を得られなかった彼の状況を考えると、この正しさは奇跡的であると私は思う。しかし、より具体的な策を立てるためには、この情報の少なさを打開しなければならない。そこで彼は、ペリー艦隊を頼って米国への密航を企てる。彼の思考は常に枝葉を切り捨てて根幹をとらえる。行動はまっすぐその延長線上に置く。全ての些末(自分の命も含めて)は切り捨ててしまう。

密航に失敗した彼は、自首して獄に下った。毛利藩預かりとなった後は、野山獄および松下村塾で教育にまい進する。その中から明治維新の原動力となった若者が輩出する。まことに明治政府はほぼ彼の処方箋に従って行動し、日本の独立を確保した。一方、針穴を通してみた世界の知識で作った彼の思想は、古事記・日本書紀に書かれた古代日本を理想とし、それを彼の思想の裏付けとした(そうせざるを得なかった)。この偏狭さは、明治・大正・昭和前半の日本政府の指導原理に限界を与えたと思う。

歴史にIfは禁物だが、彼の米国密航が成功し、この大秀才が世界を自分の目で見たら何が起こっていたかを、私は夢想せざるを得ない。勉強家の彼は、1年もたたないうちに、世界の歴史とその変動原理の本質を理解し、さらに高い観点から日本を導く指導原理を構築したに違いない。ペリー提督は日本の開国に成功したかも知れないが、大きな誤りを犯したと思う。彼がもし松陰を受け入れていたら、その後の日米関係は、全く違ったものになったはずだ。ここが、歴史の転換点だった。

Longtime Favorites 竹内まりあ

この日曜日、車運転しながらぼんやり山下達郎のサンデーソングブックを聴いていたら、「恋のひとこと(SOMETHING STUPID)」がかかった。竹内まりあと大滝詠一の息の合ったデュエットが素晴らしい。竹内まりあのアルバムLongtime Favoritesから。

Longtime Favoritesは、「サンデー・ソングブック」における夫婦放談を助走に成立したアルバムである。プロモーション資料に
http://www.mariyat.co.jp/pg/promoform.html
にその成立過程が書かれている。単なる「懐かしのメロディ」にならないための苦労と努力があった。その中で、大滝詠一の番組への出演、その後の会食での盛り上がりがあり、このデュエットが実現したと番組で竹内まりあが語っていた。したがって、この番組でこの曲を流したかったという。大滝詠一は一種の変人で彼が歌っているところを見た人は数えるくらいしかいなかったという。彼女はその一人となった。苦労と思い入れの甲斐あって、このアルバムの出来はいいと思う。私のFavoritesである。

サハロフ回想録(下) アンドレイ・サハロフ著

1965年ぐらいから著者は、次第に人権運動に力を入れるようになっていく。ソビエトロシアにおいては、反体制派は懲役や流刑などの迫害を受けた。その大きな特徴は、精神病院への監禁である。たとえば、ジョレス・メドベージェフは、精神病院に監禁された。医師の診断は潜伏性精神分裂病で、生物学と政治学という二つの異なる領域での業績は、分裂した性格の証拠とみなされ、彼の行動は社会的不適応の兆候を示したとされたという。著者によると、これはルイセンコ派を彼の著作で批判した報復であったという。複数の領域での業績が原因で精神病と診断されるとは恐ろしいことだ。私は最近、もともと専攻であるの天文学を飛び出して、地球科学や生物学の分野で論文を書き始めた。きっと私は、ソビエトロシアでは生きていけない。

精神面で異常のある犯罪者のための特別精神病院での管理は過酷だったという。既刑者が看護人になり、殴打は毎度のことだった。治療効果のない、大きな苦痛を伴う薬が、収容者を静かにさせるときや、懲罰の目的で投与される。収容期間は無期だ。これらの病院の実態は、精神病刑務所で、その収容者が正常であろうとなかろうと、通常の監獄よりはるかに恐ろしい存在であると著者は言う。また、著者はいう、「当局が政治目的で精神医学を乱用するのは、被害者の精神に対する直接の攻撃であるゆえに特に危険である。精神病の宣言は、被疑者の気力をくじき、評判を落とし、威厳を傷つける。しかも反駁することは極めて難しい」と。全く同感だ。

著者は人権委員会に参加し、本格的に政治犯の釈放を中心としたソビエトロシアの人権問題にかかわるようになってゆく。その中で有名な「ブレジネフへの手紙」が書かれた。私は大学で第二外国語をとしてロシア語を取った。阪大のロシア語の先生が、その教材として選んだのは、このサハロフの「ブレジネフへの手紙」だった。ロシア語の辞書を引き引きやっとの思いで読んだが、その文章の簡潔さと、頑健な論理は印象に残った。

その後、著者はノーベル平和賞を受賞するが、ロシア国内における変化はなく、KGBの悪質な嫌がらせとの長くつらい戦いが続く。家族を含めたいやがらせ、特に子供の大学への進学の道を閉ざされたのは、とてもいやだったろうし、孫が命の危険にさらされたこともあったようだ。ついには、全ての国家賞がはく奪され、ゴーリキへの流刑となった。KGBの迫害は、ゴルバチョフからの電話までしつこく続いた。この本をシェレメチボ空港の待ち合わせ時間に読んでいた私は、少々薄気味悪くなって、周りをそっと見た。

その戦いの遍歴をみると、サハロフは、まことにペレストロイカの父というにふさわしい人物である。科学者の良心に従って、原理原則を曲げなかった不屈の人だ。

サハロフ回想録(上)アンドレイ・サハロフ著

ロシア水爆の父の回想録。上巻は生い立ちから、大学、大学院での研究生活。水爆開発への参加、その成功とアカデミー会員への特進などが語られる。私としては、論文や教科書でおなじみのロシアの物理学者が、生身の人間として登場し、そのエピソードが語られているのが興味深かった。

ゼルドビッチ相似解やスニアエフ・ゼルドビッチ効果で天文学者には有名なゼルドビッチ博士は、恋多き男で多くの女性と関係を持ち、子供をなしたそうだ。著者との関係は複雑で、多くの共同研究を共にした「親友」ではあるが、著者の反体制化に応じて彼との関係も変化したという。ゼルドビッチの相似解が、水爆のモデル化の努力から生まれたこともよくわかった。

ランダウ・ポメランチューク・ミグダル(LPM)効果で有名なポメランチューク博士とミグダル博士は著者の学位論文の試問担当者だったが、ミグダル博士が当時車を買ったばかりでその運転の練習に夢中で、なかなか審査書類を書いてくれなくて困ったそうだ。ポメランチューク博士の方は学位審査の当日の朝に自宅でやっと捕まえて、審査書類を書いてもらったとか。博士候補者は何処でもどの時代でも大変である。博士の審査に哲学(マルクス・スターリン主義)の審査があり、著者がその試問に落ちて、学位授与が半年遅れたのもこの当時のソビエト連邦ならではのエピソードだろう。

水爆開発の功績で、著者はアカデミー正会員になり、三度の社会主義労働英雄受賞を受賞するなど、学者としての地位をのぼりつめてゆく。一方で、科学アカデミーにおけるルイセンコ学派との対決、核実験の禁止に関するフルシュチョフ首相との衝突などを通じて、次第に政治的な発言を強めてゆく。同時に、宇宙論への興味を深め、バリオン数生成の理論を作っている。